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クズ*ギブ~人間ギライの紙さま。~  作者: 稲穂 実


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8/8

★第七話 神の声を聞く者

 暗闇に堕ちていく時、僕は何かを聞いた。

『じゃあその命、もーらった』

 もうそれがどんな声だったのか、覚えていない。

 けれど、その瞬間、僕は今まで感じたことのない深い安堵を感じた。

 これまで生き、積み重なってきた【僕という人間】のデータが全くのゼロになり、何のプロフィールもついていない、ただ一つの真っ新な存在に戻った気がした。

――私たちは皆、世界から消えようとした。

――そして私たちは【神の声】を聞いた。

 今日のヌンさんの言葉が、帰ってきてからも、頭の中をずっとぐるぐる回っている。ぐるぐるどころか、縦横無尽に駆けまわって、脳みそをかき回されているような気さえする。

「おっはよーーーん!」

「いや、もう深夜ですけど」

 人が物思いにふけっていると云うのに、その空気を平気でぶっ壊して来るのがメムさんだ。ベートさんが離脱しただけまだマシだけれど……。

「いやなんかさー、あのケーキ食べた後めっちゃ眠くなっちゃってさー! やばくない? 絶対なんか盛られてたよね?」

「珍獣ですからね」

「え?」

「なんでもないです。全然」

 何だか一気に気が抜けて来た。

「何か飲みますか?」

 云いながら、僕は冷蔵庫の中をチェックする。半分齧って干からびたリンゴ、いつ開けたか分からないオレンジジュースのパック、何故かぺったんこに潰れたメロンパン……。僕はゆっくりと扉を閉めた。水道水を飲もう。この家で今最も安全で衛生的なのは水道水だ。

「いやいや、そんな呑気なこと云ってる場合じゃないよ、サメフ君!」

「サメフで良いですよ」

 長い眠りから覚めたメムさんとベートさんに、改めて自己紹介をすると、なんかイメージと違うだの、いや根暗っぽい感じとピッタリだの、いずれにせよ失礼千万なことばかり述べていた。

「お前たち、名前も知らなかったのか」と呆れていたヌンさんを見て、どうしてこんなまともな人が、この人たちと関わっているのかと改めて不思議に思ったものだが……。

――皆、同じなんだ。

 僕は目の前の、どう見ても尋常じゃないテンションのメムさんを見る。こんな訳の分からない人でも、人生から逃げ出そうとしたことがあるのだろうか? 

 あんなに強いベートさんも、あんなに落ち着いたヌンさんも、僕と同じように、絶望の淵から飛び降りたことがあるのだろうか……。

「じゃあ、サメフ! いざ、ゆかん!!」

 想像することすら、難しい。



「ちょっと待ってくださいって、メムさん」

 無駄に長身で無駄に長い脚でセッセカ前を歩いていくメムさんに、恐らく身長二十センチは差を付けられているミニマムな僕は、小走りで何とか付いていく。

「今宵は、サメフが引きこもりから脱け出した記念すべき日! 帰りにケーキ買ってこう!」

「僕はまだ、メムさんの助手になるなんて云ってないですよ」

 上がった息を整えながら、なんとか言葉を吐き出す。

「でも、ヌンと話は着いたんでしょう? 熱い(おとこ)同士の握手を交わしたとか!!」

「いやあれは、あくまでヌンさんとの……」

「ヌンは俺の盟友! ということは、俺もヌンも同じ! つまり、ヌンとの契約は、俺との契約に等しい!」

 いや、こんなに前後が繋がっていない「ということは」と「つまり」は初めて聞いたんですけど。

「それに」

「いて!」

 急に立ち止まったメムさんの背中に、顔面から激突する。

「この仕事は、君にとっても、とても楽しいものになると思う」

 メムさんは振り返って、僕に微笑みかけた。自分もそうだったと、その笑みが語っているようだった。

「メムさんとヌンさんも、昔からの知り合い、ですか?」

 ようやく並んで歩けるようになって、僕はメムさんを見上げながら訊ねた。

「んー? そうだよー。ベートとの方が長いけどね。ヌンはたぶん、一番()()なんだ」

「最初?」

「ヌンから聞いたんでしょ? 俺たちは皆、()()()()()()()()()()()()()なんだって」

「あ……」

 僕は言葉に詰まった。自分だって同じ立場の癖に、そのことに軽々しく触れてはならないような気がしたから。

「俺たちの他に、【声】を聞く奴らがいるのかは分からない。確かめようがない。会ったこともない。でも多分、いない。だから、俺たちの中で、最初に神さまの声を聞いたヌンが、神さまの声を聞いた最初の人間だと思う」

「どうして? その、自……殺しようとする人は、他に幾らでもいると思うんですけど」

「それは……」

 メムさんは顎に手を当てて、思わせぶりに沈黙した。そして、

「分からん!」

 得意の親指突き立てポーズを取った。分からんのかい。

「でも、声を聞いた奴らは、何故かは分からないけど、出会うようになってるんだ。多分、神さまによって。俺がサメフを見つけたのも、神さまの声を聞いたからだよ」

「僕を見つけた……?」

「見つけたというか、神さまが、あそこへ行けって云ったんだよ。薄気味悪い廃工場に。そうしたら、廃工場の前に君が落ちてた。まったくの無傷で」

 僕は目を見開いた。廃工場の屋上から飛び降りたのは、僕の勘違いだったのだろうか? 僕はただ、怖気づいて、工場の周りをウロウロしていただけだったのだろうか。普通、あの高さから落ちて、助かることはまずない。少なくとも、無傷では済まない。絶対に。

「神さまは、僕たちと同じ言葉を喋るんですか?」

「そうじゃない。言葉じゃないんだ。上手く云えないけど……神さまの存在みたいなのが、頭に……いや、心に現れるんだ。何も介さず、直接。そうして、何をすべきか、どこに行くべきか、それが全部分かる」

 僕はメムさんのいが栗のように爆発した薄茶色の頭……ではなく、無駄に綺麗な鼻筋を見た。冗談や妄想を語っているようには見えない。メムさんは普通の、ごく当たり前のことのように話している。

「神さまは、なんで僕を選んだんでしょう? 僕がいなくなって、困る人もいないのに」

「多分ねー、神さまはそういう奴が好きなのよ」

「え?」

「神さまは、とことん見放されて、必要とされてない人間が好きなんだ」

「同情するからですか?」

「いや、そうじゃない。多分……」

「また多分、ですか」

「多分、自分と同じだから」

「ええ?」

 どうしてこの人の云うことは、一から十まで凡てが意味不明なのだろう? 神さまが誰かを見捨てることはあれど、誰かから見捨てられるはずがないのに。

「さ、着いたよ!」

 メムさんが朗らかに宣言した。

「サメフの初めての仕事だ」

 僕たちの前には、天をも貫きそうな、高層マンションがそびえ立っていた。


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