★第十六話 お宅訪問、勢揃い
主人公周辺、日常編。
その日、再びベートさんが訪ねて来た。スーパーの袋を提げていたので、何を買って来たのかと思っていると、リビングに入るや否やキッチンに突入し、埋まっているフライパンや箸を採掘しながら、何かを作り始めた。
「何作ってるんですか?」
冷房がガンガンにきいた室内でも、キッチン周辺は熱気が籠る。
「ドーナツ。豆腐入り。簡単にできる!」
「なんでドーナツ?」
「喰いたかったから!」
「なんでわざわざ此処で?」
疑問は色々あったが、ベートは調理に夢中でもう返答しない。
真新しい、透き通った油の中で、綺麗な輪っかのドーナツが浮いている。料理ができない僕には、ドーナツは【簡単にできる】ものではないが、ベートは手慣れた様子でサクサク作業を進めている。キッチンペーパーを敷いた大皿に、次々と黄金色のドーナツが積み上がっていく。
「さ、喰うぞ! ドーナツには牛乳!」
テーブルの上に載っていたあらゆる物を、一瞬の躊躇もなく凡て床に落としたベートさんは、冷蔵庫で待機させていたらしい牛乳三種(プレーン、いちご、コーヒー)を、ドドドンと並べる。仕上げに砂糖がまぶされたドーナツは、甘く香ばしい匂いを漂わせていて、思わず喉が鳴った。
「メムさん、起こして来ましょうか」
飲むようにドーナツを吸引しているベートさんに釣られて、僕もドーナツに齧り付こうとしたとき、ふと、この部屋の主のことを思い出す。
「いらん、うるさい」
「でも、ベートさんはメムさんに会いに来てるんでしょう?」
「知らん、喰え」
砂糖だらけの口で、端的に述べるベートさん。僕はその直球さを羨ましく思いながら、少し笑う。
山盛りのドーナツをあらかた平らげてしまった時、もう一人の訪問者がやって来た。
「やあ、元気でやっているかい」
それは初対面の時よりもずっと柔らかい雰囲気を纏ったヌンさんだった。初めて会った時と同じように、かっちりとスーツを着込んでいる。暑くないのだろうか。大きな手を差し出されたので、ドーナツの油で塗れた手を慌てて服で拭って、握手をした。ヌンさんの眉がぴくりと動く。これは別に苛ついたり怒ったりした時の仕草ではないらしい。
「ヌ~ン~、ドーナツあっるよ~」
ベートさんがお気楽な感じでヌンさんに呼びかける。
「ヌンさんとベートさんも付き合いが長いんですか?」
ヌンさんが席に着いたタイミングで、問いかける。
「そうだな。メムとベートの付き合いに比べれば短いが」
「早くお役御免してほしいわ、ほんとに」
グラスに注いだいちごミルクをズルズル音を立てて啜りながら、ベートさんが云う。以前、二人は幼少期からの付き合いだと聞いた。
「こないだうやむやになっちゃったんですけど、ベートさんはなんで、メムさんのボ、ボデ、護衛をしてるんですか?」
「頑なにボディーガードって云わねえな」
「まあ、簡単に云うと、私たちは皆、親戚みたいなものなんだ」
「親戚?」
「家系図が複雑すぎて、もう自分たちでも把握できてないんだけれどね。一応、血が繋がっている。はずだ」
「はず」
「早い話が、あの馬鹿の家はお偉いさんなんだよ。本家。一族の中で、一等、位の高いお家柄。だから、分家のあたしがこの身を差し出してお護りすることになってんだよ」
「そんな卑屈に云うことはないだろう。お前の能力が買われてのことだ」
「はいはい、どうせあたしは馬鹿力でございますわよ~」
ベートさんは気のない素振りで、ひらひら手を振る。
「ヌンさんも、お偉いさんなんですか?」
身に纏っている雰囲気からすると、ヌンさんの方がメムさんなんかよりずっとずっと立派な権威を持っていそうだ。
「いいや、私も分家だ。本家の人間は数が少なくて、だからこそ大事に護っているんだ」
「つっても、もう昔に比べれば、形だけのものになってるけどね。あたしもこうやって様子見に来る程度だし」
「へええ……」
本家だとか分家だとか、僕にはまったく想像のつかない世界だ。
「もしや、大企業の経営者一家とか、財閥とか、そういう……?」
あまり詮索するものではないと思いつつ、誘惑に勝てずに訊く。
「あー、そういうのだったら、良かったのにいいい~~」
ベートさんが苛立たし気に云う。
「残念ながら、古いだけで、皆が知っているような家柄ではないんだ」
ヌンさんは少し申し訳なさそうに云う。
「ということは別に、メムさんに身の危険があるって訳ではないんですよね?」
僕はふてくされているベートさんと、苦笑しているヌンさんにおずおずと尋ねる。
「何あんた? あの馬鹿のこと心配してるわけ~? 菩薩だねえ」
「いや、心配って云うか、お世話になってますし……」
語尾を濁す僕に、ベートさんはニヤニヤを、ヌンさんはニコニコを注ぐ。
「ヌンが君と縁を持てたのが分かる気がする」
「縁?」
「そのままのあいつに接してくれる人は、なかなかいないということだよ」
「そのままの……」
メムさんが、誰かの目を気にして、自分を偽ることなんてあるんだろうか。
僕は寧ろ、そんなメムさんを知らない。
付き合いの古いベートさんとヌンさんは、そんなメムさんを沢山見て来たのだろうか。
「ぐーあー!!!!」
突然の絶叫が響き、ドーナツを齧ったヌンさんは、ぐほっと咳き込む。僕は慌てて広く分厚い背を擦り、コーヒー牛乳を差し出す。
「なんか、いい匂いが、する!!??」
寝室のドアを壊れんばかりの勢いで開け放ったメムさんは、いつも以上に爆発した頭を揺らしながら、目をガン開きにする。
「ドーナッツ!! しかしもう、殆ど残ってない!!」
「三つもあるだろうが、うるせえなー」
「でも山盛りだったんだろ!? 分かってるんだぞ、俺にはあああ!!!」
起きてきた瞬間、うるさい。それも超ド級にうるさい。
「そんなことより、メム。今日こそは逃がさないからな」
「あれ? ヌンまで来てたの?」
「メム、座ってドーナツを食べなさい」
「喜んで!」
メムさんは音速でテーブルに着く。
「で、食べ終わったら、私と一緒に片付けをするんだ」
「よろこ……え?」
三秒でドーナツで頬を大きく膨らませたメムさんは、ピタリと固まる。
「あ、やっぱ汚いよね。この部屋」
テーブルの上の物を全部薙ぎ払っておいて、ベートさんは他人事だ。
「汚い。病気になる」
「えええ、でもさ、でもさ、片付けなら、俺とサメフで……」
「出来てないからこうなっているんだろう?」
「め、面目ないです……」
ヌンさんのもっともな指摘に、僕も首を垂れる。
「いや、サメフ君は……。ごほん」
出た、わざとらしい咳払い。
「とにかく、おやつが終わったら、お片付けの時間だ。分かったな?」
「ええ~~~……」
「分・か・っ・た・な?」
「うえええええ~~~~~……」
ふうむ。メムさんでも逆らえない相手がいるもんだ。




