★第四話 就職先は、突然に
砂を吐ききった砂時計が、時を刻むのを今か今かと待ち望んでいる。
僕は、サイズのまるで合っていないメムさんの服を着て、まったく知らない部屋の、まったく知らない香りに囲まれ、ソファに沈み込んでいた。
唐突な【助手宣言】の後、善は急げとばかりに、「行っくぞー!!」と盛り上がっているメムさんと、面白がってノリだけで僕を担いで(文字通り肩に担いで)車に放り込んだベートさんとに連れられて(運転はベートさんで心底ホッとした。いや寧ろ危険か?)。
「悪い、待たせた」
背後から、扉の開く音と、低く重たげな声が聴こえた。僕はその重たさに引っ張られるようにして、ゆっくりとそちらを振り向いた。男。四十代くらいか? 背はそこまで高くはない。けれど肩幅はある。あと威圧感も。分厚い胸板をラフなジャケットに押し込んでいる。
左右に綺麗に分けた前髪の間に、広く出っ張った額が覗く。
「あ、こ、こんにち……」
「「いっせのーで」」
「いち!」
「に!」
「ぐわーーー勝負決まんねーーー!!」
圧に押し上げられて腰を上げた僕のへっぴり腰の挨拶は、手遊びに熱狂している二人、メムさんとベートさんの雄叫びに掻き消された。僕はおっかなびっくり、男の顔を窺いみる。男は何故か、騒がしい二人の方ではなく、僕の方をじっと見ながら、意志の強そうな太い眉をピクリと動かす。
ひえええ。なんで僕……。健気に挨拶しようとしたのに……。
理不尽さに打ちひしがれていると、またもや、太い眉毛がぴくり。えええ。
「きゃっほーーーー!! 勝っちゃったーーーー!!!」
「おいメム、男なら拳で勝負しろ!!!!」
「はい、負け犬の遠吠え頂戴致しましたーーーー!! チャリーン!!!」
カオスな二人がカオスなやり取りをしている間に、男はズシズシと音の鳴りそうな重厚な足取りで、これまた重厚な毛足の長い絨毯の上を一歩一歩踏みしめて移動していく。僕は座るとまた【眉ピク】を受けそうで、中腰のまま固まっていた。
「おほん」
僕とカオス二人が向かい合っている接待セット(やたら低いテーブルとやたらとテカっている革張りのソファ)の向こう側にある、校長先生セット(やたらに分厚いコの字の机に、名札やら筆置きに刺さった万年筆やら内線電話やらが並ぶ一連のセット)に腰を下ろした男は、その程度でこの珍獣たちが大人しくなるとでも思ったのか、徐に咳払いをした。
だがその音が響き渡っているのは僕の鼓膜だけで、肝心の珍獣たちには一つも届いていない。先ほどのメムさんではないが、「シャラップ!」と叫びたい。まあ叫んだところで何の効力もないだろうけれど。
「××〇?」
「え?」
「君の×▼〇?」
「え?」
何分、周囲がうるさすぎる。うまく聞き取れない。僕は本能的に、校長先生セットに近づいた。いかつい人間に近付きたい欲求はまったく無かったが、いかつい人間に何度も聞き返すストレスに比べればまだマシだった。
僕がテーブルのすぐ前に立つと、男は改めて咳払いをした。何だかわざとらしい。
「君の名前は?」
「あ、名前。えっと、サメフです」
「メムが【千年に一度の逸材だ】と騒いでいたのは、君のことかな?」
「あ、えっと、たぶんそうです」
「たぶん?」
「あの、僕はついさっきまで、そのような話は何も聞いておりませんで……」
男の口調は、存外とても柔らかい。低く落ち着いた声は珍獣たちの金切り声に比ぶれば、いと鼓膜に心地よき……。正常な会話が出来る相手に久しぶりに出会えて、心地よすぎて平安らしき風が吹いてくる。
「そうか……」
男は短いため息に言葉を乗せる。
「すまなかった。随分、厄介を掛けただろう?」
「いえ、元はと云えば、厄介になっているのは僕の方で……」
「あいつらは秩序や協調性という要素が完全に欠損しているんだ。まともに相手をしていては、頭がおかしくなる。発狂しなかっただけ、君はとても優秀だ」
「そこまでですか」
「そこまでだ」
僕は自分の内に広がる高揚感に戸惑いながら、校長先生デスクの端に置いてある名札を自然と目で追った。
「ああ、これは失礼した」
男は僕の目線に気が付いて、ジャケットの前裾を握って下へ引っ張る。椅子を後ろへ押し出すように立ち上がり、背筋を伸ばして(元々伸びていたが)僕の目をまっすぐに見る。
「私はヌン。以後よろしく」
差し出された分厚く大きな手を、僕は迷わず握りしめた。
この人の傍にいれば、【普通】を手に入れられるかもしれない。




