第105話 あとは仕上げを待つだけ
「孤児の身柄を受け取りに、とおっしゃいましたか……」
サミールさんは、テーブルを挟んで真向かいのソファに腰を下ろす。背後には、二人の男性が付き添っている。使用人に違いない。
俺たちの間に、しばし重い沈黙が横たわる。
ジロリ、値踏みするような視線が正面から飛んでくる。屋敷の外でばったり出会ったときと同じだ。老獪な商人、といった雰囲気がにわかに立ち昇る。
前回の対面では、不甲斐ない保護者としての顔を保ったまま俺はその場を辞した。
だが、今日は違うぞ。毅然と瞳に力を込め、悠然と構える。
左右には、ボアフリース系コーデのサリアさんとフィーナさん。周囲には、銀ピカ鎧姿のカーティスさんをはじめとする味方たちが揃っている。頼もしすぎて微塵も恐れはない。
「妙な格好をして、朝からぞろぞろと参られたかと思えば……急に何をおっしゃるのやら。極めて重要な商談と伺ったゆえ屋敷にお通しをしたが、失敗だったやもしれませんな」
存分にトゲを含んだ声音、突き放すような固い態度。まともに取り合う気はないらしい。だったら、少し強引にでもガードをこじ開けさせてもらおう。
顔に貼り付けた笑みを維持したまま、俺は再び問いただす。
「おかしいですね。私のよく知る子と、おそらく他に数人――獣人の孤児たちが、こちらでお世話になっていると思うのですが」
ピクリ、相手の片眉が小さく跳ねる。
キラキラのシールで合図を、なんて想像だにもしなかっただろう。それでも表情を崩さないあたりは流石だ。さらに一拍置き、「はて……」と返事があった。
「申し訳ないが、心当たりがありませんな。我がラドニ商会では、孤児をどうこうする商いは一切請け負っておりませぬ」
「なるほど。私の勘違いと?」
「そのようですな。どこぞの輩に謀られたのでは? あるいは、根も葉もない噂に踊らされているのやも」
あくまでとぼけるつもりか……まあ、焦る必要はない。なにせ相手は、もうほとんど詰んでいるのだから。いつまでその態度を貫けるのやら。ついでに少し揺さぶってやろう。
俺はおもむろに足を組み、逆に余裕ある態度を見せつける。
「少し話を変えましょう。最近この街で、獣人の孤児を対象に怪しい勧誘が行われていたそうです。貧民窟の根無し草が、とある商会に秘密裏に雇われて。サミールさん、心当たりはありませんか?」
「……そのような話、初めて聞きました。けしからん輩がいたものですな」
けしからんのはお前だ、とツッコミを入れそうになった。
しかしぐっと堪え、話を先に……進めようとしたそのとき、不意に隣のサリアさんが立ち上がって堂々と言い放つ。
「小用をもよおした。厠に案内しろ」
まったくもって淑女らしからぬ要望に、室内の視線が一斉に吸い寄せられた。おまけに、「早くしろ。ここで漏らされたいか」と矢継ぎ早の追撃が。
これには、さしものサミールさんも動揺を露わに。応接室を汚されては堪らん、と背後に控える使用人に案内するよう指示を出す。
扉をくぐる間際、サリアさんはグレーアッシュの尻尾を意味ありげに一振り――作戦通りだ。実は、彼女には別任務をお願いしていた。
では、こちらも気を引き締め直して話を先に進めるとしよう。
「サミールさん、これをご覧いただけますか。親切な方が、わざわざ届けてくださったんです」
懐から羊皮紙を取り出し、目の前のテーブルの上に広げた。
例のマンフリードさんの遣いから託された契約書だ。今度はこの羊皮紙が、周囲の視線を独占する。
「内容を読み上げましょうか? 奉公先は国外、報酬は裁量による、逃亡した場合の違約金……なかなか興味深い条件が並んでいますよ。先ほどお伝えした、貧民窟の根無し草が所持していたそうです」
続けて、『この書類を信用稼ぎの道具として提示し、孤児たちには街の外の仕事と誤認させたまま契約を迫っていた』という情報も付け加える。
「そして、仲介業者としてラドニ商会の印が小さくここに」
俺は体勢を変えて身を乗り出し、契約書を人差し指でコツコツと示す。
孤児たちはあれで警戒心が強いから、騙すには『契約書と印』という小道具が必要になったのだろう。
ジワリ、サミールさんの額に小さな汗の玉が浮かぶ。ようやく状況が飲み込めてきたらしい。とはいえ、これで詰めきれるほど甘くはない。
「……ラクスジットの商規定に従えば、文字が読めるかどうかは関係ない。よく確かめずに応じた方が悪いのでは? それに私は、この契約に関知しておらぬ。ゆえに、何一つ後ろめたいことなどありませんな」
当然そうくるだろう。例えここにラドニ商会の印があったとしても、この街の規定に従えばお咎めなし。なんなら『正規の仲介』と言い張るための保険にもなる。
そもそも法的責任を追求できないという確信があればこそ、堂々と契約書をチラつかせていたわけで――けれど、そんな理屈は百も承知。視界を塞ぐような理不尽を覆すべく、俺は会談に臨んでいる。
さあ、ここからが大詰めだ。
頭を精一杯働かせ、言葉を選びながら会話の舵を取る。
「では、被害にあった孤児たちに証言していただきましょうか」
「だから、おらぬと申している。いったい何の根拠があって……」
「離れの建物、といえばおわかりなのでは?」
「なぜそれを……まさか、サリア・グレイファングが!? おのれ、謀ったな!」
俺がまたソファの背もたれにより掛かると、サミールさんは顔を顰めながら身を乗り出す。
お怒りのようだが、表立って咎められる立場ではあるまいに。
トイレへ向かう途中で迷ったサリアさんがたまたま離れにたどり着いた、というのがこちらの筋書きだ。ちょっと強引ではあるが、そこはお互い様ということで。
それに、重要なのはここからだ。
俺は表情を引き締め、いよいよ核心へ切り込む。
「ところで、サミールさん。アナタの行いはラクスジットの法に抵触しない、それは理解しました。ですが、リベルトリア王国の法ならどうでしょう? 契約の不備が立証できる場合、上申が可能でしたよね」
「上申……よもや『庇護条項』のことを申されておるのではあるまいな!?」
おっしゃる通り、と俺は頷く。
余りに現実的ではないからと、ゴルドさんたちですら失念していた特例。
上申は王都の査問院に限るうえ、裁量を持つ貴族たちへの口利きや根回しに莫大な財貨を要する――その高い障壁ゆえ、ほとんど利用されることのない制度だ。
サミールさんの口元がわなわなと震え、室内の空気がじわじわと張り詰めていく。
「孤児らを証人に立て、上申するつもりか……!」
御名答。サミールさんを追い詰める一方で、タリクくんの奪還を画策していた。
契約書と証言、この二つが揃って初めて上申の条件が整う。だからサリアさんには、怪我や無茶をしないよう重々言い含めつつ別行動をお願いしたのだ。
「だが、思い通りには運ばぬぞ! 離れには警備の者を配しておる!」
それも織り込み済み、だからこそのサリアさんだ。無双の餓狼と称えられるほどの驚異的な身体能力をもってすれば、いくらでもやりようはある。
もちろん次善策も用意してある。フィーナさんに正体を明かしてもらい、他国の王女にして女神ミレイシュの巫女としての立場を前面に押し出し、離れの捜索をお願い(強制)する。こちらは後に尾を引きそうなので、温存が理想だが。
「そもそも上申など……サクタロー殿は現実が見えておらぬ! 庶民が王都へ赴くだけでも一苦労だというのに、どれだけの貴族が口を挟んでくるかわかったものではない。院に訴え出るだけでも莫大な財貨を必要とするのだぞ!?」
「そうみたいですね。ゴルドさんから聞いています」
「ハッキリと申し上げる、あれは査問などではない。どちらが金貨を高く積み上げられるか競う場にすぎん!」
「無論、心得ていますとも。正義ではなく、金貨の重さを測る天秤だと――ですが、承知の上です」
俺が大真面目に断言すると、サミールさんはわずかにのけぞった。
まさか現実的でない特例を引っ張り出してくるなど、完全に予想外だったに違いない。ならば、と畳み掛ける。
「金貨をばら撒き、後ろ盾にした貴族の影響力が結果を左右する……本気でバカげていますね。とはいえ、私にとっては臨むところ。契約を破棄してくださらないのであれば、次は王都でお会いすることになるでしょうね」
この国は人治国家に近い。良いか悪いかはさておき、今回はそのシステムを都合よく利用させてもらう。もちろん、私利私欲のために悪用するつもりはないが。
俺は薄い笑みを浮かべつつ再び足を組み、あえて会話のバトンを相手に渡す。
「まさか、サクタロー殿がここまで愚かだったとは……お互い、どれだけの財を失うかわかったものではありませんぞッ!」
ドン、と。
テーブルに手をつき、前のめりになって語気を強めるサミールさん。
明らかに嫌がっている。だったら、尚さら手を緩めるわけにはいかないな。
俺は落ち着いた口調で、引く気はないときっぱり告げる。
「こちらは一向に構いませんよ。必要であれば、小国を丸ごと買えるだけの金貨を積み上げてみせましょう。そうですね、先んじて王都中の貴族を味方につけてしまいましょうか」
「ありえぬ……そんなこと、できるはずがないッ! 貴殿は今、明らかに血迷っておるぞ!」
ついに相手はくすんだ黄色の髪を振り乱し、盛大に声を荒らげた。
デタラメをほざくな、と糾弾するようなリアクション。しかし生憎と、俺はずっと大真面目。チラッと顔を横に向け、視線を送る。
「では差し当たり、こちらを国王陛下に献上してお伺いでも立ててみますかね」
すっと、カーティスさんが姿勢正しく一歩前に進み出る。続けて彼は、預けていたトートバッグからベロア調の専用収納ケースを取り出す。
そして、パカリ。
丁寧な手つきで、ケースの蓋が開かれ――白く柔らかな光沢を帯びた『真珠のネックレス』が姿を現し、室内の明かりを受けて淡く輝く。
「そ、それは、真珠……?」
相手は思わずといった様子で立ち上がり、血走った目をこちらへ向けてくる。もはや老獪な商人の面影はどこにもない。
せっかくだからと、カーティスさんがよく見えるようまた前に進み出た。そこへ、サミールさんはふらふらと手を伸ばす……が、震える指先が真珠に触れる前にすっと距離が空く。
そのまま、二人はしばし見つめ合う。
触って確かめさせて、だめ――そんなやり取りが聞こえてきそうだ。
「さて、サミールさん。こちらの本気をご理解いただけましたか?」
「はっ!? ま、まさか……たかが孤児らのために、これだけの宝を手放すというのかッ!」
「子どもたちの笑顔に比べたら、これくらい安いものですよ」
これは祖母の形見の真珠なので、現物を手放すつもりはない。だが、必要ならばいくらでも用意してみせよう。それこそ、フィーナさんたちにお売りしたレベルの大玉を。
俺はわざとらしく肩をすくめる。対するサミールさんは、ぽかんと口を開けたまま動きを止めてしまった。
すべて目論見通り。もとより王都での査問へ持ち込むつもりなどなかった。泥沼になっては困る。だから、真珠を切り札として持ち出し、圧をかけた――フィーナさんたちとのやり取りを通じ、どれほどの価値を持つか知っていたからこそ思いついた作戦だ。
こうなれば、あとは仕上げを待つだけ。
サリアさん、早く戻ってきてくださいね。
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