45.
⭐︎45.
合同取材。
音楽番組。
CM撮影。
雑誌。
イベント。
弓弦とほたるは。
仕事で顔を合わせる機会は、確かに増えた。
けれど。
それは”仕事”だった。
スタッフに囲まれ。
カメラが回り。
マイクが向けられ。
終われば、それぞれ次の現場へ。
たった数分。
笑い合って。
「お疲れ様でした」と言って別れる。
そんな毎日。
だからこそ。
弓弦の想いは、少しずつ大きくなっていった。
「……。」
もっと。
もっと一緒にいたい。
もっと話したい。
仕事じゃなくて。
普通に。
一人の男として。
――デートしたい。
◇◇◇
「……無理だろ。」
神崎の一言で夢は砕け散った。
「だよねぇ……。」
弓弦はテーブルへ突っ伏す。
しゅん。
見えないはずなのに。
頭の上のゴールデンレトリーバーの耳が、ぺたんと垂れた気がした。
「見える。」
黒瀬が真顔で言う。
「ああ。」
水城も頷く。
「耳、完全に萎れてる。」
「尻尾も下がってる。」
「誰の話?」
「弓弦。」
「俺?」
「大型犬。」
「俺、人間。」
神崎はコーヒーを飲みながら苦笑する。
「相手は日本一忙しいアイドルだぞ。」
「休みなんてない。」
「分かってる。」
弓弦は素直に頷く。
「でもさ。」
「……うん。」
「デート、したいじゃん。」
その一言だけは、本音だった。
◇◇◇
翌日。
移動車。
運転席には阿久津。
三十七歳。
色黒で目つきは鋭い。
一見すると怖い。
しかし、Asterismを誰より大切に思うマネージャーだった。
バックミラー越し。
後部座席を見る。
「……。」
弓弦は今日もスマホを眺めている。
ホーム画面。
ほたるとのトーク。
最後のやり取りは業務連絡。
そこから三日。
何も送れていない。
「……送る内容がない。」
ぼそり。
「送れば?」
水城が言う。
「いや。」
「迷惑かな。」
「重いかな。」
「忙しいかな。」
「寝てるかな。」
「返信考えさせるの悪いかな。」
「送らなくていいかな。」
「でも送りたい。」
「……。」
「……。」
車内が静かになる。
黒瀬が小さく呟いた。
「重症。」
「末期。」
神崎が締める。
「重いな。」
「うるさい。」
◇◇◇
昼。
四人は馴染みの定食屋で昼食を取っていた。
「いただきます。」
弓弦は箸を持つ。
しかし。
食欲がない。
「……。」
「デート。」
「まだ言ってる。」
水城が笑う。
「行きたい。」
「知ってる。」
「映画とか。」
「うん。」
「水族館とか。」
「うん。」
「カフェとか。」
「うん。」
「……。」
「かわいい。」
「犬だな。」
神崎が笑う。
その時だった。
「弓弦さん。」
入口から声がする。
阿久津だった。
仕事の電話を終えたらしく、席へ戻ってくる。
「少し。」
「はい?」
阿久津は椅子へ腰掛けながら、さらりと言った。
「明後日の夕方でしたら。」
「……?」
「ほたるさん。」
「少し時間があるそうですよ。」
弓弦の動きが止まる。
「……え?」
「先ほど。」
「レナさんと連絡を取りまして。」
「収録終了後でしたら。」
「二時間ほど。」
「空いているようです。」
「…………。」
「もちろん。」
阿久津は冷静に続ける。
「OKをいただけるかは分かりません。」
「予定が変わる可能性もあります。」
「ですが。」
「誘うくらいなら。」
「今でしょう。」
沈黙。
次の瞬間。
ぴんっ。
見えないゴールデンレトリーバーの耳が、勢いよく立った。
「立った。」
水城が吹き出す。
「完全に立った。」
「尻尾も振ってる。」
「犬だ。」
「犬ですね。」
阿久津まで真顔で頷いた。
「違います!」
言い返しながらも。
弓弦はもうスマホを握っていた。
「どうしよう。」
「何て送ればいい?」
「普通でいい。」
神崎が答える。
「普通?」
「普通。」
「普通って何?」
「普通は普通だ。」
「分かんない!」
水城が横から覗き込む。
「貸せ。」
「やだ!」
「じゃあ早く打て!」
十分。
二十分。
三十分。
「まだ?」
「まだ。」
「何文字?」
「八文字。」
「何書いてんだ。」
ようやく。
震える指で送信した。
『明後日、
もし時間があったら、
デートしない?』
送信。
「……。」
「送った。」
スマホを伏せる。
「終わった。」
「人生終わった。」
「始まってもいない。」
神崎が即座に突っ込む。
◇◇◇
返事は来なかった。
一時間。
二時間。
三時間。
仕事中だから。
分かっている。
それでも。
気になる。
「まだ?」
「まだ。」
「既読?」
「まだ。」
帰宅後も。
風呂でも。
歯磨き中も。
スマホは手放さない。
「落ち着け。」
神崎が呆れる。
「無理。」
「寝ろ。」
「無理。」
「返事は明日だ。」
「……。」
結局。
日付が変わる頃だった。
ぴこん。
「!!」
スマホが光る。
勢いよく飛び起きる。
「きた!」
ベッドから転げ落ちながら画面を開く。
既読。
そして。
返信は一つだけ。
ころん、とした。
可愛いパンダのスタンプ笑っている。
『OK。』の文字。
「…………。」
固まる。
「…………。」
数秒後。
「やっっっっったぁぁぁぁぁぁ!!」
夜中だというのに。
ベッドへダイブ。
枕を抱えて転げ回る。
「パンダ!!」
「パンダ!!」
「かわいい!!」
「スタンプかわいい!!」
「ほたるちゃんが送ってきた!!」
「俺に!!」
スクリーンショット。
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「バックアップ!」
「消えたら大変。」
誰に聞かせるでもない独り言。
現在、突っ込み役不在。
弓弦は満面の笑みでスマホを抱き締めた。
「……デートだ。」
その一言だけで。
世界中の幸せを手に入れたような顔をしていた。
◇◇◇
デート当日。
昼過ぎ。
弓弦のスマートフォンが小さく震えた。
送り主は、ほたる。
思わず姿勢を正す。
「!」
仕事の打ち合わせ中だった水城が横から覗き込む。
「ほたるちゃん?」
「うん。」
「開け。」
震える指で画面を開く。
送られてきたのは、たった二つ。
待ち合わせ場所。
そして時間。
『16:30』
『ここに来て』
それだけだった。
「……。」
「……。」
「短っ。」
水城が吹き出す。
「業務連絡。」
黒瀬も笑う。
「でも、ほたるちゃんらしい。」
弓弦はその短い文章を何度も読み返す。
「……俺に送ってくれた。」
「そこ?」
「俺に。」
「知ってる。」
「俺だけに。」
「当たり前だ。」
神崎が呆れたようにコーヒーを飲んだ。
◇◇◇
約束の時間。
指定された場所は、駅前のロータリーだった。
「ここでいいのかな。」
人通りは少ない。
小さな駅。
けれど、ほたるの姿はない。
周囲を見渡していると。
黒いワンボックスが静かに止まった。
助手席の窓がゆっくり下がる。
「御影さん。」
「レナさん。」
「乗って。」
「え?」
「早く。」
後ろから人が歩いてくる。
弓弦は慌てて車へ乗り込んだ。
ドアが閉まる。
その瞬間だった。
「……。」
後部座席。
窓際に、ほたるがいた。
帽子を深く被り。
シートへ寄りかかって。
すぅ、と静かな寝息を立てている。
「……寝てる。」
思わず小声になる。
レナは苦笑した。
「昨日も二時間くらいしか寝てないの。」
「え。」
「急な取材が入っちゃって。」
「……。」
弓弦は眠る横顔を見る。
島にいた時と同じ。
安心しきったような寝顔。
「……俺。」
ぽつりと呟く。
「今日、誘っちゃって。」
「迷惑だったのかな。」
そう言うと。
レナは小さく笑った。
「違う違う。」
「ほたるはね。」
「嫌なことは、ちゃんと嫌って言う子。」
「……。」
「もし本当に嫌なら。」
「断ってる。」
「社長相手でも。」
「私相手でも。」
「仕事でも。」
「平気で。」
思い出したように肩をすくめる。
「だから安心して。」
「今日ここにいるってことは。」
「来たかったってこと。」
その言葉だけで。
弓弦の胸が少し軽くなった。
◇◇◇
「ほたる。」
レナが優しく肩を叩く。
「着いたよ。」
『……ん。』
ゆっくり目を開ける。
ぼんやりしたまま周囲を見て。
『着いた?』
「うん。」
『ありがと。』
眠そうな声。
それでも自然と弓弦を見ると、小さく笑った。
『おはよう。』
「お、おはよう!」
夕方なのに。
おはようだった。
レナが笑う。
「二時間後に迎えに来るね。」
『はーい。』
「楽しんできて。」
そう言って車は静かに走り去っていった。
◇◇◇
「……。」
弓弦は辺りを見回す。
「……?」
住宅街。
どこにでもある道。
どこにでもあるスーパー。
どこにでもある公園。
「……。」
「こっち。」
ほたるは何事もないように歩き始める。
スタスタ。
迷いがない。
「え?」
弓弦は慌てて後を追う。
五分ほど歩くと。
目の前に現れたのは。
ごく普通のマンションだった。
三階建て。
オートロックはある。
けれど、芸能人が住むような場所ではない。
「……?」
「……?」
理解が追いつかない。
「えっと。」
『うん?』
「ここ。」
『うん。』
「どこ?」
ほたるは立ち止まり。
本気で不思議そうな顔をした。
『……?』
「え?」
『私の家だけど。』
「…………。」
思考停止。
『早く。』
『時間ない。』
スタスタ歩いていく。
「…………。」
弓弦は口を押さえた。
(推しの。)
(家。)
(…….推しの家!?)
(え、待って。)
(いや、分かる。)
(普通のデートスポットなんて目立つ。)
(二人とも顔が知られすぎてる。)
(だから人目につかない場所を選ぶ。)
(理屈は分かる。)
(でも。)
(だからって。)
(推しの家ぇぇぇ!?)
心臓がうるさい。
(落ち着け俺。)
(落ち着け。)
(にやけるな。)
(顔!)
(アイドル!)
(理性!)
(もつか!?)
◇◇◇
ほたるが鍵を差し込む。
カチャ。
……開かない。
『?』
もう一度。
カチャ。
今度は開いた。
『……閉め忘れてた。』
無表情。
さらりと言う。
「え?」
『たまにある。』
「たまに!?」
弓弦は思わず声が裏返った。
「危ないよ!?」
『そう?』
「そうだよ!」
「ちゃんと閉めないと!」
『……気を付ける。』
あまり危機感がない。
弓弦は別の意味で不安になった。
◇◇◇
部屋へ入る。
「お邪魔します。」
『どうぞ。』
そこは。
想像と違っていた。
もっと豪華な部屋だと思っていた。
高級家具。
ブランド品。
広いリビング。
そんなものはない。
二人暮らしには少し広いくらいの、温かい部屋だった。
白を基調にした家具。
丁寧に掃除された床。
小さな観葉植物。
壁には色鉛筆で描かれた絵。
冷蔵庫には可愛らしいマグネットで留められたメモ。
棚には写真立て。
妹ちゃんの写真、笑顔でピースしている写真。
「……。」
胸が温かくなる。
(ほたるちゃんらしい。)
飾らない。
優しい部屋。
住む人そのものだった。
◇◇◇
『座って。』
「うん。」
可愛らしいローテーブル。
ほたるは慣れた手つきで茶器を用意する。
ふわり、と甘く爽やかな香り。
「いい匂い。」
『ジャスミン茶。』
透き通った茶器へ静かに注ぐ。
さらに小皿へ丸いクッキーを並べた。
『鳳春堂の。』
「え?」
『美味しいよ。』
一口食べる。
「……。」
「おいしい。」
『でしょ。』
少しだけ得意そうだった。
◇◇◇
席へ戻ると。
ほたるが自然に隣へ座る。
『ちょっと。』
「うん?」
肩へ軽く寄りかかる。
スマホを取り出し。
インカメラを起動。
『もう少しこっち。』
「え、こう?」
カシャ。
一枚。
二枚。
三枚。
画面を確認する。
『うん。』
『綺麗。』
そのまま弓弦へ送信。
通知が鳴る。
「…ありがとう。」
『あとで使って。』
「宝物にする。」
『え?….そっか。』
小さく笑って。
ほたるはソファへ身体を預けた。
『……眠い。』
「うん。」
『一時間。』
『寝る。』
「え?」
『起こして。』
「え?」
『よろしく。』
そのまま。
ころん、と横になる。
数十秒後には。
すぅ……。
規則正しい寝息が聞こえてきた。
「…………。」
本当に寝た。
弓弦は動けない。
(無防備すぎる。)
(俺、男なんだけど。)
(……。)
(信頼、してくれてるのかな。)
嬉しかった。
その信頼が。
壊したくないと思った。
だから静かに。
ジャスミン茶を一口飲む。
窓から差し込む柔らかな夕陽。
穏やかな部屋。
優しいお茶の香り。
そして。
ソファで安心しきって眠る、世界で一番好きな人。
(……幸せだ。)
推しの淹れてくれたお茶を飲みながら。
推しの寝顔を眺める。
そんな贅沢な一時間が、この世にあるなんて。
弓弦はまだ、夢でも見ているような気分だった。
◇◇◇
翌朝。
アステリア・プロダクション。
Asterismの楽屋。
扉を開けた瞬間だった。
「おう。」
「おはよー。」
「お疲れ様。」
三人が一斉にこちらを見た。
そして。
「おうちデート。」
「……え?」
水城がにやりと笑う。
「楽しかった?」
「……え?」
黒瀬まで笑いを堪えている。
「ほたるちゃんの家ってどんな感じ?」
「…………え?」
神崎は新聞を読みながら一言。
「お茶は美味かったか。」
「…………。」
弓弦の思考が止まる。
「……なんで知ってるの?」
部屋が静まり返る。
三人は顔を見合わせた。
「え。」
「知らないと思ってたの?」
「いや。」
「弓弦。」
水城がスマホを差し出す。
「見て。」
「?」
画面には。
ほたるの公式Instagram。
最新投稿。
写真は昨日、自宅で撮ったツーショットだった。
ソファに並んで座る二人。
肩を寄せるほたる。
緊張して少し表情が硬い弓弦。
自然で。
柔らかくて。
恋人らしい一枚。
添えられた文章は短い。
――おうちで少し休憩。
「…………。」
弓弦は固まった。
「え。」
スクロールする。
いいね。
「……。」
「……。」
「……二百八十万?」
「今朝見た時は二百七十万だったから。」
黒瀬が笑う。
「もう三百万いくんじゃない?」
コメント欄も凄まじかった。
『尊すぎる。』
『付き合ってるの本当だった。』
『家!?』
『おうちデート!?』
『ほたるちゃん家!?』
『弓弦くん顔真っ赤で可愛い。』
『世界一幸せな男。』
『この写真、国宝。』
「…………。」
弓弦の手が震え始める。
「……俺。」
「うん。」
「載ってる。」
「載ってる。」
「ほたるちゃんの。」
「うん。」
「Instagramに。」
「うん。」
「俺。」
「うん。」
数秒の沈黙。
そして。
「やったぁぁぁぁぁぁぁ!!」
飛び跳ねた。
「載った!!」
「公式!!」
「推しのInstagramに俺がいる!!」
「落ち着け。」
神崎が即座に肩を掴む。
「見てこれ!」
「見て!」
「ツーショット!」
「保存しよ!」
「保存早っ。」
「スクショもしよ!」
「投稿消えないから。」
「バックアップ!」
「だから消えない。」
水城は腹を抱えて笑っていた。
「今朝。」
「朝六時に見つけた。」
「弓弦絶対喜ぶと思った。」
「喜ぶに決まってるだろ!」
「世界一嬉しい!」
その顔は、一昨日のスタンプを見た時と同じくらい幸せそうだった。
しかし。
「いや。」
黒瀬が冷静に口を開く。
「弓弦。」
「ん?」
「喜んでるところ悪いけど。」
「?」
「完全に商売にされてるから。」
「…………え?」
「この投稿だけで。」
水城が数字を見せる。
「フォロワー十五万人増。」
「関連ワード全部トレンド。」
「企業公式まで反応。」
「カップル起用お願いします、ってコメントまで付いてる。」
「雑誌社も記事にしてる。」
神崎がスマホを差し出した。
ネットニュース。
『“おうちデート”公開。ほたる&弓弦、自然体ショットにファン歓喜』
『「本当に付き合ってるんだ」と反響』
『理想のカップルとの声』
「……。」
さらに。
「スポンサーも動いた。」
神崎は淡々と言う。
「家電。」
「家具。」
「飲料。」
「旅行。」
「全部、『二人で』のオファー。」
「……。」
「ルミエールも。」
「アステリアも。」
「今頃笑いが止まらない。」
弓弦は少しだけ考えた。
「……。」
「……。」
「……つまり?」
水城がにやっと笑う。
「昨日のデート。」
「うん。」
「ちゃんとデートでもある。」
「うん。」
「でも。」
「うん。」
「めちゃくちゃ仕事でもある。」
「…………。」
「完全に。」
「ビジネスです。」
弓弦は肩を落とした。
「……そっか。」
「かわいそう。」
「でも。」
次の瞬間。
スマホを見て、またにやける。
「ほたるちゃんが。」
「自分のInstagramに。」
「俺との写真載せてくれた。」
「嬉しい。」
「…………。」
三人は顔を見合わせる。
水城が呆れたように笑った。
「な?」
「燃費良すぎるだろ。」
「商売に使われてるって説明されても。」
「結局そこなんだよ。」
黒瀬も肩を震わせる。
「推しに認知されて、写真載せてもらえたオタクの思考そのもの。」
「トップアイドルのセンターとは思えない。」
神崎はコーヒーを飲みながら、小さく笑った。
「幸せなら。」
「それでいいんじゃないか。」
「だよね!」
即答だった。
そのあまりにも迷いのない返事に。
三人はとうとう堪えきれず、大笑いした。




