15.
⭐︎15.
いつだったかの。
水城の疑問。
それの答えは。
向こうからやってきたーー。
その日。
急遽、Asterismの番宣コメント収録が決まった。
ドラマの放送開始に合わせた追加収録。
本来のスケジュールには入っていなかった仕事だ。
夕方、四人は阿久津に連れられ、都内のテレビ局へ入る。
「今日は急な収録なので、楽屋は空いている部屋をお借りしています。」
阿久津が歩きながら説明する。
「収録自体は十五分ほどです。そのあと、そのまま次の現場へ向かいます。」
「了解。」
神崎が短く返事をした。
案内されたのは、古い別館のスタジオだった。
長い廊下。
少しくすんだ壁紙。
ところどころ軋む床。
年季を感じる建物だった。
「懐かしいなぁ。」
水城が廊下を見回す。
「ここ、まだ使ってたんだ。」
「知ってんの?」
黒瀬が聞く。
「デビューした頃、一回来た。」
水城は苦笑した。
「壁、めちゃくちゃ薄いんだよ。」
「え?」
「隣の笑い声とか普通に聞こえる。」
「まじか。」
「だから昔から有名。」
そう笑って楽屋へ入る。
四人とも、その言葉を深く気に留めることはなかった。
◇◇◇
楽屋は思っていたより狭かった。
ソファが一つ。
ローテーブル。
姿見。
壁掛けテレビ。
最低限の設備だけが置かれている。
神崎は台本を確認し。
黒瀬はスマートフォンを取り出し。
水城は冷蔵庫を開けて飲み物を漁る。
弓弦はソファへ腰を下ろし、ぼんやり番宣コメントを読み返していた。
その時だった。
隣の楽屋のドアが勢いよく開く音がした。
「お疲れさまでーす!」
元気いっぱいの女性の声。
続いて、ばたばたと荷物を置く音。
誰かが笑っている。
別の収録だろう。
誰も気にしなかった。
だが。
「ちょ、ほたる! そんなとこで寝ないで!」
聞こえてきた名前に。
四人の動きが、ぴたりと止まった。
静まり返る楽屋。
『むり。』
ぼそり。
力の抜けた声。
聞き間違えるはずがない。
ほたるだった。
「ねんなァァァァ!!」
『むり。昨日も寝てない。』
「だから昨日も言ったじゃん!」
「断ればいいのに!」
『やだよ。』
『あの、おじさん。』
『私のこと好きだもん。』
『次の仕事に繋がる。』
「汚い大人を利用すんなァァァァア!!」
『利用じゃない。』
『需要と供給。ビジネス。』
「経済で説明するのやめてくんない?」
「腹立つから」
『向こうは可愛い子と話せて幸せ。』
『私は仕事もらえて幸せ。』
『Win-Win。』
「それ、その笑顔で言うことじゃない!」
ほたるは眠そうに欠伸をする。
『しかもね。』
『次の主演。』
『CM二本。』
『雑誌の表紙。』
『全部あのおじさん。』
「…営業部に異動したら?」
『やだ。』
『営業は歩くじゃん。』
『疲れる。タイパ悪すぎ。』
「そこか!」
『ニコニしてるだけで仕事くれる。』
『最高。』
「アイドルとして終わってる!」
『アイドルだからできるんだよ。』
「開き直るな!」
「ね、本当に食事だけ?」
「変なことされてない?」
『…….。』
「…….。」
「急に黙るのやめて?」
「こっわ!!やだやだやだ。」
間。
『…売れる子はね。』
『可愛いだけじゃだめ。』
『空気読む。』
『相手を気持ちよくする。』
『帰る頃には財布も緩くなってる。』
「言い方ァ!!」
『事実。』
「もっとオブラートに包め!」
『シルクで包む?』
「そういう問題じゃない!」
ほたるはスマホを見て、小さく口角を上げる。
『あ、振り込み。』
その瞬間だけ、目が輝いた。
「その顔!」
「ファンイベントでやれ!」
『無理。』
『あそこ、お金増えないもん。』
「ファンがいるから今のお前があるんだよ!」
『知ってる。』
『だから営業スマイル。』
「営業って言うな!」
『みんな幸せ。』
『ファンは可愛い私を見れて幸せ。』
『私はお給料入って幸せ。』
『世界平和。』
「その平和、金でできてる!」
『資本主義。』
「高校の公民みたいに言うな!」
ほたるは真顔でマネージャーを見る。
新しい仕事の話を思い出していた。
『ねぇ。』
「なんだ。」
『恋愛リアリティーショーって、スポンサー何社?』
「おい。」
『出演料いくら?』
「おい。」
『炎上したらフォロワー増える?』
「やめろ。」
『CM減る?』
「そこまで計算してるの!?」
『当然。』
『恋愛に興味はない。』
『お金増えなくて、時間だけ減る。』
『コスパ悪すぎ。』
『でも、その点…数字は好き。』
『数字は裏切らない。』
「アンタ怖い!」
『で。』
『キス一回でCM一本増えるなら考える。』
「考えるなァァァ!!」
『ハグは?』
「値段交渉するな!」
『ドラマなら?』
「役ならいい!」
『でも、プライベートは高いよ。』
「何の価格表だ!!」
ほたるは眠そうなまま、さらりと言った。
『安売りすると価値下がる。』
マネージャーは頭を抱える。
「誰だ……。」
「この子を”国民的清純派アイドル”なんて売り出したやつ……。」
ほたるはゆっくり指を差した。
『あなたたち。』
「そうだったァァァァ!!」
『見る目ある。』
「褒められてる気が一ミリもしない!!」
『でも売れた。』
「……。」
『結果がすべて。』
マネージャーは何も言い返せず、静かに天を仰いだ。
「……くそ。」
「ほんと、性格は最悪なのに、芸能界の勝ち方だけは全部わかってやがる……。」
「あんたね…」
「なんで?」
「もう十分稼いでるじゃない!」
少しだけ間が空く。
『足りない。』
短い。
それだけだった。
「強欲。」
『なんとでも言って。』
「もう……。」
レナのため息が聞こえる。
「少しは休みなよ。」
『レナ。』
「ん?」
『いつも言ってる。』
『そういうの、うざいから。』
一瞬、静かになる。
『心配する暇あるなら。』
『ーー黙って仕事だけ取ってきて?』
しん、と静まり返る。
隣の楽屋も。
こちらの楽屋も。
誰も何も言えなかった。
疑問は、一つだけ解けた。
どうやら。
ほたるは、お金のために働いているらしい。
◇◇◇
「……。」
最初に動いたのは、阿久津だった。
険しい表情のまま、ゆっくり立ち上がる。
「阿久津さん?」
神崎が声を掛ける。
阿久津は壁へ視線を向けたまま、小さく息を吐いた。
「このスタジオは……。」
「壁が薄いことで有名なんです。」
自然と小さな声で話す。
三人が顔を見合わせる。
「普通は。」
「出演者同士を隣同士の楽屋にはしません。」
その一言で、水城も事情を察した。
「じゃあ……。」
「向こうも。」
「こちらが隣だとは知らないはずです。」
阿久津の眉間に皺が寄る。
「確認してきます。」
そう言い残し、楽屋を出て行った。
◇◇◇
廊下へ出ると、ちょうど番組ディレクターが資料を抱えて歩いてきた。
「あっ、阿久津さん!」
ディレクターは顔色を変える。
「申し訳ありません!」
開口一番、頭を下げた。
「今日、急遽スタジオを押さえた関係で、楽屋の割り振りまで確認が回っていなくて……。」
阿久津は静かに尋ねる。
「隣は、どなたですか。」
「あ……。」
ディレクターの表情が固まる。
「ほたるさんです。」
「……。」
「Asterismさんが入ること、向こうも知らなくて……。」
阿久津は小さく目を閉じた。
双方とも、完全な事故だった。
その時だった。
隣の楽屋の扉が開く。
「レナちゃん!」
ディレクターが慌てて声を掛ける。
「隣!」
「Asterismさんだから!」
「……え?」
レナが固まる。
「え、うそ。」
「今知ったんですか?」
「ごめん! 急だったから俺も確認漏れてて!」
レナの顔から血の気が引く。
「ちょ、ほたる!」
振り返る。
ソファでは。
バッグを抱えたまま、ほたるが丸くなって眠っていた。
「……寝た。」
レナは額を押さえる。
「この子、三秒で寝るんだから……。」
肩を落とし、小さくため息をついた。
「ほたる起こしても寝ぼけるだけだし。」
「私だけ、ご挨拶してきます。」
そう言って姿勢を正す。
乱れた前髪を整え、深呼吸を一つ。
そして、Asterismの楽屋の前へ立つと、申し訳なさそうに扉をノックした。
◇◇◇
コンコン。
控えめなノックが、静かな楽屋へ響いた。
「失礼します。」
扉が開き、顔を覗かせたのはレナだった。
さっきまで壁の向こうで賑やかに騒いでいた姿とは違い、どこか気まずそうに笑っている。
「あ。」
楽屋へ入るなり、阿久津の姿を見つけたレナは、ほっと肩の力を抜いた。
「あー、阿久津さんで良かった。」
「お久しぶりです。」
「お久しぶりです。」
阿久津も軽く会釈を返す。
顔見知りなのは本当らしい。
芸能界は狭い。
レナは頭を掻きながら苦笑した。
「ほんと、ごめんなさい。」
「まさかお隣がAsterismさんだなんて知らなくて。」
「こちらも同じです。」
阿久津は穏やかに答えた。
「急な収録でしたから。」
「ですよねぇ……。」
「紙貼ってなかったから。」
レナは大きくため息をつく。
「このスタジオ、壁薄いの有名なのに。」
「普通なら隣に入れないですよ。」
「ええ。」
「完全にディレクターの手配ミスですね。」
二人は顔を見合わせ、小さく苦笑した。
少しだけ空気が和らぐ。
そして。
レナは阿久津を見て、いたずらっぽく笑った。
「ね。」
「はい?」
「聞こえてましたよね?」
阿久津は一瞬だけ黙り、小さく頷いた。
「……聞こえてしまいました。」
「ですよねぇ。」
レナは頭を抱える。
「あーあ。」
「最悪。」
そう言って笑うが、どこか困ったような笑みだった。
「お願いがあります。」
少しだけ真面目な顔になる。
「口外しないでください。」
阿久津は即座に頷く。
「もちろんです。」
「ありがとうございます。」
レナは四人へ向き直る。
「皆さんも。」
「お願いできますか?」
神崎が静かに答えた。
「分かっています。」
「他言するつもりはありません。」
「ありがとうございます。」
黒瀬も、水城も頷く。
レナは安心したように笑った。
「ほたる、多分知られたら本気で落ち込むので。」
「……。」
少し照れくさそうに笑う。
「疲れると、ああなります。」
「寝不足だと、もっと酷いです。」
水城が思わず笑う。
「三秒で寝るの?」
「あ、やっぱり聞こえてるね。」
レナは呆れたように肩をすくめた。
「ディレクターさんに『隣Asterismさんだよ』って言われて振り返ったら、もう寝てました。」
「すげぇ。」
「限界だったんでしょうね。」
そう言って笑うレナの表情は、どこか優しかった。
その時だった。
ずっと黙っていた弓弦が、小さく口を開く。
「……一つだけ。」
レナが視線を向ける。
「なんですか?」
弓弦は少し迷ってから言った。
「ほたるちゃんに。」
「……。」
「無理、させないでください。」
その言葉に。
レナは一瞬だけ目を丸くした。
そして次の瞬間。
「はぁ!?」
思わず大きな声を上げた。
全員が驚いてレナを見る。
レナは眉を吊り上げ、半歩前へ出る。
「私が一番!」
胸を指差す。
「私が一番、あの子に無理させたくないんですけど!?」
楽屋が静まり返る。
レナは止まらなかった。
「寝ろって毎日言ってる!」
「休めって毎日言ってる!」
「仕事減らせって何回言ったと思ってるんですか!?」
息をつく間もなく続ける。
「でも!」
「あの子、聞かないんですよ!」
「『お金いるから。』の一点張り!」
「…..あの守銭奴め。」
「私だって止めたいですよ!」
「止められるなら、とっくに止めてます!」
そこまで言って、はっとしたように口を閉じる。
余計なことを口走ってしまった。
そんな顔。
そして。
少しだけ気まずそうに笑った。
「……すみません。」
「熱くなって。」
誰も責めなかった。
レナの表情を見れば分かる。
彼女もまた。
ほたるを守りたい一人なのだと。
レナは小さく頭を下げた。
「じゃあ、失礼します。」
「ほたる起きたら帰らないといけないので。」
そう言って、静かに扉を閉めた。
再び訪れた静寂の中。
弓弦は閉まった扉を見つめたまま、何も言えなかった。
ほたるのことを心配しているのは、自分だけじゃない。
それどころか。
すぐ隣で支え続けている人間がいる。
その事実だけが、胸の奥へ静かに残り続けていた。




