12.
⭐︎12.
京都での撮影は、思っていた以上に長丁場だった。
朝はまだ日も昇りきらないうちにホテルを出て、撮影所へ向かう。
衣装合わせ。
かつら合わせ。
メイク。
香盤表の確認。
立ち位置の確認。
リハーサル。
本番。
返し。
寄り。
引き。
一つの場面を撮るだけでも、カメラ位置を変え、照明を組み直し、芝居を何度も繰り返す。
時代劇は、現代劇以上に時間がかかる。
だからこそ、待ち時間も多い。
場転待ち。
照明待ち。
メイク直し。
衣装の手入れ。
次のカットまで椅子へ腰掛け、談笑する時間は一日の中で意外なほど長かった。
そんな毎日を何週間も繰り返すうちに。
ほたるとAsterismの四人との距離は、自然と縮まっていった。
◇◇◇
「ほたるちゃん、おはよう。」
一番最初に声を掛けたのは水城だった。
『おはようございます!』
ぱっと花が咲くような笑顔。
その笑顔だけで、朝の眠気まで吹き飛びそうになる。
「昨日ちゃんと寝た?」
『三時間くらいです!』
「寝てねぇじゃん。」
黒瀬が思わず笑う。
『今日は早く終わるって聞いたので、帰ったらいっぱい寝ます!』
「終わればな。」
神崎が香盤表を眺めながら苦笑した。
「この押し方じゃ怪しい。」
『えぇー……。』
心底残念そうな顔。
それだけで周囲から笑いが起きる。
「ほたるちゃん、今日は殺陣からだったよね。」
『はい! 一番最初です。』
「怪我だけはするなよ。」
『はい!』
そんな何気ない会話が、もう当たり前になっていた。
四人は最初から、彼女を「ほたるちゃん」と呼んでいた。
そして、ほたるも自然と呼び方が変わっていく。
『弓弦さん。』
『晋也さん。』
『宗真さん。』
『晃一さん。』
苗字ではなく名前。
けれど、年上への敬意を忘れない「さん付け」。
それが実に心地よい距離感だった。
神崎はその様子を見ながら、小さく笑う。
「本当に人との距離の詰め方が上手いな。」
「分かる。」
黒瀬も頷いた。
「全然わざとらしくないんだよ。」
「押しつけがましくもないし。」
水城も続ける。
「気付いたら仲良くなってるタイプ。」
芸能界では、それが案外難しい。
人気者同士だからこそ、お互いに気を遣う。
近付き過ぎれば噂になる。
離れ過ぎれば現場がぎこちなくなる。
その絶妙な距離を保つのは簡単ではない。
それなのに、ほたるは違った。
スタッフにも。
共演者にも。
誰に対しても自然体。
照明部にも。
カメラ部にも。
録音部にも。
助監督にも。
大道具にも。
衣装部にも。
メイクにも。
誰一人として態度を変えない。
だから現場全体が、彼女のいる方向へ自然と明るくなる。
「さすが国民的アイドルだよな。」
黒瀬が感心したように呟く。
「あれは才能だ。」
神崎も静かに頷いた。
◇◇◇
そんなある日だった。
撮影は夜まで押していた。
「はい、一旦休憩入りまーす!」
助監督の声が飛ぶ。
役者は椅子へ戻り、水分補給。
照明部はライティングを組み替え。
カメラ部はレンズ交換。
美術部は小道具を入れ替える。
現場は次のカットへ向けて慌ただしく動き始める。
「あ。」
水城がふと視線を向けた。
「まただ。」
「ん?」
黒瀬も同じ方向を見る。
少し離れた縁側。
人目につきにくい場所で、ほたるがスマートフォンを耳に当てていた。
何度も頷きながら。
時折、小さく笑いながら。
その表情は、とても柔らかい。
ドラマの中で見せる笑顔とも。
ファンへ向ける営業スマイルとも違う。
もっと力の抜けた。
安心しきった笑顔だった。
「……彼氏かな。」
水城が何気なく呟く。
「ない。」
即答だった。
三人が一斉に振り向く。
弓弦だった。
しかも真顔。
「ない。」
もう一度言い切る。
「なんでお前が断言できるんだよ。」
水城が呆れたように笑う。
「ほたるちゃんに彼氏はいない。」
弓弦は一切迷わなかった。
その言い方があまりにも真剣で、水城は吹き出す。
「お前さぁ。」
「?」
「普段、結構遊んでるじゃん。」
「仕事の付き合い。」
「はいはい。」
水城は肩をすくめた。
「この業界さ、アイドル同士は簡単に遊べないだろ?」
「撮られたら終わりだからな。」
神崎が答える。
「だから紹介になる。」
黒瀬が続けた。
「信用できる奴から。」
「絶対に口の堅い子。」
「週刊誌と繋がってない。」
「写真も撮らない。」
「そういう子しか紹介されない。」
芸能界では珍しい話ではない。
人気俳優。
モデル。
アーティスト。
アイドル。
閉じた人脈の中で紹介が回る。
信用を失えば二度と誘われない世界。
だから皆、遊ぶ相手にも細心の注意を払っていた。
水城は缶コーヒーを片手に笑う。
「お前だって誘われるじゃん。」
「……。」
「断らない時もある。」
「仕事だ。」
「で?」
水城はニヤリと笑う。
「なんで、ほたるちゃんだけそんな神聖視してんの?」
「……。」
「完全にフィルターかかってる。」
弓弦は至って真面目な顔で答えた。
「当たり前だろ。」
「?」
「ほたるちゃんは。」
一拍置いて。
「尊い。」
一瞬、静まり返る。
そして。
「重症。」
水城が額を押さえた。
「末期だな。」
黒瀬が笑う。
「もう治療は無理そうだ。」
神崎まで苦笑する。
その頃。
電話を終えたほたるが、小走りで戻ってきた。
『お待たせしました!』
その笑顔を見た瞬間。
弓弦の口元がふっと緩む。
それを見逃さなかった水城が、小さく肘でつつく。
「ほら。」
「また顔戻ってねぇ。」
「センター。」
「カメラ回ってないぞ。」
三人の笑い声が、夜の京都撮影所へ静かに溶けていった。




