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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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54/72

54.




⭐︎54.



海風が心地よく吹き抜ける。


 パークを抜ける専用通路を歩く二人の前に、ひときわ大きな建物が姿を現した。


 クリーム色を基調とした外壁。


 カラフルな屋根。


 異国を思わせる不思議なデザイン。


 パーク内ホテル。


 今日、一泊する場所だった。


『わぁ……。』


 ほたるが素直に声を漏らす。


 その横顔を見て、弓弦は少しだけ笑った。


「すごいよね。」


『うん。』


『ホテルっていうより、お城みたい。』


「俺も初めて泊まる。」


『そうなの?』


「来たことはあるけど、泊まりは初めて。」


『へぇ。』


 そんな何気ない会話をしながら、自動ドアをくぐる。


 ロビーへ足を踏み入れた瞬間だった。


「わぁ……。」


 今度は弓弦が思わず声を漏らした。


 高い吹き抜け。


 大きなシャンデリア。


 窓の向こうには青い海。


 ロビーいっぱいに広がる優雅な空気。


 テーマパークの賑やかさとは違う、ゆったりとした時間が流れていた。


 ほたるも思わず立ち止まる。


『きれい……。』


 その一言だけで十分だった。


 カメラマンが少し離れた場所から、その横顔を静かに収める。


 ディレクターは何も言わない。


 言葉を挟む必要がないほど、絵になっていた。


「チェックインはこちらです。」


 スタッフに案内され、フロントへ向かう。


 必要な説明を受けながら、ルームキーを受け取る。


「こちらがお部屋になります。」


「夕食は自由です。」


「プールは二十時まで。」


「ルームツアーは皆さんご自身で撮影をお願いします。」


「夜も必要な場面だけスタッフがお声掛けします。」


「それ以外は自由に過ごしてください。」


 恋愛リアリティーショーらしい説明だった。


 必要以上に干渉しない。


 二人の時間を大切にする。


 その方針は最後まで徹底されていた。


「それでは。」


「十五時三十分から再開でお願いします。」


 スタッフたちは一礼すると、静かに離れていく。


 広いロビーに残されたのは二人だけ。


『……。』


『すごいね。』


「うん。」


「ちょっと緊張する。」


『ふふっ。』


 ほたるが小さく笑う。


『弓弦さんでも緊張するんだ。』


「するよ。」


「普通に。」


『そうなんだ。』


 エレベーターへ乗り込む。


 鏡張りの室内。


 静かに数字が上がっていく。


 誰も話さない。


 ほんの数十秒なのに、不思議と少しだけ照れくさい空気だった。


 目的の階へ到着する。


 廊下には青い絨毯。


 窓の外には海。


 歩くだけでリゾートへ来た気分になる。


「ここだ。」


 カードキーをかざす。


 電子音。


 ドアがゆっくり開いた。


「おぉ……。」


 思わず二人同時に声が漏れる。


 広かった。


 大きな窓いっぱいに広がる海。


 白を基調とした室内。


 ふかふかのベッド。


 テーブル。


 ソファ。


 バルコニー。


 まるで海外のリゾートホテルだった。


『すごい……。』


 ほたるは窓際まで歩いていく。


『パークが見える。』


 子どものように嬉しそうな声。


 その後ろ姿を見ながら、弓弦は思わず微笑んだ。


「気に入った?」


『うん。』


『すごく。』


 その笑顔は、今日何度も見たアイドルの笑顔とは少し違った。


 肩の力が抜けた。


 本当に楽しそうな笑顔。


 その時だった。


 テーブルの上に置かれていた一台のビデオカメラへ目が止まる。


「あ。」


 説明書き。


 『ルームツアーを撮影してください。』


 弓弦は思わず笑った。


「そうだった。」


「仕事だった。」


『ふふっ。』


『忘れてた。』


 二人で顔を見合わせて笑う。


 弓弦はビデオカメラを手に取った。


「よし。」


「撮ろうか。」


『うん。』


 電源を入れる。


 赤いランプが点灯した。


「こんにちは。」


 少し照れながらカメラへ向けて手を振る。


「御影弓弦です。」


 カメラをほたるへ向ける。


 ほたるはいつもの花のような笑顔で、小さく手を振った。


『こんにちは。』


『ほたるです。』


『今日泊まるホテルのお部屋を紹介したいと思います。』


 その笑顔は完璧だった。


 さっきまで窓際ではしゃいでいた女の子は、一瞬で国民的アイドルへ戻る。


(……すごいな。)


 弓弦は改めて思う。


 切り替えが早い。


 プロだ。


 二人で部屋を紹介し。


 景色を紹介し。


 ソファへ座って感想を話す。


『景色が本当にきれいです。』


「夜景も楽しみだね。」


『楽しみ。』


 短いルームツアーは、思っていたよりずっと自然に終わった。


 カメラを止める。


 ふぅ、と二人同時に息をつく。


「終わった。」


『終わった。』


 また笑い合う。


 その空気が心地よかった。


 時計を見る。


 まだ集合まで少し時間がある。


 弓弦はパンフレットに写る青いプールへ目を向けた。


 陽射しを受けて、水面が宝石のように輝いている。


「ほたるちゃん。」


『ん?』


「プール。」


「行ってみようか。」


 ほたるもパンフレットを見る。


 青い水。


 宮殿のようなデザイン。


 白い柱。


 異国そのものの景色だった。


 一瞬だけ。


 ほたるの頭の中で、また小さく計算機が動いた気がした。


 プール。


 水着。


 スポンサー。


 SNS映え。


 番組。


 話題性。


 ……よし。


 計算終了。


 次の瞬間には、花が咲くような笑顔になる。


『うん!』


『行きたい!』


 その笑顔を見て。


 弓弦は思わず吹き出した。




「行こうか。」


『うん!』


 にこっ。


 完璧な営業スマイル。



 二人は笑いながら部屋を出る。


 夢の国の午後は、まだまだ終わりそうになかった。

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