47.
⭐︎47.
恋愛リアリティーショー『Love Archive』終了後。
世間は、想像以上の盛り上がりを見せていた。
SNSのトレンド。
切り抜き動画。
考察。
ファンアート。
「ゆずほた」という愛称まで生まれ、毎日のように話題になっている。
仕事も爆発的に増えた。
二人で出演するCM。
雑誌の表紙。
ドラマの番宣。
バラエティー。
デート風のSNS企画。
スケジュール帳は真っ黒だった。
――けれど。
当の本人。
ほたるはというと。
『……。』
今日も事務所のソファで、ぼんやりスマホを眺めていた。
SNSではない。
ニュースでもない。
トレンドでもない。
銀行アプリだった。
『今月給与』
その文字を押す。
表示された数字を見た瞬間。
『……。』
画面を閉じる。
もう一度開く。
『……。』
閉じる。
開く。
三回ほど繰り返したあと、小さく呟いた。
『……バグ?』
その様子を向かいで見ていたマネージャーのレナが吹き出した。
「違う違う。」
「ちゃんと今月のお給料。」
『……。』
もう一度見る。
やっぱり桁がおかしい。
『……すご。』
ほたるが思わず漏らした珍しい感想だった。
確かに今月は忙しかった。
朝ドラ。
ドラマ。
CM。
雑誌。
歌番組。
海外ブランドのイベント。
そして『Love Archive』関連。
休みなんて数えるほどしかなかった。
だから増えるとは思っていた。
でも。
ここまでとは思っていなかった。
『……。』
無言で電卓を開く。
税金。
貯金。
妹にかかるお金。
生活費。
投資。
来月以降の運用。
頭の中で数字が高速で並び始める。
レナはその様子を見て苦笑した。
「また始まった。」
『……。』
「ほたる?」
『……今月、目標額更新。』
「うん。」
『三か月分前倒しできる。』
「うん。」
『……いい。』
「そこ?」
レナが笑う。
「普通さぁ。」
「『こんなに応援してもらえて嬉しい!』とかじゃない?」
『お金は裏切らない。』
「名言みたいに言わない。」
『ファンも好き。』
「順番。」
『でも、お金の方が生活を守ってくれる。』
「そこまで堂々と言えるの逆にすごい。」
レナは呆れながらコーヒーを飲む。
ほたるはもう一度、給与明細を見る。
そして。
今回、特に大きく増えている項目へ視線が止まった。
『……共同案件。』
二人出演。
タイアップ。
広告契約。
デート企画。
SNS案件。
どれも。
相手の名前は一つだった。
御影弓弦。
『……。』
しばらく見つめる。
ぽつり。
『……弓弦さん、使える。』
「ぶっ!」
レナがコーヒーを吹きそうになる。
「ちょっと!」
「言い方!」
『事実。』
「いや事実かもしれないけど!」
『一人より二人。』
『二人より、ゆずほた。』
『単価、高い。』
「分析しないの。」
『効率いい。』
「恋愛リアリティーショーを投資案件みたいに言わない。」
ほたるは真剣だった。
『時間単価も悪くない。』
『拘束時間は長いけど、広告価値が高い。』
『……優秀。』
「人を株みたいに評価するな。」
レナは額を押さえる。
「弓弦くんが聞いたら泣くよ。」
『なんで?』
「向こう絶対もっと純粋だから!」
『純粋は大事。』
『仕事しやすい。』
「そこも仕事基準なんだ。」
レナは大きくため息をつく。
「もう。」
「ほたるって本当に……。」
そう言いながら、何気なく隣を見る。
すると。
ほたるは別の画面を開いていた。
公式SNS。
今日公開されたデート企画ロケのオフショット。
肩を並べて笑う弓弦とほたる。
コメント欄は数分で数万件。
『本当に付き合ってる?』
『尊すぎる。』
『結婚してください。』
『ゆずほたは永遠。』
『この二人見ると幸せになる。』
『リアル王子とお姫様。』
数字はどんどん増えていく。
ほたるは無言でスクロールした。
そして。
口元がゆっくり持ち上がる。
にこり。
……ではない。
どこか黒い。
計算高い笑み。
『……まだ伸びる。』
『しばらくは共同案件、取れそう。』
『広告も更新かな。』
『ふふ。』
レナはその横顔を見て、思わず肩を震わせた。
「……ほたる。」
『?』
「今。」
「すっごい悪い顔してる。」
ほたるはきょとんと首を傾げる。
『そう?』
「うん。」
「完全にお金数えてる社長の顔。」
『褒めてる?』
「褒めてない。」
レナは笑いながら頭を抱えた。
「弓弦くん。」
「早くこの子の本性に気付いて。」
「いや……。」
「あの子知ってるわ…。」
「気付いてても好きなのかぁ。」
救いようがない。
その言葉は飲み込んだ。
◇◇◇
恋愛リアリティーショー終了後。
変わったのは、弓弦だけではなかった。
◇◇◇
本名不明、経歴不明。
正体不明のアイドル。
ほたる。
芸能界に、その名を知らない者はいない。
デビュー以来、笑顔を絶やさず。
誰にでも優しく。
歌も、ダンスも、演技も、すべてが一流。
スキャンダルゼロ。
失言ゼロ。
完璧。
そんな言葉だけでは足りないほど、彼女は完成されていた。
ファンからは、
『天使』
『女神』
『国宝』
『奇跡』
そんな呼ばれ方ばかりしている。
けれど。
その完璧さは、ときに距離を生んだ。
「恋なんてするのかな」
「私たちと同じ人間なの?」
「綺麗すぎて、現実味がない」
そんな声すら聞こえてくるほど。
ほたるは、ずっと“偶像”だった。
誰にも触れられない。
誰にも乱されない。
硝子ケースの中に飾られた、完璧な宝石。
それが、世間の見ていたほたるだった。
◇◇◇
だが。
恋愛リアリティーショーが終わってから、空気は変わった。
御影弓弦。
トップアイドルグループ・Asterismのセンター。
俺様王子。
完璧なステージ上の支配者。
そんな彼が、ほたるの前ではあまりにも分かりやすく崩れる。
見つめる。
褒める。
甘やかす。
そして、隠しきれないほど嬉しそうに笑う。
その姿が、視聴者に刺さった。
『ゆずほた、もっと見たい』
『この二人、絵面が強すぎる』
『弓弦くんが完全に大型犬』
『ほたるちゃん、弓弦くんの前だとちょっと素っぽい』
『尊い』
SNSは連日、大騒ぎ。
ニュースサイトも、番組公式も、雑誌も、二人を放っておかなかった。
そして。
その反響を誰より冷静に見ていたのが、ほたるだった。
◇◇◇
事務所の控室。
ソファに沈み込むように座ったほたるは、今日もスマホ画面をじっと見つめていた。
そこに表示されているのは、今月の給与明細。
『……』
無言。
沈黙。
そして、画面を拡大。
もう一度確認。
『……』
隣でレナが、呆れるように覗き込む。
「また見てる。」
『うん。』
「どうなの?」
『ゼロが多い。』
「良かったわね。」
『……』
ほたるは、ゆっくりと瞬きをした。
忙しかった。
確かに忙しかった。
撮影。
番宣。
雑誌。
取材。
SNS投稿。
コラボ企画。
睡眠時間は削られ、移動中に仮眠をとる日々。
正直、途中から記憶が薄い。
だが。
数字は、すべてを肯定した。
『ゆずほた、まだまだ伸びる』
ほたるは真顔で言った。
『SNSの反応もいい』
『切り抜きも回る』
『弓弦さんが分かりやすく照れる』
『私が少し笑うだけで、勝手に“恋してる”って解釈してくれる』
「悪い顔してる」
『効率がいい』
「もっと悪い」
ほたるはスマホを閉じた。
その顔は、いつもの天使でも女神でもなかった。
完全に、収益を見ている人間の顔だった。
『ゆずほた、全面的に育てる』
「弓弦くん、本気だよ?」
『知ってる』
「罪悪感は?」
『少しある』
「あるんだ」
『でも、給与明細を見ると薄れる』
「最低」
『生活があるので』
レナは笑いながらも、どこか感心していた。
ほたるは、世間が思うほど夢見がちな少女ではない。
愛だの恋だのに酔って、仕事を忘れるタイプでもない。
むしろ逆。
需要があるなら、応える。
伸びるなら、乗る。
金になるなら、逃さない。
それが、ほたるだった。
◇◇◇
そんなある日。
人気トーク番組。
スタジオには、いつも以上の熱気があった。
「それでは本日のゲスト!」
「ほたるさんです!」
拍手。
歓声。
ライトの中へ現れたのは、真っ白なワンピース姿のほたるだった。
「きゃーーー!」
「ほたるちゃーん!」
「可愛いー!」
ほたるは軽く手を振る。
柔らかな笑顔。
完璧な角度。
完璧な間。
完璧なアイドル。
『よろしくお願いします』
「よろしくお願いします!」
席へ座る。
トークは新曲の話から始まった。
ドラマ。
CM。
ライブ。
どの質問にも、ほたるは柔らかく、可愛らしく、丁寧に答える。
そして。
司会者が、にやっと笑った。
「でも今日は、これを聞かないわけにはいきません」
客席がざわつく。
ほたるは小さく首を傾げた。
もちろん。
何を聞かれるかは、事前に分かっている。
「ほたるさん」
『はい』
「おうちデート」
会場が一気に沸いた。
「きゃーーー!」
「見た!」
「インスタ見た!」
「ゆずほたー!」
モニターには、例の写真。
肩を寄せ合う二人。
自然な笑顔。
柔らかな空気。
ほたるは、少し照れたように目を伏せた。
――ここ。
心の中で、静かにタイミングを測る。
『……あ』
「話題になりましたよね」
『みたいですね』
「みたいって(笑)」
司会者が笑う。
「御影さんとは、普段からあんな感じなんですか?」
『うーん……』
少し考えるふり。
ここで即答しない。
少し間を置く。
視聴者が、期待する時間を作る。
『……あんな感じ、かもしれないです』
「えーーー!」
客席が盛り上がる。
ほたるは微笑む。
完璧。
◇◇◇
「家では何してたんですか?」
『お茶を飲んで』
『少しお話しして』
『私、寝ました』
「寝た!?」
スタジオ中が驚く。
「えええ!?」
『仮眠です』
『眠かったので』
「……あ、そっち」
『?』
「すみません。汚れた大人な妄想でした」
会場が笑いに包まれる。
ほたるはきょとんとした顔で笑う。
ここは本当。
ほとんど寝ていた。
ただし。
言い方次第で、弓弦の株が上がる。
「御影さんは、その間どうしてたんです?」
『私が起きるまで』
『静かにお茶を飲んでました』
「何それ!」
「優しい!」
「王子様!」
客席から歓声が上がる。
ほたるは少しだけ頷く。
『起こさないでいてくれました』
「優しいですねぇ」
『はい』
柔らかく笑う。
『すごく助かりました』
嘘ではない。
本当に助かった。
眠かったから。
「起きたら?」
『時間になったら、起こしてくれました』
「目覚まし時計!?」
『はい』
「目覚まし王子ですね」
『目覚まし王子』
ほたるが小さく繰り返す。
会場がまた沸く。
「可愛いー!」
「目覚まし王子!」
「ゆずほた最高!」
ほたるは笑いながら、心の中で思った。
――使える。
◇◇◇
「ちなみに」
司会者はさらに身を乗り出した。
「御影さんって、どんな人ですか?」
ほたるは少しだけ考えた。
この質問も想定内。
弓弦の好感度を上げる。
同時に、二人の距離感を匂わせる。
でも、決定的なことは言わない。
そこが大事。
『優しいです』
「ほう!」
『あと』
『褒め上手』
「へぇ!」
『美味しいって、いっぱい言ってくれる』
「料理を?」
『はい』
『私が出したもの、全部』
「全部?」
『お茶でも』
『お菓子でも』
『なんでも』
スタッフが笑う。
『あと』
『よく笑います』
「意外ですね。ステージではクールな王子様って感じですけど」
『うーん』
ほたるは小さく首を傾げる。
『私の前だと』
少し間を置く。
『犬みたいです』
スタジオが爆笑した。
「犬!?」
『大型犬』
「大型犬!」
『ゴールデンレトリーバー』
「そのままじゃないですか!」
客席も大笑い。
ほたるは、両手を小さくぱたぱた動かした。
『嬉しいことがあると』
『こんな感じ』
「尻尾!」
『見えます』
「見えるんですか!?」
『見える気がします』
会場は大盛り上がりだった。
弓弦のファンは怒らない。
むしろ喜ぶ。
王子様の可愛い一面。
ほたるだけが知っている顔。
それが、いま一番求められている。
◇◇◇
「逆に、御影さんの困るところは?」
『あります』
「あるんだ!」
『……』
ほたるは少し困ったように笑う。
『私のこと』
『可愛いって、いっぱい言います』
「えぇーー!」
「いいじゃない!」
『一日に何回も』
『今日も可愛い』
『昨日も可愛かった』
『寝癖も可愛い』
『眠そうでも可愛い』
『お茶飲んでも可愛い』
スタジオが笑いに包まれる。
「全部可愛い!」
『ちょっと大げさです』
「御影さん、完全に恋してますね!」
『……』
ここで。
ほたるは、すぐには答えなかった。
視線を少し落とす。
唇に小さく笑みを乗せる。
そして。
『恋してる人って』
『ああいう感じなのかなって思います』
ふわっと笑う。
客席が一瞬静まり。
次の瞬間、悲鳴みたいな歓声が上がった。
「きゃーーーー!」
「言った!」
「恋してる!」
「可愛い!」
ほたるは笑っている。
けれど、内心はとても冷静だった。
“弓弦が恋している”とは言った。
“自分が恋している”とは言っていない。
嘘ではない。
でも、見ている人は勝手に解釈する。
それでいい。
◇◇◇
「そういえば」
「御影さんから、毎日連絡が来るって本当ですか?」
『来ます』
「どんな内容なんです?」
『おはよう』
『お仕事頑張って』
『ご飯食べた?』
『ちゃんと寝てね』
「優しいですねぇ」
『あと』
少しだけ口元を緩める。
『今日も可愛い』
「また言ってる!」
会場は大爆笑。
『毎日です』
「毎日!?」
『はい』
『飽きないのかなって思います』
「それ、何て返すんですか?」
『ありがとうございます』
「それだけ!?」
『はい』
「塩対応!」
客席が笑う。
ほたるは少しだけ目を細めた。
『でも』
ここで一拍。
『嬉しいです』
たった一言。
それだけで、スタジオの空気が変わった。
「それ、御影さん見てますよ!」
『見てますかね』
「絶対見てます!」
『じゃあ』
ほたるはカメラを見た。
まっすぐに。
柔らかく。
恋する少女のように。
『いつもありがとうございます』
『ちゃんと寝てください』
『ご飯も食べてください』
『あと』
少しだけ笑う。
『可愛いは、一日三回まででお願いします』
スタジオが爆発した。
「きゃーーーーーー!」
「可愛い!」
「三回まで!」
「彼女じゃん!」
「ゆずほた尊い!」
ほたるは笑う。
完璧に。
求められているものを、求められている温度で出す。
それが、プロだった。
◇◇◇
収録後。
控室。
ドアが閉まった瞬間、レナが腹を抱えて笑った。
「やったねぇ」
『うん』
「最後のカメラ目線、完全に狙ったでしょ」
『もちろん』
「一日三回までって何?」
『切り抜き用』
「怖い怖い怖い」
ほたるはスマホを開く。
番組公式SNSには、すでに収録後の短い動画が投稿されていた。
コメント欄は、ものすごい勢いで流れている。
『可愛いは一日三回まで、破壊力やばい』
『弓弦くん生きてる?』
『ゆずほた公式ありがとう』
『ほたるちゃんが人間になった』
『恋するアイドル可愛すぎる』
『大型犬弓弦、解釈一致』
『これは推せる』
再生回数も、いいねも、コメントも。
伸びている。
ものすごい速度で。
『……』
ほたるは無言で画面を見る。
そして。
ゆっくりと口元を上げた。
『よし』
「悪い顔してる」
『ゆずほた、まだ伸びる』
「弓弦くん、本当に倒れるよ」
『倒れたら看病企画ができる』
「最低」
『冗談』
「目が冗談じゃない」
レナは呆れながらも笑う。
ほたるはスマホを閉じ、ソファに深くもたれた。
恋ではない。
少なくとも、本人はそう思っている。
これは仕事。
需要。
戦略。
ファンが見たいものを理解して、最高の形で差し出す。
それだけ。
今まで、ほたるは完璧すぎた。
近寄れない。
触れられない。
人間味がない。
だからこそ。
少しだけ隙を見せる。
少しだけ照れる。
少しだけ、恋をしているように見せる。
それだけで。
偶像は、人間になる。
そして、人間になった偶像は。
もっと愛される。
『効率がいい』
「言い方」
『売れる』
「もっと言い方」
『働いた分、返ってくる』
「それはそう」
ほたるは満足そうに目を閉じた。
その頃。
別の楽屋では。
番組の切り抜きを見た弓弦が、スマホを握りしめたまま固まっていた。
「……一日三回まで」
ぽつりと呟く。
耳まで赤い。
その横で、水城が腹を抱えて笑っていた。
「お前、完全に手のひらの上じゃん!」
「うるさい」
黒瀬も笑いをこらえきれない。
「でも、三回までって言われたぞ」
「……三回に厳選する」
「真面目か」
神崎が呆れたようにため息をついた。
「弓弦」
「何」
「お前、それ全部計算だったらどうする」
弓弦は一瞬黙った。
そして。
真顔で言った。
「計算でも可愛い」
「終わってる」
メンバー三人の声が揃った。
けれど。
弓弦は幸せそうだった。
ほたるが自分のことを話した。
カメラ越しに、ちゃんと寝て、ご飯を食べてと言った。
それだけで、十分だった。
そして。
そんな弓弦の反応もまた、SNSで切り抜かれる未来が見えていた。
ゆずほた。
恋なのか。
営業なのか。
本気なのか。
計算なのか。
世間は、その曖昧さに熱狂した。
完璧なアイドルだった少女は。
その日を境に、少しだけ近く感じられる存在になった。
そして、新しい呼び名が生まれる。
――恋するアイドル。
誰よりも完璧だった少女が、初めて“普通の十八歳”として愛された証。
ただし。
本人だけは、その呼び名を見て。
『……使える』
と、黒い笑顔を浮かべていた。




