4
「え、クロイ先輩、出かけているんですか?」
水の塔、ディオスの部屋の戸口に立ったカルナリスは、かつて一時的に姉弟子であったミリィを前に、呆然と呟いた。
「ええ。師匠のお遣いで王都に行っているの。しばらく戻ってこないでしょうね」
若干遠い目をしながら、ミリィは聞いてなかったの、と問う。
カルナリスがおぼろげな記憶をたどれば、クロイから課題を出されたときに、「俺が帰ってくるまでに」とか言われていたような覚えがあった。
課題の提出には、まだ猶予があるらしい、とほっとするよりも、クロイに会えなかったことに、ひどく残念な気分に襲われる。
「で?」
軽く小首をかしげる姿は、大層可憐だ。カルナリスは一瞬見とれかけて、はっと我に返った。
「ああ。えっと、クロイ先輩に課題を出されていまして。それで、その」
実のところ、クロイから言われていたレポートが仕上がったわけではない。ただ、今のこのどうしようもないもやもやしたものを、誰かに吐き出したかっただけなのだ。
「ふうん。それで、クロイはしばらく戻ってきませんけれど、どうします?」。
「えっと……」
衝動的にクロイに会いに来たカルナリスは、答えられずに押し黙る。
「まあ、立ち話もなんですし、お入りなさい。それとも、クロイじゃないと話せませんの?」
後半は意地悪げに笑いながらも、優しい声だった。
ダメな妹弟子を甘やかす声に、カルナリスは誘われるまま部屋に入る。
「お茶でも入れましょう。丁度お茶請けに良いのがあるのよ」
そう言って、ミリィは慣れた風に魔法を使う。
ソファに座ったカルナリスの目の前で、こぽこぽ、と音を立てて温かいお茶が注がれる。
風魔法と水魔法と火魔法を、どのくらいの割合で使っているのだろう。
生活魔法といえど、元は4つの魔力の組み合わせで成り立っている、ということを、今のカルナリスは知っている。
昨日、相変わらず名前を聞いていないままの、あの少年から、みっちりと魔法の仕組みについて教えを受けたからだ。
何気なくやっていた水遣りを例に、4つの魔力をどう使えば、効率よく水遣りをできるか教えを受けた。
スパルタだった。
あらかじめ教本を読み返していなかったら、きっと話の内容のほとんどについていけなかっただろう。
お茶を入れる、という、ただそれだけのことでも、魔法で行うとなると複雑な魔力の組み合わせが必要になる。理屈は理解できても、実践は難しい。
掃除や洗濯などの生活魔法は、魔法使いのタマゴがごくごくはじめのうちに覚える魔法だと言うのに、改めて考えれば、なんと高度な魔法が使われているのだろう。
そして、未だにカルナリスは生活魔法が苦手だ。
掃除をしようとして大洪水を起こした記憶は、未だに彼女の小さなトラウマとなっている。
「カルナリス、貴女、何を難しいこと考えていますの?」
「え?」
優雅にお茶を飲みながら、ミリィが微かに眉根を寄せて問う。
いつの間にか、カルナリスの前には、入れたてのお茶と、美味しそうな焼き菓子が置いてあった。
「いや、別に難しいことなんて考えてませんよ? ミリィさんは水の魔法使いなのに、温かいお茶を入れるのが上手だなあ、って思って見てただけです」
ピクリ、とミリィの眉が上下する。
「え? 何かおかしなこと言いましたか?」
「カルナリス、貴女、未だにお茶を入れられませんの?」
「いや、そんな複雑な魔法、なかなか簡単にはいきませんよ」
「複雑……? これの、どこが?」
思いっきり首を振って否定するカルナリスに、ミリィはますます顔をしかめるが、はっとしたようにカルナリスを見やった。
「貴女、まさか、知りませんの? いえ、そんな馬鹿な。そんなはず、って、いえいえ、私は教えた覚えがありませんわ、そういえば。クロイが教えたとも思えませんし。え? 本当に?」
いつも落ち着いているミリィの慌てように、カルナリスもつられたように慌てる。
「え? ミリィさん? 何ですか? 私、何を知らないんですか?」
「生活魔法は、決められた術式に、決められた魔力を送り込むだけで使えますのよ? 貴女、術式を教えてもらったことが、……ありませんのよね?」
「え?」
「そうですわよね。知らなかったのですわね。貴女は、生活魔法の使用を禁じられていたのですもの」
カルナリスが水の魔法使いのディオスに仮の弟子入りをした際、彼女は水の部屋と呼ばれる実習室以外での魔法の使用を禁じられていた。それはつまり、弟子入りした魔法使いのタマゴが初めに使用する生活魔法を禁じられていたということだ。
実際、料理や洗濯が得意なカルナリスは、生活魔法を必要としていなかった。
「そもそも、生活魔法は魔法使いのタマゴが、初めに覚える魔法ですのよ? そんな複雑なわけないじゃないの」
「え? え?」
言われてみれば、確かにそうだ。
決められた術式に、決められた魔力を送り込むだけ、というのなら、確かに初心者向きと言えるだろう。そんな術式を作るのは大変だが。
「水の魔法使いの私が、火の魔法を使えるわけありませんでしょう? 生活魔法の術式には、水の魔力を火の魔力に転換して、火の魔法が使えるような難しい術式が組み込まれているんですのよ。そのあたりのことは、魔法具師のチルナが詳しいと思いますけれど」
「魔法具師って、そんなこともできるんですか?」
カルナリスの言葉に、ミリィは呆れたような視線を向ける。
「貴女、チルナのところで仕事を教わっているんじゃないんですの?」
「えっと、チルナさんは言葉が少ないから?」
チルナは寡黙だ。
必要最小限の言葉も口にしていない、と思われる。ここ最近、カルナリスが任される作業は増えているが、今まで何かをじっくり教わったと言うことはない。
基本、技術とは勝手に見て覚えるものだ。
多分、カルナリスが下手に器用な分、教えることも少ないのだろう。もともと、色々な模造品を作って販売していた経験から、技を真似るのは大得意だった。
なんとなくその辺の事情を察したのだろう、ミリィが盛大に溜息をつく。
「まったく、厄介な」
あははっ、とカルナリスは乾いた笑みを浮かべる。
「チルナは、貴女がそんなことも知らないってことを、そもそも知らないのじゃないかしら」
「……そうかもしれません」
いや、きっと知らないだろう。当然、双子の姉で、カルナリスが師事している紋様師のマリサも同じだ。
だけど、キーアは?
彼は、きっと知っている。自分の弟子が、弟子たるに相応しい知識を習得していないと言うことを。
「だから、何一人で考え込んでいるのです」
ぱこん、と軽く頭を殴られて、カルナリスは俯きかけていた視線をミリィに戻した。
「えっと、その、師匠が」
「師匠が?」
「師匠は、私を弟子にとったこと後悔しているのかな、って」
「……はあ?」
すっかり呆れた声に、冷たい視線が向けられ、カルナリスは訳も分からずに震えた。
「カルナリス、貴女」
「は、はい」
「貴女、本当にお馬鹿さんでしたのね。いいえ、そうでしたわ。あなたはお馬鹿さんでした」
しみじみと言われ、カルナリスはあまりのショックに言葉を失った。
「貴女は、お馬鹿さんなのですから、余計なことは考えないほうがよろしいですわ。
貴女の師匠が、貴女を弟子にとったことを後悔している? 何をバカなことを」
「いや、でも、ミリィさんは、うちの師匠知らないでしょう?」
「ええ、知りませんわね。でも、わかっていることもあるんですのよ?
貴女の師匠は、初めから、貴女を光か闇の魔法使いにする気だったってことはね」
「へ?」
理由を聞きたそうにしたカルナリスを、ミリィは鋭い視線で止める。
「よろしいですか、カルナリス。貴女の師匠が、貴女を立派な光の魔法使いにしたい、と思っているかは私にはわかりません。でも、貴女は彼の弟子なのです。弟子である貴女は、師匠に引っ付いて教えを受けていればよろしい。
なぜ貴女は、マリサやチルナから技術を盗むのに、師匠から技術を盗まないのですか?
貴女が真に光の魔法使いになりたいのなら、徹底的に師匠に付きまとい、技術や知識を盗めばよいのです」
はっきりきっぱり言い切るミリィを前に、カルナリスはあ然と押し黙る。
「目的に向かって、ひたすら努力するのみですわ」
きりっと睨み据えられて、黙ったまま、こっくりと頷くほかなかった。




