★第十八話 遺族の目
最近めっちゃ更新してるやん!えら!!
お絵描きを再開し、編み物もやってます。
多趣味はこれだから。
見慣れた、使い古しのテーブルと椅子。キッチンには、長年に渡って染みついた、油の香りが微かに漂う。狭いながら一応リビングもある。
ここは私の実家だ。古いが二階建ての一軒家で、父が亡くなった後、年老いた母が一人で暮らしている。些細な用事があって立ち寄ったのだが、母はお菓子でも食べて行けとか、おかずを持って帰れとか云って、私を引き留める。
母の寂しさを想うと、日頃、放ったらかしにしている負い目も手伝って、つい腰を下ろしてしまった。
「まったく、毎日暑いねえ」
「お母さん、ちゃんとエアコン点けないと駄目だよ」
麦茶を飲みながらそんな会話を交わしていると、玄関の方で微かな音がした。気のせいかと思った次の瞬間、ガシャン、と何かが割れるけたたましい音が響き渡った。
私も母も、床に縫い付けられたように体が動かなかった。ドスドスと廊下を打ち、確実にこちらに近付いて来る何か。開いたままの引き戸から、キャップを被った男がぬっと顔を覗かせたに至り、私はようやく腰を浮かそうとした。が、圧倒的な恐怖が、脳と体の正常な動きを阻む。
「金、どこや」
男は低い声で云った後、何気ない素振りで母に目を留めた。
「あ」と、間抜けな声が心の中で洩れる。男は包丁を持っている。簡単に心臓へ達しそうな、長く、鋭く尖った包丁を。
気付けば、母がうめき声を上げていた。小柄な母の上に男が乗り上げ、二回、三回、四回と、大きく包丁を振りかぶっては、躊躇なく刺した。私はただ呆然とその様を見ていた。母の、仰向けに倒され、仰け反った顔は、ちょうど私の方を向いていた。
逆さまの私を見つめていた母の目から、急速に意志が奪われて行く。恐怖と苦痛と驚愕に見開かれた目に、静かに幕が掛かっていく。
*
男の行動は、意味不明だった。
金の在りかを聞きながら、答えを得る前に母を刺し、傍らで怯えている私を一瞥しただけで、何も盗らずに家を出た。
男が去ると、私は呪縛が解けたように母に縋って泣き、無駄だと分かりつつ救急車を呼び、最後に警察に通報した。間もなく、血塗れの包丁を持って街をうろついているところを男は逮捕された。
裁判では、男の挙動は著しく合理性を欠いており、正常な判断ができる状態ではなかったとして、心神耗弱で無罪の判決が下った。
私は傍聴席で絶叫した。周囲に集まってくる人々を押しのけ、連れていかれる犯人の男に飛びかかろうとした。寸でのところで取り押さえられた私は、こちらを振り向いた犯人が、微かに笑っているのを確かに見た。
しかしどうだろう。
私の母を理由もなく惨殺した男は断罪を免れ、唯一無二の母を喪った私は、無様に組み伏せられている。
この世界では、私の方が悪なのだ。
法律は、決して被害者とその遺族を護らない。
救わない。
*
頬を、涙が伝っていた。
こんなにも激しく泣いたのは、いつ振りだろうか。
絶望が、胸を抉り、脳を焼き尽くす。
「大丈夫?」
目の前に、髪にゆるくパーマをあてた女性が立っていた。銀縁の眼鏡越しに、心配そうにこちらを見ている。何やら傍らのモニターを操作し、私の手首から輪っか状の機械を取り外す。心拍数や心に深刻な変化がないか、確認する為のものだと説明を受けていた。
「はい、ハンカチ」
私が落ち着くのを待って、女性はハンカチを差し出してくれた。私が涙を拭いている間、背中をゆっくりと擦ってくれる。
「これでプログラムは終わりよ。大丈夫、凡て夢だったの。本当のことじゃない。あなたのご両親は、今も元気に過ごされているんでしょう?」
私はこくりと頷く。家族構成や生存の可否は、無回答も許された事前のアンケートに記載している。アンケートの目的は個人情報の収集ではなく、プログラム利用者のケアだ。
現実世界に戻ってくるにつれ、プログラムの中で見ていた家も、母も、実際にはまったく見知らぬ場所と人であったことに気付く。私の父は顕在だし、母はもっと若い。私の設定も、大学生ではなく社会人だった。
けれど、プログラムの中では、凡て見知った、自分のプロフィールだと信じて疑わなかった。自分の母が殺害され、その犯人は裁かれることなく生き続ける。そんな地獄も、本当の出来事としか思えなかった。
「よく勇気を持って志願してくれましたね」
私はまだボーっとしていて、また頷いた。
そうしている内にも、プログラムでの経験は急速に遠のいていく。内容を覚えていても、作り物の映画としか思えない。
私たちがいつまでもショックを引きずったり、それによって心身のバランスを崩さないよう、神様がそのようにしてくれているのだという。
「それじゃあ、カフェテリアに行って、好きなだけ過ごしてね。このチケットを見せれば、どの食べ物も飲み物も、無料で受け取れるから」
「はい、ありがとうございました」
ようやく言葉を発することが出来た。
「こちらこそ」
私はふわふわの、歯医者の診察室にあるような椅子から立って、一階のカフェテリアに向かう。ここはプログラムを受ける人以外にも、事前にどんなものなのか説明を受ける人たちも訪れる。歩いている人は様々で、サラリーマンっぽい人、主婦の人、学生っぽい人。
プログラムを受けられる年齢は二十歳以上だが、子持ちの人も受けられるよう、子どもを預かってくれる託児所もある。
一歩一歩、歩く度、重かった気持ちが晴れ渡っていく。先ほどの絶望が嘘みたいに、寧ろいつもより気分が良くなってきた。鼻歌を歌いながらカフェテリアに入り、メニューを見て歓声を上げる。オシャレなカフェに負けないありとあらゆる食べ物が、ガラスケースの中で輝いていた。頼むメニューはなんでも、幾つでも良いらしい。正直、それを目当てに来る子もいるとか。
ブルーベリーのマフィンとカフェラテを堪能していると、SNSの通知音が鳴った。大学の友人からDMが届いている。
『やっほ~。今日アレだったんでしょ? どうだった?』
この友人も、一緒に受けないかと誘ったのだが、やっぱり怖いからと断られたのだった。
『すっっごいリアルで、凄かった! あれは、実際受けてみないと分からないね』
マフィンとカフェオレの写真を添付して送信する。すぐに返信が来た。
『やっば! 私もやっぱ受けよっかな~』
調子のいい奴だ。
このプログラムは、神様が用意してくれたものの一つだ。
私はよく知らないけれど、神様が現れる前は、世の中の秩序が乱れまくってて、今日私が見たようなことが沢山起こっていたらしい。
人を殺して捕まっても、三食きちんと食べて、規則正しく睡眠もとれる。それでも、自分は拘束されている、自由がないと不満を垂れる。
殺された側は、理不尽に命を奪われ、生きるという、最も当たり前のことを奪われたのに。
そのことを、神様は知って欲しくて、このプログラムを作ったのだと思う。神様は細かいことをあまり云わない。でも、神様はきっと、私たちに見て欲しいこと、知って欲しいことがいっぱいあって、それを友達みたいに……親とか、先生とか、そんなんじゃなく、友達みたいに、ただ私たちに伝えてくれているだけ。
追加のクロワッサンサンドとココアを貰ってきて、もう一度、幸せな時間をスタートさせる。こんなに素敵なものを無料で提供できるのも、神様のはたらきによって、税金の無駄遣いがなくなったかららしい。
受刑者の数が減り、収容や運営維持に掛かるコストが大幅に減った。昔は死刑制度というものがあって、冤罪の可能性からその廃止を訴える人たちもいたらしいけど、今は神様がいるから冤罪の心配もない。
他にも、政治家の数は昔の半分になったし、政治家を続けることも、一定の成果を出し続けることが必要になった。昔は居眠りしたり、ただコネだけで何の働きもしない政治家がごまんといたらしい。
生活保護の不正受給もなくなり、本当に必要な人たちに予算が割けるようになった。生活保護も、明らかに必要のない人たちにも受給させるしかなかったのは、治安維持の為もあったらしいけれど、それもやっぱり、神様のお陰で……。
神様は、私たちの友達みたいなものだ。
多分、ただ私たちの幸せを願っているだけの。




