表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/72

13.


⭐︎13.




京都ロケも、いよいよ終盤を迎えていた。


 連日の撮影は大きなトラブルもなく進み、予定していたカットも残りわずか。


 その夜。


 撮影終了を労う打ち上げが、京都市内の老舗料亭で開かれていた。


 会場には出演者だけではない。


 監督。


 プロデューサー。


 制作会社の幹部。


 テレビ局の編成。


 スポンサー企業の役員。


 広告代理店の担当者。


 作品を支える多くの関係者が顔を揃えていた。


 芸能界ではよくある光景だ。


 撮影が終わっても、仕事は終わらない。


 こうした席もまた、大切な仕事の一つだった。


「乾杯!」


 グラスが重なり合い、会場は賑やかな笑い声に包まれる。


 ほたるは今日も、いつもと変わらなかった。


『お疲れさまでした!』


 スポンサーにも。


 助監督にも。


 衣装部にも。


 新人の制作スタッフにも。


 誰に対しても同じ笑顔。


 誰かに呼ばれれば、すぐに駆け寄る。


 話しかけられれば相手の目を見て笑う。


 疲れているはずなのに、それを微塵も感じさせない。


「やっぱりすごいな。」


 黒瀬が小さく呟く。


「ああ。」


 神崎も頷いた。


「あれだけ現場が押しても、一度も顔に出さない。」


「ほたるちゃん、本当にプロだよな。」


 水城が感心したように言う。


 弓弦は少し照れくさそうに笑った。


「だから、ほたるちゃんなんだよ。」


「いや、お前はもう黙れ。」


 水城が呆れ顔になる。


 そんなやり取りに、三人は笑った。


     ◇◇◇


 宴も終盤に差しかかった頃だった。


「ほたるさん。」


 事務所の人間が静かに近づく。





 ほたるは笑顔で振り返った。


『はい。』


「このあと、挨拶お願いします。」



 その一言だけ。


 ほたるは一瞬だけ目を伏せた。


 ほんの一瞬。




 それでもすぐに笑顔へ戻る。


『分かりました。』


 深く頷き、また笑う。





 そのまま静かに会場を後にした。


 弓弦は、そのやり取りが妙に引っ掛かった。



「挨拶って?」


「さぁ。」


 水城が肩をすくめる。




「雑誌の取材とかじゃない?」


「こんな時間に?」


「芸能界だし。」




 確かに珍しくはない。


 そう自分に言い聞かせた。


 それなのに。


 胸の奥のざわつきだけは消えなかった。


     ◇◇◇


 ホテルへ戻ったあとだった。


 喉が渇き、弓弦はコンビニへ向かおうとロビーへ降りる。


 そこで、思わず立ち止まった。


 ほたるだった。


 さっきまでのワンピースではない。


 黒いドレス。


 派手ではない。


 けれど、年齢以上に大人びた装いだった。


 髪をゆるく下ろし、口紅だけを塗り直す。


 鏡越しに、小さく息を吐いた。


『……仕事、仕事。』


 ぽつり。


 誰にも聞かせるつもりのない声。


 そのままホテルを出ていく。


 弓弦は迷った。


 追い掛ける理由なんてない。


 プライベートかもしれない。


 余計なお世話かもしれない。


 それでも。


 気が付けば、その背中を追っていた。


     ◇◇◇


 辿り着いた先は、高級ホテルだった。


 京都でも名の知れた一流ホテル。


 エントランスには黒塗りの高級車が何台も並ぶ。


 一台の車が静かに止まる。


 後部座席から降りてきたのは、七十代ほどの男性。


 テレビや経済誌でも何度も見たことがある。


 日本を代表する企業グループの会長だった。


 ほたるは深々と頭を下げる。


『本日はよろしくお願いいたします。』


 会長は穏やかに笑う。


「今日も来てくれてありがとう。」


『こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます。』


 二人は並んでホテルへ入っていく。


 その姿を見た瞬間だった。


 弓弦の頭が真っ白になる。


 胸が締め付けられる。


 嫌な想像だけが膨らんでいく。


 そんなはずない。


 でも。


 もしも。


 閉まりかけたエレベーターへ向かって、弓弦は走っていた。


「待って!」


 扉に手を差し込む。


 センサーが反応し、エレベーターが再び開く。


 会長が驚いたように目を丸くした。


 ほたるも一瞬だけ動きを止める。


『……弓弦さん?』


「帰ろう。」


 息が上がっていた。


 頭の中はぐちゃぐちゃだった。


「こんな仕事、しなくていい。」


『……。』


「ほたるちゃんがやる必要ない。」


「俺が何とかする。」


「だから帰ろう。」




 しばらく。


 ほたるは何も言わなかった。


 ただ静かに弓弦を見つめる。




 そして。


 ふわりと笑った。


 現場で毎日見てきた、あの笑顔。





『弓弦さん。』


「……。」


『そういうの、うざいから。』



 柔らかな声だった。





 怒鳴りもしない。


 責めもしない。


 笑顔のまま。




 ただ、その目だけは驚くほど静かだった。


 弓弦の身体が固まる。


『心配してくださって、ありがとうございます。』


『でも。』


 笑顔は崩れない。


『これは、私のお仕事です。』


「仕事って……。」


『私が自分で選んで、自分で引き受けています。』


「でも!」


『弓弦さん。』


 その声は穏やかだった。


 だからこそ、余計に冷たく聞こえた。




『私の仕事に、踏み込まないでください。』



『アイドルには、アイドルのお仕事があります。』


『理解なんて求めてません。』



 弓弦は言葉を失う。  





『弓弦さんは、ファンに夢を見せる人でしょう?』


『だったら、そのままでいてください。』


『私は、私で稼ぎますから。』



 その一言が、胸に刺さる。




 会長は二人を見比べ、苦笑しながら口を開いた。


「お知り合いかな?」


『ドラマでご一緒させていただいている方です。』


 ほたるは何事もなかったように微笑む。


『ご心配をお掛けしてしまいました。』


『申し訳ありません。』


 深く頭を下げる。


 そしてもう一度だけ弓弦を見る。


『おやすみなさい、弓弦さん。』


 エレベーターの扉が閉まる。


 静かに。


 ゆっくりと。


 数字だけが、一つ、また一つと上がっていく。


 その場に残された弓弦は、動けなかった。


 あんな笑顔をして。


 あんな穏やかな声で。


 「うざいから」と言われたことが、どうしようもなく苦しかった。


 そして初めて知った。


 自分が見ていた”国民的アイドル・ほたる”は、彼女のほんの一面でしかなかったのだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ