32.
⭐︎32.
山道。
木漏れ日の中を、弓弦と美月はゆっくり歩いていた。
足元は少しずつ悪くなっていく。
舗装されていた道は細くなり、小石や木の根が目立ち始めていた。
「大丈夫?」
弓弦が振り返る。
「疲れてない?」
「大丈夫です。」
美月は小さく微笑む。
「ありがとうございます。」
「無理しないで。」
「今日はサバイバルだけど、安全第一だから。」
その言葉は自然だった。
恋愛リアリティーショー。
それでも、弓弦は相手を気遣うことを忘れない。
王子様。
そう呼ばれる理由が分かるような振る舞いだった。
その時だった。
風に乗って。
どこか遠くから歌声が聞こえてきた。
『──♪』
「……。」
弓弦の足が止まる。
「この声。」
聞き間違えるはずがない。
ほたるだ。
しかも。
伴奏がない。
完全なアカペラ。
そして、その数秒後。
もう一つの声が重なった。
伯耆。
二人の声が、美しく山へ響いていく。
思わず鳥肌が立つほど綺麗なハーモニー。
(やば……。)
弓弦は心の中だけで叫んだ。
(生歌だ。)
(しかも即興!?)
(ちょっと待って。)
(録音したい。)
(いや、できない。)
(くそっ……!)
(今日来てよかった……。)
(いや違う。)
(伯耆さんと歌ってる!?)
(ハモってる!?)
(なんでそんな綺麗に合うの!?)
(ほたるちゃん今日も可愛いし。)
(歌まで可愛いし。)
(最高じゃん……。)
頭の中では、完全にオタクだった。
その横で。
「……。」
美月も立ち止まっていた。
「ほたるちゃんの生歌……。」
ぽつりと漏らす。
「やばい。」
「え?」
弓弦が思わず振り向く。
「え?」
美月も同じように弓弦を見る。
二人とも、数秒固まった。
同士はなんとなく、分かってしまう。
「もしかして……。」
美月が恐る恐る聞く。
「御影さん。」
「はい。」
「ほたるちゃん……。」
「好きですか?」
「……。」
一秒。
二秒。
弓弦は小さく咳払いをした。
「えっと。」
「……ファンかな。」
「やっぱり!」
美月の目が一気に輝いた。
「私もです!」
「え!?」
今度は弓弦が驚く番だった。
「そうなの?」
「デビューからずっと!」
「ライブも!」
「配信も!」
「写真集も!」
「全部!」
「えぇ!?」
二人とも、完全にスイッチが入った。
「この前のアリーナツアー!」
「行きました?」
「…もちろん!」
「三日間!」
「私も!」
「センターステージの最後!」
「あの高音!」
「分かります!?」
「分かる!」
「やばかったですよね!」
「鳥肌!」
「ですよね!」
二人とも、歩きながら小声で盛り上がる。
完全にオタクトークだった。
しかし。
弓弦はふと我に返る。
「……。」
前を見る。
山道が急に険しくなっていた。
細い。
しかも、左側は斜面。
「美月さん。」
「はい?」
「ここ。」
「足元だけ見て。」
「結構危ない。」
「あ……。」
美月も表情を引き締める。
「ありがとうございます。」
「あと。」
弓弦は先へ回り込む。
「俺の後ろ歩いて。」
「え?」
「落ちたら困る。」
「……。」
美月は少し照れながら頷いた。
「はい。」
二人は慎重に歩き始める。
その時だった。
――ズズッ。
どこか遠くで。
嫌な音がした。
「……?」
弓弦が顔を上げる。
次の瞬間。
ゴゴゴゴッ!!
山全体が震えるような音。
木々が揺れる。
鳥たちが一斉に飛び立った。
「崖崩れ!?」
美月が息を呑む。
スタッフの無線が一斉に鳴り始める。
「確認!」
「北ルートで崩落!」
「出演者の位置を確認!」
山道の向こう。
伯耆が立ち尽くしていた。
「ほたるちゃん!」
叫ぶ声。
その視線の先。
崩れた土砂の向こう側に、小さな人影が見えた。
「動かないで!」
伯耆はすぐに無線機を掴む。
「本部!」
「北ルート!」
「崩落です!」
「ほたるちゃんが向こう側に――」
言い終わる前だった。
弓弦はもう走っていた。
「御影さん!??」
スタッフが呼び止める。
止まらない。
崩れた斜面を一目見て。
安全に下りられる場所を一瞬で見極める。
そして。
迷いなく斜面へ飛び込んだ。
「えっ!?」
スタッフが息を呑む。
足場を選び。
木の幹へ手を掛け。
岩を蹴る。
まるで重力を感じさせない動きだった。
「身体能力、高っ……。」
誰かが思わず呟く。
伯耆も目を見開く。
「御影さん!」
弓弦は返事もしない。
視線の先には。
ただ一人。
ほたるだけが映っていた。




