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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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48/72

48.



⭐︎48.





午後のレッスンを終えたころだった。


Asterismの楽屋には、どこか穏やかな空気が流れていた。


最近は忙しい。




それなのに。


弓弦はずっと機嫌がいい。


理由は、誰が見ても分かっていた。



「……今日もニヤけてんな。」


ソファに寝転がった水城宗真が、呆れたように言う。



「ニヤけてない。」


「いや、ニヤけてる。」


「ニヤけてません。」


「鏡見ろ。」


「見た。」


「終わってんな。」




黒瀬晃一が笑いながら缶ジュースを開けた。


「最近、仕事一緒多いもんな。」


「……。」


弓弦は照れ隠しのように咳払いをする。






実際、その通りだった。


恋愛リアリティー番組『Love Archive』の反響は想像以上。


番組終了後も、スポンサーや制作会社から二人一緒の仕事が次々と舞い込んできていた。




インスタグラム用の短いリール撮影。


公園を並んで散歩するだけの動画。


ベンチに座ってアイスを食べるだけの写真。


地方ロケでは、撮影の合間に古民家カフェへ立ち寄る企画。



季節限定スイーツを食べて。


『おいしい。』


と笑うほたるを横で見ているだけで幸せだった。




雑誌の企画では、


「理想の休日デート」


なんて特集まで組まれた。


水族館。


動物園。


ショッピングモール。


夜景。


イルミネーション。




どれも仕事。


全部仕事。


なのに。




弓弦の中では。


(……完全にデートだった。)



仕事へ向かう足取りは軽い。


最近ではメイクさんからも、




「御影さん、今日もご機嫌ですね。」



なんて笑われる始末だった。



「人生って最高。」


ぼそり。





「気持ち悪。」



神崎晋也が即座に返す。



「幸せオーラ出過ぎ。」







黒瀬まで苦笑する。


そんな和やかな空気の中だった。






コンコン。



楽屋の扉が開く。






全員の視線が向く。


入ってきたのはマネージャー、






阿久津だった。



三十七歳。


鋭い目つき。


色気のある大人の男。


いつものように黒いスーツを着こなし、資料の入った封筒を抱えている。





ただ。


今日は少し違った。





「……。」


空気が重い。








「……あれ。」



水城が小さく呟く。


「今日、いつもより目つき悪くない?」




「元から悪い。」


神崎が即答する。




「いや、今日はレベル違う。」


黒瀬も頷いた。






確かに。


いつも冷静な阿久津だったが。






今日は。


目が据わっている。








「御影さん。」


「は、はい!」



弓弦は思わず背筋を伸ばした。




(な、なんだろう……。)


何かやらかしたか。




いや。


最近は真面目だった。



……多分。










阿久津は静かに資料を差し出す。



「次のお仕事です。」


「ありがとうございます。」







受け取りながら恐る恐る開く。


一枚目。


テーマパーク。




二枚目。


デート企画。




三枚目。


出演者。



そこを見た瞬間だった。





「え。」


弓弦の目が大きくなる。


「ほたる……ちゃん?」








阿久津は淡々と説明を始めた。



「関東郊外にあるテーマパークでの特別企画です。」



「Love Archiveでカップル成立した櫻井伯耆さんとMASHIROさん。」






「そして。」


「御影さんとほたるさん。」


「この二組によるダブルデート企画になります。」





一瞬。



楽屋が静まり返る。





「……。」


「……。」


「……。」





そして。


「え、遊びじゃん!!」


水城が叫んだ。





「いいなぁぁぁぁ!!」


黒瀬まで資料を奪う。




「貸切!?」


「テーマパーク!?」


「デート企画!?」


「え、最高じゃん!」





弓弦はもう口元が抑えられない。



(デートだ。)


(完全にデートだ。)


(仕事だけどデートだ。)


(ほたるちゃんとテーマパーク……。)




頭の中ではもう、


二人でポップコーンを食べ、


写真を撮り、


手なんか振って歩いている未来しか見えていなかった。






「御影さん。」


「はい!」


「まだ説明終わってません。」


「すみません。」



完全に顔が緩んでいる。







阿久津は続ける。



「自然な空気感を撮りたいという制作側の意向です。」


「スポンサー企業の貸切日に撮影しますので、一般のお客様は少ないです。」


「ただし、完全貸切ではありません。」




「営業関係者、スポンサー、スタッフなどはいます。」


「そのため。」


「周囲から騒がれず、自然な映像が撮れる見込みです。」





「なるほど。」


神崎だけは真面目に聞いていた。


その時だった。




神崎が資料の最後のページへ目を落とす。


「……ん?」




視線が止まる。


もう一度見る。




見間違いかと思った。


「……泊まり?」






ぽつり。


その一言だった。






「え?」


水城が固まる。






「は?」


黒瀬も固まる。





弓弦は。


「…………。」








完全停止。






フリーズ。





時が止まった。


楽屋だけ無音になる。






阿久津は。




はぁぁぁぁ……






深く。


本当に深くため息をついた。






「一泊二日です。」


その一言で。








「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


水城が飛び上がる。






「泊まり!?」


「ホテル!?」





黒瀬まで叫ぶ。





弓弦はまだ動かない。


「…………。」





魂が抜けていた。





阿久津は事務的に説明を続ける。



「一日目に陸側パーク。」


「二日目に海側パーク。」





「宿泊先はパーク内ホテル。」


「夜は、よりプライベート感を演出するため。」


「各部屋にビデオカメラを一台お渡しします。」




「ルームツアー。」


「夜食。」


「就寝前トーク。」


「朝の準備。」


「その辺りは出演者自身で撮影してください。」


「以上です。」







静かに資料を閉じる。


「…………。」


誰も喋らない。





沈黙。


全員の視線が。






ゆっくり。


阿久津へ向く。





そして。


阿久津の表情を見る。





険しい。


めちゃくちゃ険しい。






「あ。」


水城が察した。




「信用してない顔だ。」


「完全に信用してない。」




黒瀬まで頷く。

      




神崎が驚愕する。


「……よくルミエがOK出したな。」



その一言だった。







阿久津の眉間に皺が寄る。





さらに。


固くなる。





「あ。」


今度は全員が察した。


(何かあった。)





阿久津は諦めたように眼鏡を押し上げる。



「……先方。」


「ルミエエンターテインメントのレナ……じゃない。」



自分で言い間違え、小さく咳払いする。





「失礼しました。」



「先方のマネージャーさんからも。」



「散々釘を刺されました。」





その声には。


少し疲労が滲んでいた。




「『御影さん、本当にお願いしますね。』」


「『ほたるに変なことしたら許しませんから。』」


「『恋愛番組終わったからって、気を抜かないでください。』」


「『夜だからって浮かれないでください。』」


「『ホテルだからって期待しないでください。』」


「『スタッフ控えているのを忘れないでください。』」







水城が吹き出した。


「めっちゃ言われてる!」




黒瀬は肩を震わせる。


「信用ゼロじゃん!」





神崎は真顔のまま弓弦を見る。


「当然な反応だな。」





その本人はというと。


資料を胸に抱え。


満面の笑みだった。




「はい!!」


元気よく返事をする。




あまりにも爽やかすぎる笑顔。


阿久津は数秒見つめ。




もう一度。


本日二度目の、


深いため息をついた。






「御影さん。」


「はい!」




「くれぐれも。」


「間違いがないように。」


「はい!」




「本当に。」

 

「はい!」



「絶対に。」


「はい!」




「理性を保ってください。」


「…………。」





そこで初めて。


弓弦は笑顔のまま固まった。



(理性。)


(一日。)


(ホテル。)


(同じ部屋。)


(ほたるちゃん。)




頭の中で、


警報が鳴り響く。




(……俺。)


(理性、もつのか……?)



その顔を見た瞬間。


神崎、水城、黒瀬。


三人は同時に思った。




(……これは。)


(阿久津さんの心配、正解だな。)

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