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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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5/72

5.





⭐︎5.








翌朝。


 まだ人もまばらな東京駅。





 ホームには、大きな荷物を持った四人の男たちが並んでいた。


 トップアイドルグループ・Asterism。


 これから数か月に及ぶ、京都での時代劇ドラマ撮影が始まる。


 いつもなら賑やかな水城宗真も、朝だけは少し眠そうで。


 黒瀬晃一はイヤホンを片耳だけつけ、眠気を飛ばすようにガムを噛んでいる。


 神崎晋也は朝からコーヒー片手にスケジュールを確認。


 そして。


 御影弓弦はというと。


「……ほたるちゃん、もうホームにいるかな。」


 まったく別のことを考えていた。


「御影さん。」


 低く、よく通る声。


 振り返れば、マネージャーの阿久津が立っている。


 三十七歳。


 切れ長の目に鋭い眼光。


 色気のある渋い雰囲気をまとい、スーツを隙なく着こなしている。


 表情はいつも硬い。


 基本的に敬語。


 そして、メンバー全員を名前で「さん」付けで呼ぶ。


「御影さん。」


「はい。」


「仕事中は撮影のことを考えてください。」


「……はい。」


 一瞬で肩を落とす弓弦。


 耳が見えそうなくらい、しゅんとする。


 まるで叱られたゴールデンレトリーバーだった。


 水城が小声で笑う。


「また怒られてる。」


「毎日飽きねぇな。」


 黒瀬も苦笑する。


 神崎だけは慣れたようにコーヒーを飲んでいた。


     ◇◇◇


 新幹線。


 グリーン車の一角。


 四人が席へ着くと、阿久津が紙袋から分厚い台本を取り出した。


「皆さん、こちらが最新稿です。」


 それぞれへ配っていく。


「京都へ着くまでに一度目を通してください。」


「はーい。」


 水城が受け取り、黒瀬もページをめくる。


 神崎は仕事が早い。


 もう読み始めている。


 一方。


 弓弦も真剣な表情で台本を開いた。


「……。」


 一ページ。


 二ページ。


 三ページ。


 静かな車内に、紙をめくる音だけが響く。


「……。」


 その手が止まった。


「…………。」


「……え?」


 小さく漏れた声。


 さらに読み返す。


「え?」


 神崎が顔を上げる。


「どうした。」


 弓弦は震える指でページを指差した。


「神崎。」


「なんだ。」


「俺……ベッドシーンある。」


 一瞬、空気が止まる。


 次の瞬間。


「ぶっ!」


 水城が吹き出した。


 黒瀬も肩を震わせる。


「ちょ、笑い事じゃないから!」


 弓弦は本気で青ざめていた。


「俺、大丈夫かな……。」


「知らん。」


「近距離だよ?」


「そうだな。」


「しかも相手、ほたるちゃんだよ?」


「役だ。」


「演技だけど!」


「役だ。」


「俺、理性保てるかな……。」


「襲うなよ。」


 神崎がさらりと言う。


「襲わない!」


「顔が不安。」


「自信はない!」


「あるのかないのかどっちだ。」


「いや、だって可愛いじゃん……。」


「知ってる。」


「目合わせたら固まる。」


「固まるだけならいい。」


「心臓止まる。」


「死ぬな。」


「頑張る。」


「頑張る方向がおかしい。」


 水城はもう笑いが止まらない。


「朝から腹痛ぇ。」


     ◇◇◇


 弓弦は続きを読み進める。


「…………。」


 また止まった。


「……え?」


「今度は何だ。」


 神崎が呆れたように聞く。


 弓弦はゆっくり顔を上げた。


「なんで神崎ともベッドシーンあるの?」


「は?」


 ページを突き付ける。


「ここ!」


 神崎が確認する。


「ああ。」


「ああじゃない!」


「神崎を疑い、家に通う。」


「密室!」


「そういう演出だろ。」


「いやいやいや!」


「騒ぐな。」


「しかも!」


 弓弦は勢いよくページをめくる。


「黒瀬ともある!」


「俺?」


 黒瀬が覗き込む。


「あ、本当だ。」


「何これ!」


「この二人幼馴染設定なんだな。」


「距離近っ!」


「仕事。」


「近い!」


「仕事。」


「近い!」


「うるさい。」


 神崎が一言で終わらせた。


     ◇◇◇


 そして。


 弓弦の視線はヒロインのページへ移る。


「……。」


 嫌な予感しかしない。


 水城が覗き込む。


「どうした?」


「……だめ。」


「何が?」


「だめだ、これ。」


 バンッ。


 台本を閉じる。


「ほたるちゃんに何やらせる気?」


 車内に響く声。


「敵を誘惑?」


「色仕掛け?」


「腕組んで?」


「膝枕?」


「抱きつく?」


「え?」


「何これ!」


 弓弦は制作側に向かって文句を言い始めた。


「こんなの絶対だめ!」


「役だ。」


 神崎。


「ヒロインの貞操観念ゆるすぎる!」


「役。」


「ほたるちゃんはこんな子じゃない!」


「役。」


「なんでこんな設定!」


「役。」


「制作どういうこと!?」


「うるせぇ。」


 神崎が即答する。


「台本に文句言うな。」


「でも!」


「役だ。」


「でも!」


「役。」


 黒瀬は腹を抱え、


 水城は笑いすぎて涙を拭いている。


「弓弦。」


「何!」


「相手役、お前。」


「……。」


 静寂。


「あ。」


「そうだった。」


「なら、まあ……。」


 三人が嫌な予感を覚える。


「俺なら安心か。」


「安心じゃねぇ。」


 神崎が即座に返した。


「さっき理性なくなるって言ってただろ。」


「……。」


「危険人物だ。」


「襲わない。」


「信用ゼロ。」


     ◇◇◇


 その時だった。


 ──ピコン。


 弓弦のスマホが震える。


「!」


 目の色が変わる。


「ブログ…。」


「誰の。」


 神崎は聞くまでもなく分かっていた。


「ほたるちゃん!」


 すぐにアプリを開く。


 更新されたばかりの記事。


『これからドラマの長期撮影に入ります!


 とても素敵な作品です。


 最後まで精一杯頑張ります。


 応援よろしくお願いします!』


 最後には笑顔の写真。


 弓弦は数秒見つめたあと。


 スマホをぎゅっと握る。


「よし。」


 拳を握る。


「頑張ろう。」


 さっきまで台本に文句を言っていた男とは思えない。


 神崎が呆れたように笑う。


「切り替え早ぇな。」


「ほたるちゃんが頑張るって言ってる。」


「だから?」


「俺も頑張る。」


「単純。」


「最高の作品にする!」


「さっきまで制作に文句言ってた奴とは思えねぇ。」


「全部撤回!」


「早すぎる。」


「京都、楽しみ!」


 水城と黒瀬はまた笑い出す。


 阿久津はその様子を静かに眺め、小さくため息をついた。


「御影さん。」


「はい!」


「その意気込みは、撮影現場で発揮してください。」


「はい!」


「あと。」


「はい?」


「共演者の皆さんへ必要以上に近付かないようお願いします。」


「……。」


 弓弦はゆっくり視線を逸らした。


「返事は。」


「……はい。」


 また耳が垂れた。


 その姿に、神崎たちは今日一番大きな笑い声を上げるのだった。

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