★第六話 神のはたらき
※ちょっとだけ血なまぐさい表現があるので、苦手な方はご注意ください。
その部屋はまさに深紅だった。
天井、電灯、壁、床、窓ガラス、そこに掛かったカーテン、取りつけられた冷暖房、湯を沸かす為だけの小さなキッチン……。
ワンルームの部屋の中で、凡てが、一ミリも余すところなく、粘着性のある赤で染められていた。噎せ返るような鉄の匂い、現場保持の為に靴に巻いたビニール越しに、ぬるぬると纏わりつく液体。
その中央に、まるでキャンプファイヤーのように井桁型に組まれた【何か】が鎮座している。
「それにしても、ほーんと不思議っすよねえ。チョップドサラダみたいになってんのに、血がどこにもないなんて」
後輩のシンの、場に不釣り合いな軽妙な声がしたと同時に、赤い景色は波が引くように何処かへ消えていった。後にはただ、何の変哲もない、クッションフロアの部屋だけが残った。ただ、中央の【何か】は、そのままそこにある。
「前の現場でも似たようなことがあったんすけど、鑑識さんが幾ら調べても血液反応はゼロ。普通なら、他の場所でバラしたってことなんだろうけど……」
シンはそこで言葉を濁した。刑事らしからぬ、金色の髪。耳にはピアス。金の毛先は乾燥して、右往左往に広がっている。
【新世代】の人間。二十年前、突如として【神】が現れた時、まだ生まれていないか、幼かった者。神の存在を、そして神の【はたらき】を、当然のこととして認識している世代。
「テットさん、どうかしたんすか?」
シンから問いかけられ、俺はようやく赤の幻影から脱け出した。いや、幻想とも云えない。恐らくこの後見る【映像】に、俺が見た通りの景色が映っているだろうから。
「いや、腹減ったなと思って」
「ちょ、やめてくださいよ、サイコパス発言~。それどっちかっていうと、俺っぽいじゃないすか~」
「お前もさっき、サラダとかなんとか云ってたろ」
「チョップドサラダすよ。昼奢って下さい」
「なんでだよ馬鹿」
「ううわ、直截的な拒絶! 流れでぶっ込んでみたら、いけると思ったのに!」
年は二十五くらいだったか。四十を回った自分とは感覚も世界観もまるで違う。この世代の人間には壁がない。壁がないのに、何故か遠い。腹の中がまるで読めない。何の目的もなく動いているように見える時もある。
彼らは軽やかだ。誰もが何かを背負っているはずなのに、まるで何の重荷もないように振る舞う。俺にはできない。とてもできない。彼らから見れば、俺はひどく陰鬱な、被害妄想に満ちた人間に見えるかもしれない。いつも凡てに不満そうで、いつも何かに絶望している。
「やめとけやめとけ。そいつの飯についてったら、パフェかケーキで終わっちまうぞ」
「あ、ザインさん! お疲れ様でーす!」
シンはうさぎのようにピョンと飛び跳ねて、はしゃいだように声の主に敬礼をする。
「お疲れぃ」
ふざけた調子で応じたのは、俺たちの直属の上司、ザイン警部だ。顔の前で手刀を切るように敬礼する。オイルでがっちり固めたオールバックの、いかにも胡散臭げな馬鹿野郎だ。
「え、テットさんが夜な夜ななるぬ、昼な昼なスイーツを食い散らかしてるって噂、マジなんすか」
「そんなわけないだろ」
「いいや、マジだ!! こいつは毎日、致死量の砂糖を摂取しないと死ぬ体だからな」
「そんなわけないだろ」
「おおい、上司にタメ語使わないでくれますぅ? 上下関係厳しい世界でぇ」
前言を撤回する。同世代でも、訳の分からない奴はいる。
「お二人は学生時代からの腐れ縁なんすよね! さすが仲いいっすね! 友情で結ばれた同期! 憧れます!」
「そうそう、同期なのに、こいつはまだ巡査部長、俺はもう警部! かー! 我ながら憎いね、自分の才能の大きさが!」
「おつかれーっす」
俺は肩に回されたゴリラのような腕をすり抜けて、玄関へと向かった。どうせ型通りの検視をして、被疑者死亡で送検だ。俺たち警察がすべきことなど何もない。
【神のはたらき】で処刑された者は、それに応じた罪を犯した者。つまりこの死体は、被害者ではなく加害者なのだ。
「いやー、ほんと神さま様々だな。俺たちの仕事は激減、なのに検挙率はなんと百パーセント! 俺たちが取り逃がしても、神さまが必ず処分してくれる」
「片付けの配慮までしてくれるなんて、神様はほんと至れり尽くせりっすよね」
「ほんそれ~~。よし若者よ、飯なら俺が奢ってやる! 好きなだけ喰わせてやるぜ~」
「まじっすか! 一生ついていきます、ザイン様!」
そいつに付いてったら、ニンニクましまし、スープというよりもはや油の汁でコーティングされたラーメンしか食えねえぞ。




