18.
⭐︎18.
眩しいほどの歓声だった。
「弓弦ー!!」
「こっち見てー!」
何万人ものペンライトが夜空を埋め尽くす。
ステージ中央。
スポットライトを一身に浴びながら、御影弓弦は軽やかにターンを決めた。
金色の髪が照明を受けて煌めく。
歌い、踊り、ファンサービスを欠かさない。
まるで王子様。
いや――誰もが認める、日本トップクラスのアイドルだった。
「ありがとう。」
最後の決め台詞と同時に、客席から大きな悲鳴のような歓声が上がる。
隣では神崎が余裕の笑みを浮かべ、水城は会場を煽り、黒瀬は軽やかに手を振っている。
四人組トップアイドル・Asterism。
歌もダンスもビジュアルも一級品。
今、日本で最も勢いのあるグループだった。
◇ ◇ ◇
「お疲れ様でした!」
ライブを終えた楽屋。
弓弦は鏡の前へ腰掛けながら、大きく息を吐いた。
さっきまで王子様だった男は、ネクタイを緩めた瞬間、年相応の青年へ戻る。
「今日もすごかったな。」
水城が缶ジュースを投げる。
「ん。さんきゅ。」
軽く受け取り、喉を潤す。
その時。
マネージャーの阿久津が番組資料を机へ置いた。
「皆さん、お疲れ様です。」
「次の作品が決まりました。」
「来週から打ち合わせが始まります。」
弓弦は何気なく薄い台本を開いた。
キャストのページ。
そこに書かれていた名前を見た瞬間だった。
“ほたる”
「……え。」
思わず声が漏れる。
「うそ。」
「マジ?」
弓弦は何度も名前を見返した。
「ほ、ほたるちゃん……?」
「また、共演?」
「俺が?」
みるみる顔が赤くなる。
「おい。」
神崎が呆れたように笑う。
「顔。」
「あ。」
弓弦は慌てて咳払いをした。
「べ、別に?」
「普通だけど?」
「普通?」
黒瀬が吹き出す。
「今、耳まで真っ赤だったぞ。」
「違う!」
「これは暑くて!」
「ライブ終わりだから!」
「はいはい。」
水城が肩を叩く。
「推しと再共演、おめでとう。」
「うるさい!」
楽屋は笑いに包まれた。
◇ ◇ ◇
数週間後。
その日は簡単な撮影のみ。
現場は予想以上に和やかだった。
ほたるは相変わらず、誰にでも笑顔を向ける。
スタッフ一人ひとりへ頭を下げ、小道具担当とも楽しそうに話している。
その姿に、弓弦は何度も見惚れた。
休憩時間。
ほたるは眠そうに欠伸をすると、
『……眠い。』
ぽつりと呟き。
いつものように、そのまま弓弦の隣へ腰を下ろした。
「え?」
次の瞬間。
ことん。
肩へ軽い重みが乗る。
ほたるが、そのまま弓弦へ身体を預けて眠ってしまった。
「…………。」
弓弦の思考が止まる。
近い。
近すぎる。
ふわりと甘いシャンプーの香りがした。
「寝ちゃった。」
スタッフが微笑む。
「起こすの可哀想ですね。」
「このまま撮っちゃお。」
誰かがスマートフォンを向ける。
パシャリ。
悪意などない。
ただ微笑ましい一枚だった。
弓弦は動けなかった。
起こすこともできず、肩を貸したまま静かに座っている。
その写真が、後に番組公式SNSへ投稿され、大きな話題になることを、この時はまだ誰も知らなかった。
◇ ◇ ◇
その日の撮影終了後。
「お疲れ様でした!」
弓弦も帰ろうとして――ふと足を止める。
「あ。」
スマートフォン。
充電器へ繋いだまま、控室に忘れてきたらしい。
苦笑しながら、静まり返った廊下を引き返す。
人影はほとんどない。
片付けをするスタッフの声だけが遠くから聞こえてくる。
その時だった。
廊下の奥。
応接室の扉が、ほんの少しだけ開いていた。
中から聞こえたのは、穏やかな男の声。
「今日も頑張ったね。」
続いて、小さく笑うほたるの声。
弓弦は思わず足を止める。
扉の隙間から見えたのは、ソファへ座るほたると、一人の男。
黒いスーツをまとった端正な横顔。
その男は自然な仕草でほたるの髪を耳へ掛ける。
ほたるは拒まない。
慣れたように目を閉じる。
男はそっと彼女の額へ口づけ、そして静かに唇を重ねた。
短く、穏やかな口づけ。
言葉はいらないと言わんばかりの、長い時間を積み重ねた者同士の空気。
弓弦は息を呑む。
足が動かなかった。
やがて男は微笑み、
「おやすみ、ほたる。」
と優しく告げる。
『……うん。おやすみ。』
何事もなかったような二人のやり取りだけが、静かな部屋に溶けていった。
◇◇◇
翌朝。
撮影スタジオの控室。
窓から差し込む朝日が、まだ人気のない部屋を照らしていた。
弓弦はソファへ深く腰を下ろし、ぼんやりとスマートフォンを眺めていた。
昨夜はほとんど眠れなかった。
目を閉じれば、あの光景が浮かぶ。
ほたるが静かに目を閉じ、男と唇を重ねた瞬間。
あまりにも自然だった。
あれが初めてではない。
見た瞬間に分かった。
慣れている。
何度も繰り返してきた者同士の距離だった。
「……。」
胸の奥が重い。
自分には関係ない。
そう言い聞かせても、心は納得してくれなかった。
画面には、昨夜見た男の記事。
芸能ニュースのトップに大きく載っている。
『国民的俳優・篠宮誘人、新作映画が興行収入歴代一位を更新』
写真の中の男は、黒いスーツ姿で穏やかに微笑んでいた。
整った顔立ち。
柔らかな目元。
誰が見ても好青年。
昨日見た姿と何も変わらない。
優しい笑顔だった。
コンコン。
控室の扉が開く。
「おはよー。」
缶コーヒーを片手に水城が入ってきた。
続いて神崎、黒瀬も姿を見せる。
「弓弦、早いじゃん。」
「……。」
「あれ?」
返事がない。
水城は首を傾げながら隣へ座り、弓弦のスマートフォンを覗き込んだ。
「ああ。」
すぐに納得したように頷く。
「ほたるの事務所の社長だな。」
その一言に、神崎も足を止める。
「篠宮誘人か。」
黒瀬が目を丸くした。
「え、この人社長なの?」
「俳優じゃないの?」
「両方。」
水城が肩をすくめる。
「元アイドル。」
「歌って踊って、ドラマも映画も全部ヒット。」
「で、今は社長。」
「今でも主演張ってる。」
「バケモンだよ。」
「へぇ……。」
黒瀬が感心したように記事を眺める。
「めちゃくちゃ優しそうな人。」
「テレビでもこんな感じだよな。」
神崎は短く答えた。
「評判はいい。」
「スタッフ受けもいい。」
「新人にも優しい。」
「現場で怒鳴ってるところを見たことがないって話だ。」
「完璧じゃん。」
黒瀬が笑う。
水城は苦笑した。
「まぁ、表はな。」
「え?」
少しだけ声を落とす。
「色々黒い噂あんだよね。」
空気が少し変わる。
弓弦も思わず顔を上げた。
「……黒い噂?」
「噂だからな。」
水城は前置きする。
「証拠なんて一つもない。」
「でも、昔っから業界じゃ有名。」
缶コーヒーを一口飲む。
「篠宮誘人に嫌われると、仕事が減る。」
「逆に気に入られると、一気に売れる。」
「そんな話。」
黒瀬が笑う。
「都市伝説じゃん。」
「俺もそう思う。」
水城は頷く。
「でもさ。」
「芸能界って、そういう都市伝説が一番怖いんだよ。」
神崎が静かに続けた。
「スポンサー。」
「テレビ局。」
「映画会社。」
「広告代理店。」
「全部、人間関係で回ってる。」
「誰が誰と繋がってるかなんて、外からは見えねぇ。」
「だから。」
水城は記事へ視線を落とした。
「この人を敵に回したくないって人は、多いらしい。」
弓弦は写真を見つめる。
昨夜、ほたるへ向けていた優しい笑顔。
あれは演技だったのか。
それとも本心だったのか。
分からない。
「あとさ。」
水城が思い出したように笑う。
「恋愛関係の噂も、ほとんど出ないんだよな。」
「へぇ?」
「不思議なくらい。」
「週刊誌に撮られても、出る前に消えるとか。」
「付き合ってたタレントが急に海外行ったとか。」
「そんな話は聞く。」
「まぁ、全部噂。」
そう言って笑う。
けれど、その笑顔はどこか乾いていた。
「芸能界なんてさ。」
「表じゃ夢を売ってるけど。」
「裏じゃ、誰が誰を守って、誰が誰を切るか。」
「そんな世界だから。」
控室が静まり返る。
弓弦は無意識にスマートフォンを握り締めていた。
昨夜、自分が見たもの。
あれも――。
誰にも見せてはいけない、芸能界の裏側だったのかもしれない。
そう、思った。




