43.
⭐︎43.
その頃。
ルミエール・エンターテインメント所属タレント専用車。
黒いワンボックスは都内を静かに走っていた。
窓の外では、今日もテレビ局の中継車が忙しなく行き交う。
ラジオからは。
『恋愛リアリティーショー”Love Archive”最終回の反響が止まりません──』
そんなニュースが流れていた。
後部座席。
ほたるは窓にもたれ、小さく欠伸を噛み殺す。
『……眠い。』
ぽつり。
それだけ言うと、再び外へ視線を向けた。
その隣では、マネージャーのレナがタブレットを見ながら苦笑する。
「あんた、本当に興味ないわね。」
『なに?』
「今、日本中があなた達の話しかしてないのよ?」
『そうなんだ。』
返事は軽い。
まるで今日の天気でも聞いたような反応だった。
「新聞。」
『見てない。』
「ニュース。」
『寝てた。』
「SNS。」
『やってない。』
「……でしょうね。」
レナは肩を落とした。
ほたるは昔からそうだった。
自分がどれだけ話題になろうが。
日本中から称賛されようが。
炎上しようが。
興味がない。
正確には。
お金にならないことに、あまり興味がない。
『今日のお仕事、何時まで?』
「二十一時予定。」
『そっか。』
「それしか聞かないの?」
『……うん。』
撮影が終われば帰れる。
今日は何時間眠れるだろう。
リンに電話できるかな。
その程度しか考えていなかった。
レナはそんなほたるを見て、小さく笑う。
「はい。」
一枚の封筒を差し出した。
ほたるは受け取り、中を見る。
数枚の書類。
『……契約?』
「そう。」
レナは静かに頷いた。
「番組終了後について。」
ページをめくる。
そこには大きく書かれていた。
――交際継続に関する契約書。
『……。』
『あぁ。』
それだけ。
驚きもしない。
困りもしない。
「もっと反応ないの?」
『お仕事でしょ?』
あまりにも自然な一言だった。
レナは苦笑する。
「そうね。」
『期間は?』
「未定。」
『ギャラは?』
その質問だけは少し早かった。
レナは思わず吹き出す。
「そこなの?」
『そこ。』
「あなたらしい。」
資料を一枚めくる。
「番組終了後の広報活動。」
「雑誌取材。」
「テレビ出演。」
「企業タイアップ。」
「イベント。」
「その期間中は恋人として振る舞うこと。」
ほたるは淡々と読んでいく。
『ふぅん。』
特に感想はない。
仕事が一つ増えた。
それくらいの認識だった。
「もちろん追加報酬も出る。」
その瞬間だった。
ほたるの手が止まる。
『……いくら?』
レナは笑いを堪える。
「そこだけ反応するのね。」
『大事。』
「まあ、あなたにとってはそうか。」
ページを開き、金額を見せる。
ほたるは数秒眺め。
『うん。』
静かに頷いた。
『いいお仕事。』
「現金ねぇ。」
『お金好きだから。』
悪びれもしない。
「知ってる。」
車内に小さな笑いが広がる。
少し間を置いて。
レナは真面目な表情になった。
「一つだけ。」
『?』
「これは、篠宮社長の判断。」
その名前に、ほたるは顔を上げる。
『うん。』
「昨日の告白。」
「本当は断るつもりだったでしょう?」
『……うん。』
「でも。」
レナはあの瞬間を思い出す。
砂浜。
少し離れた場所。
スタッフの中で微笑む篠宮誘人。
そして。
小さく送られた合図。
「社長が許可を出した。」
『うん。』
「だから、この契約も社長の考え。」
ほたるは書類へ視線を戻す。
少しだけ考えて。
『分かった。』
その一言だけだった。
「理由、聞かないの?」
『社長には社長の考えがあるから。』
迷いのない声。
『私は、それを信じるだけ。』
その言葉に。
レナは少しだけ切なく笑った。
この子は。
芸能界で唯一、無条件に篠宮誘人を信じている。
だからこそ。
何も疑わない。
「あと。」
レナは封筒からもう一枚、小さな紙を取り出した。
「これ。」
『?』
「御影弓弦さんの連絡先。」
『……。』
一瞬だけ見つめる。
『登録しとく。』
スマートフォンを取り出し。
数秒で入力を終える。
それだけ。
画面を閉じる。
「それだけ?」
『うん。』
「何か送らないの?」
『まだ仕事じゃないし。』
レナは思わず笑ってしまう。
「向こうは、多分大騒ぎしてるわよ。」
『そう?』
「絶対。」
ほたるは想像する。
王子様みたいに格好良くて。
でも時々、びっくりするくらい分かりやすい人。
自然と口元が少しだけ緩んだ。
『……ふふ。』
「珍しい。」
『ん?』
「今、笑った。」
『そう?』
本人には自覚がなかった。
車は静かに次の現場へ向かって走り続ける。
窓の外には、夏の青空がどこまでも広がっていた。




