第100話 エマのイタズラ?
「サリア、サクタローさんのおとなりいきたい!」
エマの弾むような声を聞き、俺のちょっとした感傷も引っ込む。見れば、リリも「あっちいく!」と座席の上に身を乗り出していた。
揺れるから気をつけて、と注意する前にサリアさんが二人をまとめて捕獲。持ち上げられ、順番にこちらへやってくる……途中でルルの頭に足がぶつかり、すかさず甘噛合戦の開始だ。
「こらこら、馬車の中だから暴れないの。それより、お外はどうだった?」
ルルには俺の腕を噛んでいてもらい、左右に座るエマとリリに外の景色の感想を聞く。
「あのね、びゅんびゅんってしなかったよ!」
「あんまりたのしくなかった! おうちのこのほうが、ずっとすごいのよ!」
揃って我が家の車と比べているらしく、スピード感が物足りないようだ。でも、この馬車で同じくらい速度を出したらきっとバラバラになっちゃうよ。
「あ、クルマでまたごはんたべにいきたい! サナちゃんもくる?」
「どーなつたべたい! みんなでたくさんたべよ!」
「素晴らしい提案ですね、エマ、リリ。私もまたドーナツを食べに行きたいです。今度は、色の違うものを……」
「私はマルクナルドの方が……いや、ドーナツの前にバーガーで腹を満たすのも悪くないな。すぐにタリクを見つけて、みんなで食べに行くぞ!」
エマとリリの楽しげな発言をきっかけに、サリアさんとフィーナさんまで加わって次回のお出かけ先が決まる。
ドーナツの前にバーガー……考えるだけでお腹いっぱいだ。
とはいえ、炊き出しが始まってからちょっと忙しかったからね。この件が解決したら、みんなで美味しいものをたくさん食べに行こう。
それに、日本では季節イベントが続く。楽しみにしているがいい。
しばらくの間、客室内は食べ物の話で盛り上がっていた。落ち着いてまた眠そうなルルも、俺の腕をパクパクしながら賛成している。なんて可愛い生き物なのだろう。
ところが、不意に。
馬車が穏やかに減速していき、そのまま停止する。
何かあったのか、と俺は首を傾げる。ちょうどそこで扉が開き、少し焦った様子のケネトさんが顔を覗かせた。
「サミール・ラドニの屋敷の裏手を通過していたのですが、本人が乗る馬車と鉢合わせてしまいました。申し訳ございません」
「なるほど……いや、構いませんよ。いい機会ですから、古着のお礼をさせていただきましょう」
俺は少し思案してから、ケネトさんに取り次ぎを頼む。
もちろんお礼は建前。古着の代金は清算済みだ。しかしこの街の商人であれば、日本の品の噂を耳にしているはず。
ましてその品を持って挨拶に来たと知れば、面会を拒んだりはしないだろう。
ならばこの機会を逃さず、軽く探りを入れさせてもらう。
そもそも、『上手く相手の懐に潜り込めないか』なんて考えていた。だから、この偶然はむしろ好都合――などと企んでいたら、思惑通りに事は進む。
すぐにケネトさんが戻ってきて、互いに馬車を下りて直接挨拶を交わす流れに。
フィーナさんにルルを預け、踏み台を利用しつつ外へ出る。背後には、サリアさんが控えてくれている。とても頼もしい。
「これはこれは、サクタロー殿。こんな場所でお会いするとは奇遇ですな」
「ええ。用事の帰りで、北街を移動していたんです。それでサミールさんのお屋敷のそばを通ると聞き、もしかしたらお会いできるかも、と思っていました。そうしたら、この通り。きっと神々のお導きですね」
対峙する相手は、くすんだ黄色の髪と髭を持つ四十代ほどの外見の男性だ。種族は、異世界でいうところの普通の人間。柔らかなシワを刻む目尻が特徴的で、商会の主にしてはやや地味な装いに身を包んでいる――サミール・ラドニ、本人で間違いない。
馬車を背にそれっぽく挨拶しながら、俺はさり気なく周囲を確認する。
すぐ左手には、少し背の高い石壁が続いている。その内側では、冬でも葉をつける高木が目隠しのように枝を伸ばしていた。
この中に、サミールさんの屋敷が……もしかしたら、タリクくんたちが囚われているかもしれない。
できれば、この目で確認できないものか。
この際だ、相手に気取られないよう少し攻めてみるか。
「それにしても、本当にいいところでお会いできました。サミールさんには、ずっと古着のお礼がしたかったんです。今日はたまたま、茶葉などを持参しておりまして。どうです? 少しお時間を……」
「それはありがたい。立ち話もなんですし、どうぞ我が屋敷へ……と言いたいところですが、あいにく得意先の元へ向かわねばならぬのです。お茶は、ぜひまたの機会に」
「そうでしたか、お忙しいところ引き止めてしまって申し訳ありません。でしたら、明日のご都合はいかがですか?」
お茶となれば屋敷に足を踏み入れられるのでは、なんて目論見から提案してみたが、あえなくお断り。明日も予定があってダメ……というか、この先しばらく暇がないそうだ。
それでも俺は、どうにか食い下がってみる。会話から手がかりが得られる可能性もゼロではない。冷たい風に吹かれながら、思いつく限りの話題を口にする。
だが、次の瞬間――
「きゃっ!? 待ちなさい、エマ!」
背後からフィーナさんの悲鳴めいた叫びが響く。反射的に振り返り、俺はハッと息を呑む。
エマが尻尾を揺らしながら、馬車の屋根の上に立っていた。その亜麻色の瞳は、サミールさんの屋敷の方へじっと向けられている。
我が家きってのお利口さんがなぜあんなイタズラを……と困惑する間もなく、するするっと動いたサリアさんが一気に距離を詰める。そのままがっちりと確保し、エマを客室へ運び込んでくれた。
「屋敷を覗き込むなど、褒められた行いではありませんな……サクタロー殿は、慈愛に満ちた御方と伺っております。それがゆえに、身内の躾にも甘いご様子。孤児らに食事を振る舞う前に、ご自身の周囲によく目を向けることですな」
「おっしゃる通り、失礼しました。普段はもっと大人しいのですが……」
確かに危険で不躾な行為だったな、と俺は頭を下げる――同時に、胸の奥がざわりと音を立てる。
リリやルルならともかく、エマが理由もなくあんな行動するだろうか?
……ちょっと考えづらい。ならば、何か意図があったはず。しかもそれは、サミールさんに決して気取られてはいけない類いのモノの可能性まである。
今すぐ確かめたい……が、ダメだ。
目の前で老獪な商人が、まるで値踏みするように目を細めている。ここで動けば、疑念を抱いていると白状するようなもの。
接触もここで打ち切る。これ以上は、余計なボロを出しかねない。
俺は不甲斐ない保護者としての顔を崩さぬまま改めて謝罪し、逃げるようにその場を辞した。
そして客室へ戻り、現場から十分に距離を取ったところで理由を問いかけると——
「わたし、シールみたのっ! きのむこうにあった!」
エマの口から、予想もしない言葉が返ってきた。
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