★第三話 いつになったら収集が着くのか?
「え! めっちゃ良いじゃん!」
財布も持たずに何をどうしたらそんなに時間が潰せるのか、男は数時間後に意気揚々と帰宅した。もちろん手ぶらで。
そして、僕の奇跡的に前髪ぱっつんを免れた、というより、期待(というか恐れ)を120%上回るクオリティで美しく整えられた髪型を、手放しで褒めちぎった。
男の落ち着きのなさは標準装備なのだが、口を忙しく動かしながらも、それ以上に視線がそこかしこに散らばりまくり、玄関の三和土を見、僕の後ろを覗き見る。それからおっかなびっくりという足取りで、リビングに続く廊下を進む。僕は無言で続いた。
「え、誰も来なかった?」
男はリビングの戸を開き、物でごった返した室内に、再び入念に視線を這わす。
「来ましたよ」
「え!」
「でも、もう帰られました」
「ああ! そう!」
男は受難から救い出されたような明るい顔をして、大胆にも一歩踏み出した。その途端、寝室への扉が開き、闇の中から、にゅっと腕が伸びた。男の襟首を掴む、白い手……。
「ぎゃ、ぎゃーーー!!!」
文字通りの絶叫が、部屋中に響き渡った。マンションの住民から苦情来るなこりゃ。でも僕でも叫ぶ。今も正直、分かっていたのに叫び出しそうだった。
「なんでいんの!? なんでいんの!? 靴なかったじゃん!!!」
男は白い手から逃れようと、哀れに手足を藻掻かせる。
「あんたの行動パターンなんか、お見通しなんだよ」
白い手の先にいるのは、先ほど僕に謎の神カットを施してくれた女だった。眉一つ動かない表情は変わらないのに、その瞳の冷たさに僕と、そしてそれをモロに注がれている男は震えあがっていた。
「一人暮らしだって特例なんだ。今日は訪問日だろうが。チョコマカ逃げ回るんじゃねーよ」
女は、男の胸倉を掴み、ぐっと引き寄せる。石膏作品のように整った横顔が、今は恐怖を増幅させる小道具になっている。
「絞めんぞ」
「ひ、ひいいいいいい」
声にならない男の悲鳴が、歯の隙間から漏れ出る。なんか違うものまで漏れ出そうだ。
*
「つまり、『メム』さんと『ベート』さんは昔からのお知り合いで」
「腐れ縁だ」
「地獄の縁だよ」
男改め『メム』と、女改め『ベート』が、同時に言葉を発する。
「ええっと、ベートさんはメムさんのボ、ボデーガードで……」
「ボディーガードだ」
「すいません、日常でボディーガードなんて使う日が来るとは思わなくて、なんか気恥ずかしくて」
「意味が分からん」
「すいません」
「ボディーガードっていうか、どっちかっていうとコイツに命を狙われィデデデデデデ」
「あんたがくたばれば、私もお役御免、自由放免なんだよ」
ヘッドロックをかまされるメムさんと、相変わらず無表情に暴力を行使するベートさんを眺めながら、僕はやはり、あの夜に異世界へ転生したのではないかと、ぼんやりと思う。聞かない僕も僕だが、出会って何週間もしてようやく名前を知るというのも普通の世の中ではありえないことだし……。まあ、『普通』とは無縁だった僕が云うのも滑稽だが。
「あの、ボ、ボデ、ボディー……。護衛が付くっていうのは、メムさんはやっぱり、どこかの御曹司とかそういう……?」
「ボディーガードだ」
「いや、金はない。ていうか、いらない」
「は……?」
「それよりあんた、こんな美少年拾ってきて、どういうつもり? 気持ち悪い。はしたない。消えちまえゲス野郎」
「おい、なんだその先走り過ぎている悪評の嵐は。そもそも、美少年って誰のこと? この子は髪がボサボサの」
「お前が云うな」
「前髪長すぎて、顔もまともに見えな……」
そこまで云って、メムさんは僕を凝視した。まるで今初めて、僕がその場にいることを認識したように。幽霊じゃねえぞ……いや、経緯を考えれば、実はもう幽霊なのかもしれない。
「え!」
今日一日の間に、メムさんの叫び声にはやや慣れつつある。他に規格外のことが起こりすぎているからだ。規格外の飽和状態である。
「え? 誰、君?」
「いや、僕ですよ。ここ数日、ずっと一緒にいたでしょう」
「いやいや。俺が拾って来たのは、見るからに根暗な、髪ボサボサの前髪で顔が殆ど見えない、見るからに根暗な、ボソボソ喋る無気力の男の子でしょーが!」
テーブルがバシンと叩かれる。
「なんで根暗って二回云ったんですか?」
「ええー! めっっっっちゃ、美少年じゃん! やばくない? めっっっっっっっっっっちゃ美少年じゃん!」
「溜めるねえー」
「青みがかった黒い髪、昨日までボサボサだったのに、何故か今はサラッサラ。血管が透けるような白い肌に、緑色の大きな瞳……。え、君、誰?」
「いや、さっき玄関で会った時に見てますよね。それに、美少年なんかじゃないですよ。今まで誰にも云われたことな……」
「こんな美少年だったなんて、聞いてない! 早く云いたまえ、君!」
「いや、だから、」
「私のスーパーシャイニーテクニックで発掘したのよ」
スーパーシャイニーテクニックとは……?
「え、ていうか、美少年だって知らなかったのに、じゃあなんで拾って来たの? 根暗専?」
「いや、三回目の根暗……」
「いや、突っ込むところはそこじゃない。まるで俺が変質者であることが大前提で話すのをやめたまえ」
話がまったく前に進まない。しかもどうでも良すぎる方へずれていく。困る。本当に困る。
「あんたの考えることなんて、ロクなことじゃないからな」
「ふっふっふ、ベート殿。今回ばかりは馬鹿にしてもらっちゃ困るんだよ」
「今回以外はロクなことじゃないって認めるんだな」
「シャラップ!」
メムさんは、空気を切るように腕を大袈裟に水平移動させた。
「彼は、僕の助手となる、千年に一度の逸材なのだ!!!!」
この世の凡てに届けるかのように、メムさんは腹の底からシャウトした。
部屋に降りる沈黙。
……。
……。
「え、すいません。一体何の話ですか?」




