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撮影を終えた夕方。
Asterismの楽屋には、どこか仕事終わり特有のゆるい空気が流れていた。
「腹減ったー。」
ソファへ倒れ込む水城宗真。
「今日は珍しく早く終わったな。」
黒瀬晃一もペットボトルを開ける。
神崎晋也はタブレットで明日の予定を確認し、御影弓弦は鏡の前で前髪を整えていた。
コンコン。
「失礼します。」
低く落ち着いた声とともに扉が開く。
現れたのは、マネージャーの阿久津だった。
三十七歳。
隙なく着こなした黒いスーツ。
鋭い目つきは少し近寄りがたいが、年齢を重ねた男にしかない落ち着いた色気がある。
芸能界一筋のベテランマネージャー。
私情を挟まず、常に冷静。
四人がどれだけ騒ごうが、表情一つ変えない男だった。
「皆さん、お疲れ様です。」
「お疲れ様でーす。」
水城が手を上げる。
「少し、お時間よろしいでしょうか。」
そう言ってスケジュール表を机へ広げた。
「明日から本格的にドラマ撮影へ入ります。」
楽屋の空気が少しだけ引き締まる。
「皆さん。」
「来週からしばらく京都です。」
「京都。」
「時代劇の撮影になります。ロケが中心ですので、一か月ほど滞在する予定です。」
「了解。」
弓弦は真面目に頷いた。
そこまでは。
「……京都。」
ぽつり。
「ほたるちゃんと京都……。」
神崎はゆっくり目を閉じた。
「あー。」
始まった。
「仕事だからな。」
「分かってる。」
弓弦は真顔だった。
「でも京都。」
「京都ですね。」
阿久津は淡々と返す。
「宿泊先どこだろ。」
「知りません。」
「同じホテルとか。」
「ありません。」
「え。」
「その可能性はありません。」
「同じ階。」
「ありません。」
「偶然エレベーター。」
「ありません。」
「朝食会場。」
「ありません。」
「そんな全部否定しなくても……。」
弓弦が肩を落とす。
阿久津は一枚資料をめくった。
「今回は先方もかなりスキャンダルに敏感になっています。」
「……。」
「ほたるさんは国民的人気アイドルです。」
「……。」
「ドラマ側も徹底して管理します。」
「……。」
「ですので。」
阿久津は静かに言った。
「弓弦さん。」
「はい。」
「必要以上に近付かないでください。」
「……はい。」
しゅん。
本当にそんな音が聞こえた。
神崎は思う。
耳が見える。
ゴールデンレトリーバーの耳。
ぺたん、と垂れていた。
尻尾まで見える気がする。
「落ち込んだ。」
水城が笑う。
「耳垂れてる。」
「尻尾も。」
黒瀬も吹き出した。
「大型犬じゃん。」
「……。」
弓弦は机へ突っ伏した。
「ほたるちゃん……。」
「まぁ。」
阿久津が資料を閉じる。
「打ち上げくらいなら、お話しする機会はあるかもしれません。」
ガバッ。
「打ち上げ!?」
耳が立った。
ぴんっ。
「早い。」
神崎が呟く。
「復活した。」
水城が笑う。
「単純。」
黒瀬も肩を震わせる。
「打ち上げ……。」
弓弦はもう未来を見ていた。
「隣座れたり——」
「それはわかりません。」
「乾杯——」
「あるかもしれません。」
「写真——」
「撮りません。」
「サイン——」
「いただきません。」
「……。」
「俳優ですから。」
「はい……。」
耳が少しだけ下がる。
そんなやり取りを見ながら。
黒瀬が首を傾げた。
「でもさ。」
「はい。」
「ほたるちゃん、めちゃくちゃ忙しいだろ。」
「あ。」
水城も頷く。
「打ち上げ来れんの?」
「国内、飛び回ってるし。」
阿久津はスケジュールへ目を落とした。
「ああ。」
「レナが顔は出す予定だと言っていました。」
「……。」
「……。」
「……。」
三人が同時に首を傾げる。
「レナ?」
水城が聞いた。
「誰?」
「ほたるさんのマネージャーです。」
「へぇ。」
「知り合いなんですか?」
「大学時代の後輩です。」
「「「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」」」
楽屋が揺れた。
「マジで!?」
「初耳!」
「なんで言わなかったんですか!?」
三人が一斉に詰め寄る。
弓弦はさらに一歩前へ。
「阿久津さん!」
「はい。」
「もっと早く言ってよ!」
「言いません。」
「なんで!?」
阿久津は眉一つ動かさない。
「こうなりますから。」
ぴたり。
全員止まった。
「なるほど。」
神崎だけが納得する。
「正しい判断。」
「確かに。」
黒瀬も頷いた。
しかし。
弓弦だけは止まらない。
「ほたるちゃん現場でどんな感じ?」
「休憩中なにしてる?」
「好きなお菓子!」
「飲み物!」
「私服!」
「趣味!」
「香水!」
「寝る時間!」
「朝強い!?」
「弓弦さん。」
阿久津が静かに遮る。
「マネージャーが、そのようなことを口にすると思いますか。」
「……。」
「彼女もプロです。」
「……。」
「担当しているタレントの情報を軽々しく話すことはありません。」
「……そうですよね。」
「はい。」
「そっかぁ……。」
耳がまた垂れた。
「二回目。」
水城が腹を抱える。
「忙しい犬。」
「感情が耳に出るタイプ。」
黒瀬も笑う。
阿久津はそんな弓弦を見て、小さく息を吐いた。
「ただ。」
弓弦が勢いよく顔を上げる。
「弓弦さんが、筋金入りのほたるさんファンだということは伝えておきます。」
「……!」
ぴんっ。
耳が立つ。
「また立った!」
「分かりやすすぎる!」
「本当にゴールデンレトリーバー。」
三人が笑う中。
弓弦だけは真剣な顔で拳を握りしめた。
「よし……。」
「何が『よし』なんですか。」
阿久津の冷静な一言で、楽屋は再び笑い声に包まれた。




