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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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53/72

53.



⭐︎53.




二人きりになった途端。


 周囲の空気が、少しだけ変わった。


 もちろん、カメラは回っている。


 少し離れた場所にはスタッフもいる。


 けれど、恋愛リアリティーショー特有の距離感。


 必要以上に話しかけず。


 必要以上に近寄らず。


 二人だけの時間を、静かに見守ってくれていた。


「どこから行こうか。」


『まかせる。』


 ほたるはにこりと笑う。


 弓弦は少しだけ考えてから笑った。


「じゃあ、まずはお土産屋さん。」


『うん。』


「疲れる前にゆっくり見よう。」


『ありがとう。』


 二人は並んで歩き始めた。


 店へ入ると。


「わぁ……。」


 色とりどりの商品が目に飛び込んでくる。


 壁一面のぬいぐるみ。


 お菓子。


 文房具。


 食器。


 限定グッズ。


 どこを見ても夢の国だった。


 ほたるは一つひとつを、本当に初めて見る子どものような目で眺めている。


『かわいい。』


『これも。』


『あっ……。』


 思わず足を止める。


 ショーウインドウの中央。


 大きなネズミのぬいぐるみ。


 ふわふわで、自分の上半身ほどある。


 ほたるは何も言わない。


 ただ。


 じっと見ていた。


 その視線に気付いたのは弓弦だった。


「ちょっと待って。」


『?』


 そう言って店員のところへ向かう。


 数分後。


 大きな紙袋を抱えて戻ってきた。


「はい。」


『……え?』


 ぽん、と手渡される。


 袋の中を見る。


『……。』


 さっき見ていたぬいぐるみだった。


『えっ……。』


 本気で驚く。


『なんで?』


「欲しそうだったから。」


『……見てた?』


「うん。」


 当たり前のように答える。


「ずっと見てた。」


 その言葉に。


 ほたるは少しだけ目を丸くした。


 そこまで見られていたとは思わなかった。


「俺も。」


 弓弦は照れたように笑いながら、自分の袋を持ち上げる。


 中には対になったぬいぐるみ。


『……おそろい?』


「うん。」


「可愛かったから。」


『……。』


 ほたるは思わず弓弦を見る。


 本当に。


 本当にこの人は。


 自分をよく見ている。


 少し目を向けただけ。


 少し立ち止まっただけ。


 それだけで気付いてしまう。


(……困る。)


 少しだけ。


 ほんの少しだけ。


 気恥ずかしかった。


 ふと、弓弦の手元が目に入る。


 財布。


 レシート。


 現金。


『……。』


『弓弦さん。』


「ん?」


『番組のカード、あるよね?』


「ああ。」


『なんで使わないの?』


 スタッフから支給された撮影用カード。


 こういう買い物は、基本そこから落ちる。


 なのに。


 カチューシャも。


 ぬいぐるみも。


 全部、自分の財布だった。


『それ、仕事のお金で買えるよ?』


 弓弦は少しだけ笑う。


「うん。」


『……?』


「でも。」


 まっすぐ。


 本当にまっすぐな目で言う。


「これは。」


「俺が買いたいものだから。」


『……。』


 一瞬。


 言葉が出なかった。


 そんな理由で。


 そんな真っ直ぐに言われるなんて思わなかった。


 仕事だからじゃない。


 番組だからじゃない。


 自分がしたいから。


 それだけ。


 ほたるは少しだけ視線を逸らした。


『……ありがとう。』


 小さな声。


 けれど。


 それは今日一番、本音に近い「ありがとう」だった。


 弓弦は少し照れ臭そうに笑う。


「どういたしまして。」


 それからが大変だった。


『これ、かわいい。』


 ほたるが小さく呟けば。


「買おう。」


『え?』


『これも。』


「買おう。」


『……。』


『あっ。』


「それも。」


「買おう。」


「待って。」


 ほたるが思わず止める。


『だめ。』


「え?」


『買いすぎ。』


「でも。」


『だめ。』


「欲しいんでしょ?」


『見てるだけ。』


「でも。」


『だめ。』


 ぴしゃり。


 完全に却下された。


「……。」


 弓弦が少ししょんぼりする。


 その顔がおかしくて。


 ほたるは思わず笑ってしまった。


『もう。』


『今日は終わり。』


「えぇ……。」


『終了。』


「……はい。」


 強制的に買い物は終わった。


 店を出ると。


 午後の日差しが心地いい。


 近くのワゴンでアイスクリームを買う。


 二人並んで歩きながら食べる。


 ほたるが一口。


『おいしい。』


「よかった。」


『このあと、どこ行くの?』


 アイスを食べながら尋ねる。


 その瞬間。


 弓弦は思わず呟いていた。


「……かわいい。」


『……。』


 ぴたり。


 ほたるが止まる。


『また言った。』


「うん。」


『今日、何回目?』


「分かんない。」


『そんなに?』


「だって。」


 弓弦は笑う。


「かわいいから。」


『……。』


 返す言葉がない。


 その時。


 口元に小さくアイスが付いていた。


「動かないで。」


『?』


 弓弦が指先でそっと拭う。


 ほんの一瞬。


 距離が近付く。


「取れた。」


『……ありがとう。』


 少しだけ照れた笑顔。


 それを見て。


 また。


「かわいい。」


『また。』


「うん。」


『……。』


『もういい。』


 呆れたように笑うほたる。


 そんな様子を見ながら。


 弓弦は時計を見る。


 十五時。


 ちょうどホテルのチェックイン時間だった。


「ほたるちゃん。」


『ん?』


「少し疲れたでしょ。」


『……。』


 図星だった。


「一回ホテル行こう。」


『でも……。』


 一瞬だけ。


 ほたるの笑顔が止まる。


 弓弦には分かった。


(……とれだか。)


 もっと撮らなくていいのか。


 そう考えた顔だった。


 でも。


 何も言わない。


「ホテルのプール。」


「すごいらしいよ。」


「少し休んで。」


「そのあと遊ぼう?」


 その瞬間だった。


 ほたるの頭の中で。


 カチ。


 何かを計算する音が聞こえた気がした。


 ホテル。


 プール。


 水着。


 映える。


 SNS。


 番組。


 スポンサー。


 一瞬で計算が終わる。


 次の瞬間には。


 ぱっと花が咲く。


『すごく楽しそう!』


 いつもの。


 完璧なアイドルスマイル。


 弓弦は苦笑するしかなかった。


(……今、絶対計算した。)


 でも。


 それもほたるらしい。


「じゃあ。」


 弓弦は自然に手を差し出した。


「行こっか。」


 ほたるは少しだけその手を見る。


 それから。


 何の迷いもなく重ねた。


『うん。』


 二人は手をつなぎ。


 午後の日差しの中を、ゆっくりホテルへ向かって歩き始めた。


 少し後ろでは。


 スタッフたちが、言葉もなく静かにカメラを回していた。


 誰もが思っていた。


 今日一番の映像が、今、撮れていると。

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