13.
⭐︎13.
京都ロケも、いよいよ終盤を迎えていた。
連日の撮影は大きなトラブルもなく進み、予定していたカットも残りわずか。
その夜。
撮影終了を労う打ち上げが、京都市内の老舗料亭で開かれていた。
会場には出演者だけではない。
監督。
プロデューサー。
制作会社の幹部。
テレビ局の編成。
スポンサー企業の役員。
広告代理店の担当者。
作品を支える多くの関係者が顔を揃えていた。
芸能界ではよくある光景だ。
撮影が終わっても、仕事は終わらない。
こうした席もまた、大切な仕事の一つだった。
「乾杯!」
グラスが重なり合い、会場は賑やかな笑い声に包まれる。
ほたるは今日も、いつもと変わらなかった。
『お疲れさまでした!』
スポンサーにも。
助監督にも。
衣装部にも。
新人の制作スタッフにも。
誰に対しても同じ笑顔。
誰かに呼ばれれば、すぐに駆け寄る。
話しかけられれば相手の目を見て笑う。
疲れているはずなのに、それを微塵も感じさせない。
「やっぱりすごいな。」
黒瀬が小さく呟く。
「ああ。」
神崎も頷いた。
「あれだけ現場が押しても、一度も顔に出さない。」
「ほたるちゃん、本当にプロだよな。」
水城が感心したように言う。
弓弦は少し照れくさそうに笑った。
「だから、ほたるちゃんなんだよ。」
「いや、お前はもう黙れ。」
水城が呆れ顔になる。
そんなやり取りに、三人は笑った。
◇◇◇
宴も終盤に差しかかった頃だった。
「ほたるさん。」
事務所の人間が静かに近づく。
ほたるは笑顔で振り返った。
『はい。』
「このあと、挨拶お願いします。」
その一言だけ。
ほたるは一瞬だけ目を伏せた。
ほんの一瞬。
それでもすぐに笑顔へ戻る。
『分かりました。』
深く頷き、また笑う。
そのまま静かに会場を後にした。
弓弦は、そのやり取りが妙に引っ掛かった。
「挨拶って?」
「さぁ。」
水城が肩をすくめる。
「雑誌の取材とかじゃない?」
「こんな時間に?」
「芸能界だし。」
確かに珍しくはない。
そう自分に言い聞かせた。
それなのに。
胸の奥のざわつきだけは消えなかった。
◇◇◇
ホテルへ戻ったあとだった。
喉が渇き、弓弦はコンビニへ向かおうとロビーへ降りる。
そこで、思わず立ち止まった。
ほたるだった。
さっきまでのワンピースではない。
黒いドレス。
派手ではない。
けれど、年齢以上に大人びた装いだった。
髪をゆるく下ろし、口紅だけを塗り直す。
鏡越しに、小さく息を吐いた。
『……仕事、仕事。』
ぽつり。
誰にも聞かせるつもりのない声。
そのままホテルを出ていく。
弓弦は迷った。
追い掛ける理由なんてない。
プライベートかもしれない。
余計なお世話かもしれない。
それでも。
気が付けば、その背中を追っていた。
◇◇◇
辿り着いた先は、高級ホテルだった。
京都でも名の知れた一流ホテル。
エントランスには黒塗りの高級車が何台も並ぶ。
一台の車が静かに止まる。
後部座席から降りてきたのは、七十代ほどの男性。
テレビや経済誌でも何度も見たことがある。
日本を代表する企業グループの会長だった。
ほたるは深々と頭を下げる。
『本日はよろしくお願いいたします。』
会長は穏やかに笑う。
「今日も来てくれてありがとう。」
『こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます。』
二人は並んでホテルへ入っていく。
その姿を見た瞬間だった。
弓弦の頭が真っ白になる。
胸が締め付けられる。
嫌な想像だけが膨らんでいく。
そんなはずない。
でも。
もしも。
閉まりかけたエレベーターへ向かって、弓弦は走っていた。
「待って!」
扉に手を差し込む。
センサーが反応し、エレベーターが再び開く。
会長が驚いたように目を丸くした。
ほたるも一瞬だけ動きを止める。
『……弓弦さん?』
「帰ろう。」
息が上がっていた。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「こんな仕事、しなくていい。」
『……。』
「ほたるちゃんがやる必要ない。」
「俺が何とかする。」
「だから帰ろう。」
しばらく。
ほたるは何も言わなかった。
ただ静かに弓弦を見つめる。
そして。
ふわりと笑った。
現場で毎日見てきた、あの笑顔。
『弓弦さん。』
「……。」
『そういうの、うざいから。』
柔らかな声だった。
怒鳴りもしない。
責めもしない。
笑顔のまま。
ただ、その目だけは驚くほど静かだった。
弓弦の身体が固まる。
『心配してくださって、ありがとうございます。』
『でも。』
笑顔は崩れない。
『これは、私のお仕事です。』
「仕事って……。」
『私が自分で選んで、自分で引き受けています。』
「でも!」
『弓弦さん。』
その声は穏やかだった。
だからこそ、余計に冷たく聞こえた。
『私の仕事に、踏み込まないでください。』
『アイドルには、アイドルのお仕事があります。』
『理解なんて求めてません。』
弓弦は言葉を失う。
『弓弦さんは、ファンに夢を見せる人でしょう?』
『だったら、そのままでいてください。』
『私は、私で稼ぎますから。』
その一言が、胸に刺さる。
会長は二人を見比べ、苦笑しながら口を開いた。
「お知り合いかな?」
『ドラマでご一緒させていただいている方です。』
ほたるは何事もなかったように微笑む。
『ご心配をお掛けしてしまいました。』
『申し訳ありません。』
深く頭を下げる。
そしてもう一度だけ弓弦を見る。
『おやすみなさい、弓弦さん。』
エレベーターの扉が閉まる。
静かに。
ゆっくりと。
数字だけが、一つ、また一つと上がっていく。
その場に残された弓弦は、動けなかった。
あんな笑顔をして。
あんな穏やかな声で。
「うざいから」と言われたことが、どうしようもなく苦しかった。
そして初めて知った。
自分が見ていた”国民的アイドル・ほたる”は、彼女のほんの一面でしかなかったのだと。




