54.
⭐︎54.
海風が心地よく吹き抜ける。
パークを抜ける専用通路を歩く二人の前に、ひときわ大きな建物が姿を現した。
クリーム色を基調とした外壁。
カラフルな屋根。
異国を思わせる不思議なデザイン。
パーク内ホテル。
今日、一泊する場所だった。
『わぁ……。』
ほたるが素直に声を漏らす。
その横顔を見て、弓弦は少しだけ笑った。
「すごいよね。」
『うん。』
『ホテルっていうより、お城みたい。』
「俺も初めて泊まる。」
『そうなの?』
「来たことはあるけど、泊まりは初めて。」
『へぇ。』
そんな何気ない会話をしながら、自動ドアをくぐる。
ロビーへ足を踏み入れた瞬間だった。
「わぁ……。」
今度は弓弦が思わず声を漏らした。
高い吹き抜け。
大きなシャンデリア。
窓の向こうには青い海。
ロビーいっぱいに広がる優雅な空気。
テーマパークの賑やかさとは違う、ゆったりとした時間が流れていた。
ほたるも思わず立ち止まる。
『きれい……。』
その一言だけで十分だった。
カメラマンが少し離れた場所から、その横顔を静かに収める。
ディレクターは何も言わない。
言葉を挟む必要がないほど、絵になっていた。
「チェックインはこちらです。」
スタッフに案内され、フロントへ向かう。
必要な説明を受けながら、ルームキーを受け取る。
「こちらがお部屋になります。」
「夕食は自由です。」
「プールは二十時まで。」
「ルームツアーは皆さんご自身で撮影をお願いします。」
「夜も必要な場面だけスタッフがお声掛けします。」
「それ以外は自由に過ごしてください。」
恋愛リアリティーショーらしい説明だった。
必要以上に干渉しない。
二人の時間を大切にする。
その方針は最後まで徹底されていた。
「それでは。」
「十五時三十分から再開でお願いします。」
スタッフたちは一礼すると、静かに離れていく。
広いロビーに残されたのは二人だけ。
『……。』
『すごいね。』
「うん。」
「ちょっと緊張する。」
『ふふっ。』
ほたるが小さく笑う。
『弓弦さんでも緊張するんだ。』
「するよ。」
「普通に。」
『そうなんだ。』
エレベーターへ乗り込む。
鏡張りの室内。
静かに数字が上がっていく。
誰も話さない。
ほんの数十秒なのに、不思議と少しだけ照れくさい空気だった。
目的の階へ到着する。
廊下には青い絨毯。
窓の外には海。
歩くだけでリゾートへ来た気分になる。
「ここだ。」
カードキーをかざす。
電子音。
ドアがゆっくり開いた。
「おぉ……。」
思わず二人同時に声が漏れる。
広かった。
大きな窓いっぱいに広がる海。
白を基調とした室内。
ふかふかのベッド。
テーブル。
ソファ。
バルコニー。
まるで海外のリゾートホテルだった。
『すごい……。』
ほたるは窓際まで歩いていく。
『パークが見える。』
子どものように嬉しそうな声。
その後ろ姿を見ながら、弓弦は思わず微笑んだ。
「気に入った?」
『うん。』
『すごく。』
その笑顔は、今日何度も見たアイドルの笑顔とは少し違った。
肩の力が抜けた。
本当に楽しそうな笑顔。
その時だった。
テーブルの上に置かれていた一台のビデオカメラへ目が止まる。
「あ。」
説明書き。
『ルームツアーを撮影してください。』
弓弦は思わず笑った。
「そうだった。」
「仕事だった。」
『ふふっ。』
『忘れてた。』
二人で顔を見合わせて笑う。
弓弦はビデオカメラを手に取った。
「よし。」
「撮ろうか。」
『うん。』
電源を入れる。
赤いランプが点灯した。
「こんにちは。」
少し照れながらカメラへ向けて手を振る。
「御影弓弦です。」
カメラをほたるへ向ける。
ほたるはいつもの花のような笑顔で、小さく手を振った。
『こんにちは。』
『ほたるです。』
『今日泊まるホテルのお部屋を紹介したいと思います。』
その笑顔は完璧だった。
さっきまで窓際ではしゃいでいた女の子は、一瞬で国民的アイドルへ戻る。
(……すごいな。)
弓弦は改めて思う。
切り替えが早い。
プロだ。
二人で部屋を紹介し。
景色を紹介し。
ソファへ座って感想を話す。
『景色が本当にきれいです。』
「夜景も楽しみだね。」
『楽しみ。』
短いルームツアーは、思っていたよりずっと自然に終わった。
カメラを止める。
ふぅ、と二人同時に息をつく。
「終わった。」
『終わった。』
また笑い合う。
その空気が心地よかった。
時計を見る。
まだ集合まで少し時間がある。
弓弦はパンフレットに写る青いプールへ目を向けた。
陽射しを受けて、水面が宝石のように輝いている。
「ほたるちゃん。」
『ん?』
「プール。」
「行ってみようか。」
ほたるもパンフレットを見る。
青い水。
宮殿のようなデザイン。
白い柱。
異国そのものの景色だった。
一瞬だけ。
ほたるの頭の中で、また小さく計算機が動いた気がした。
プール。
水着。
スポンサー。
SNS映え。
番組。
話題性。
……よし。
計算終了。
次の瞬間には、花が咲くような笑顔になる。
『うん!』
『行きたい!』
その笑顔を見て。
弓弦は思わず吹き出した。
「行こうか。」
『うん!』
にこっ。
完璧な営業スマイル。
二人は笑いながら部屋を出る。
夢の国の午後は、まだまだ終わりそうになかった。




