第106話 得体の知れない怪物
サリア・グレイファング――最優、無双の餓狼。
彼女は、数多くの異名で称賛されてきた獣人の元探索者だ。サクタローの奴隷となってからは、食っちゃ寝しながら日々を愉快かつ快適に過ごしている。
好きな食べ物は肉、好きな調味料はマヨネーズ、好きなお酒はレモンサワー、好きなテレビはフェアリープリンセスとすみっこ生活と暴れん坊の将軍。
刀が欲しくてサクタローにずっとねだっているが、いまだに買ってもらえていない。他にも、欲しい日本の品は数しれず。
もう前の生活には二度と戻れない、戻りたくない、と本人は常々考えている。何を言われても、絶対に今の生活を手放しはしない。なんなら、地べたに転がって全力でダダを捏ねることも辞さない。
そんなサリアは現在、高木と塀に覆われたサミール・ラドニ邸の敷地内を闊歩していた。身を隠すでもなく、気配を消すでもなく。大股でノシノシと、ある建物を目指して一直線。
他人の屋敷で堂々と何をしているのかといえば……大好きな主、サクタローから託された任務の遂行中である。
小用を口実に会談を抜け出し、先を歩く使用人が死角へ入った瞬間に身を翻す。そのまま気配を断って建物の外へ。
肝心の任務内容は、もちろん囚われたタリクの奪還。もし他の孤児たちが一緒なら、まとめて解放するよう指示を受けている。
目指す離れの建物もすぐに見つかった。敷地内は、街の物見塔から双眼鏡とやらで把握済み。今はもう、窓の端に貼られたキラキラのシールが遠目に見えている。
だが、サリアはピタリと足を止めた。
建物の入口に続く小道の半ばあたりに差しかかったそのとき、警備の男たちが行く手を阻むように立ちはだかったのだ。
数は四人。揃ってくたびれた革を使った衣服を着用し、短剣を腰に佩いている……どことなく、小悪党スクワッドと呼ばれる腐れ縁の探索者どもを彷彿させた。
「どこへ行こうってんだ、妙な服装のお嬢ちゃん」
「ラドニの旦那から、誰も離れへは通すなって指示を受けててな」
「悪いことは言わねえ、今すぐ回れ右しな」
男たちの口から次々に忠告の言葉が飛んでくる。しかしサリアは、腕を組みながら鬱陶しそうに聞き流す。家族以外にあれこれ言われるのはキライなのだ。
その立ち振る舞いに、恐れや躊躇いは微塵もない。むしろ武力をもって排除する気満々だ。あまり騒ぎを大きくしたくないが、任務の邪魔をするならばやむを得まい。
そもそも相手は、悪の片棒を担ぐような輩だ。成敗するのが世のため。きっと暴れん坊の将軍ならそうする。
というか、迷っていたら急に襲いかかってきた……ようなものだから、どう考えても正当防衛だ。それに、タリクを奪還すればなんとでもなる。
「……いや、その方が好都合か」
ふとした思いつきを肯定的に解釈するサリア。
近頃とんと暴力はご無沙汰で、若干体のなまりが気になっていた。そんなところへ舞い込んできた絶好の機会。これはもう、女神ミレイシュの思し召しに違いない。
「ほむ。我ながら頭が冴えているな」
無双の餓狼は軽率に武力を行使する、と評判だった。そして今、その凶暴性が存分に発揮されようとしている。まして今日は、大好きな姉のエマの制止もない。思う存分叩きのめせる。
「ようし。貴様ら、まとめてかかってこい。殺さない程度に相手をしてやる」
獰猛な笑みを浮かべ、右肩をぐるりと回しつつ威嚇するサリア。
たちまちご機嫌になり、ついフェアリープリンセスの鼻歌すらこぼしそうになる――ところが、次の瞬間。
「お、おい、アイツ……サリア・グレイファングじゃないか!?」
四人組の最後方に立っていた男が、目を見開きながら指を差す。
性格や言動はともかく、サリアの武勇は名高い。ゆえに、その顔を見知った者がいても不思議ではない。事実、次々に驚愕の声が上がった。
「そういえば昔、探索者ギルドで見た覚えがある。だったらよ……」
「え、本当かよ? だったら……」
「ああ、だったら……」
「そうだな。だったら……」
男たちは顔を見合わせてゴニョゴニョとやり、すっと道を空ける。おまけに腰の剣を鞘ごと外し、草葉の奥に揃って放り投げた。
あからさまな戦意喪失の構え。予期せず、目指す建物までの道が再び開けた。
「なんだ、貴様ら……警備のクセに戦わんのか? 役目を放棄するなど情けない。全員まとめてで構わんからかかってこい」
「勘弁してくれ。あのサリア・グレイファングに勝てるわけがない」
せっかくヤル気だったのにどうしてくれる、とサリアはダダを捏ねる……が、相手の男たちは完全に腰が引けているばかりか、「無双の餓狼の相手は警備の範疇に収まらない」や「まだ死にたくない」と口々に泣き言をこぼす。
「ていうかよ、ここしばらく給金をもらっちゃいねーしな。ラドニの旦那、ずいぶん金回りが悪くなったみたいでよ」
「この仕事もそろそろ辞めどきだ。てなわけで、俺たちは会わなかった、つーことで頼むわ」
後はお好きにどうぞ、とばかりにその場を去っていく警備の男たち。
これにはサリアも本気でガッカリ。まさか後ろから襲いかかるわけにもいかず、任務を再開せざるを得なかった。
今度こそ、目指す建物にたどり着く。
正面に立ちはだかる扉には、外側から太い木製の閂がかけられていた。となれば、中にいる誰かを閉じ込めていると考えるのが自然だ。
ふっ、と息を小さく吸い込むサリア。
途端、その体の輪郭を淡い光が彩り――続けざまに、ズバン。神速の手刀が振り抜かれ、扉を封じていた横木があっさり両断される。
これぞ無双の餓狼が得意とする体術。
その真髄は、魔力で身体能力をアホほど底上げしたゴリ押しにある。
魔法を解き、両手でゆっくりと扉を引き開ける。中は思ったより明るい……と周囲を確認するが早いか、元気な声が聞こえてくる。
「あ、サリア!」
「やはりここにいたか――元気そうだな、タリク。他の孤児たちも無事で何よりだ。サクタロー殿も喜ぶだろう」
「やっぱり、サクタローの兄ちゃんがきてくれたんだな!」
そばの階段から、バタバタと獣人の子ども――タリクが小走りに降りてくる。
背後には他の孤児たちの姿があった。想定通り、共に囚われていたらしい。みんな元気そうで一安心。
「ところで……お前たち、ずいぶん暖かそうな服装をしているな。この屋敷にあった物を盗んだのか?」
わちゃわちゃとまとわりついてくる孤児たちを制しながら、サリアは率直に尋ねた。
タリクたちは、裕福な北町をうろついていても支障ない程度に小綺麗な格好をしている。もちろん日本の品には及ばないが。
それによく見れば、かなり顔色もいい。
もっと酷い目にあっているかと心配したが、再びの拍子抜けだ。
「盗んだんじゃない! 俺たちを閉じ込めた、商人のおっちゃんがくれたんだ! 食事も、日に三回も持ってきてくれてさ。こいつらなんて、ずっとここで暮らしたい、とか笑ってたんだぜ」
「ほう、なかなかいい生活をしていたようだな」
「うん。外には出してくれなかったけど、普段よりずっと暖かくして寝られたよ」
サミール・ラドニは、孤児たちを手厚くもてなしていたらしい。
なにやら理由がありそうだな……と小さくこぼし、サリアは詮索を打ち切った。頭脳労働は自分の役割ではないし、あまり興味がない。
「そうだ、タリク。よくシールを窓の外に貼れたな。サクタロー殿が褒めていたぞ」
「この屋敷の中では好きに動けたんだ。そんで、逃げられないか色々試してたら窓枠にスキマができて、手だけなら外に出せたんだよ」
古くなっていたのか、窓枠がズレてわずかな隙間が生じた。それを見て、ふとエマやサリアたちから聞かされたフェアリーなんたらの話を思い出す――それゆえタリクは、大事に隠し持っていたシールに望みを託した。
「なあ、サリア。サクタローの兄ちゃんもきてるんだろ?」
「もちろんだ。お前たちを心配してたぞ」
「ならさ、商人のおっちゃんの話を聞いてやってくれないか? なんか、ずっと『すまん、すまん』って俺らにあやまってたんだよ」
タリクたちの待遇を鑑みれば、ただの悪徳商人とは一概に断定できない。きっと事情があるのだろう……けれど、まったく興味がわかなかった。先ほども思ったように、頭脳労働は主の仕事なのだ。
「タリクが直接お願いするといい。サクタロー殿も、お前の顔を見たがっているぞ」
言って、サリアは孤児たちと共に本邸への道を引き返す。
***
子ども特有の甲高い声と、使用人たちの慌てる足音が聞こえてくる――その瞬間、サミール・ラドニはハッと我に返った。
エルフの騎士が真珠を取り出してから、そう長い時間は経っていまい。
真正面ではイカイ・サクタローを名乗る異邦人が、悠然と足を組んでソファに腰掛けている。
朝早くから供をぞろぞろと引き連れて訪問してきたかと思えば、秘密裏に進めてきた計画を根こそぎ暴かれた。そして今の騒ぎ……恐らく、孤児たちを奪還されたのだ。配置した警備も意味をなさなかったらしい。
これで、知らぬ存ぜぬは通用しまい。完全に万策尽きた。
なんだ……なんなのだ、この男は。
たかが孤児らのために、小国を丸ごと買えるだけの金貨を積み上げる、と迷いもなく言い切った。真珠を見せつけながら語る言葉に、一切の虚勢がなかった――本気だと悟ったそのとき、サミールの胸の中で何かが音を立てて崩れた。
万全だった盤面を、いとも容易くひっくり返された。
気づけば、こうして自分が追い詰められている。
年を追うごとに商会の売上は落ち込み、貴族にそそのかされるまま悪事に手を染めた。その罪悪感に駆られ、騙した孤児たちを人並みに扱ってきた。醜い免罪符だ……しかし、今はもう何もかもが酷く滑稽に感じられる。
もはや歯向かう気すら起きない――そもそも、私はいったい何をやっているのか。
商いを通じて人を笑顔にする、そんな若かりし頃の憧憬は遥か遠く。
サミールの全身から、どっと力が抜けていく。
「……わ、わかった」
絞り出すような声だった。
サミールは手の平をソファに押し当て、どうにか体を預けながら続ける。応接室の外から聞こえてくる喧騒が、次第に遠のいていく。
「契約は、破棄する……孤児たちは返す。それで、どうか……」
向かいに座る男、イカイ・サクタローは何も言わない。
代わりに、鷹揚に一つ頷いた。そしてニヤリ、薄い唇が三日月の如く弧を描く――サミールの目には、その姿が得体の知れない怪物のように映っていた。
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