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惚れた相手は敵国の英雄だった  作者: おじゃっち
3章 少女の時辰儀
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58話 靄が晴れ

夢で出会った天女が、実在した。靄を覆った肉体は、どこか嫌な未来を想定しても、ラジュネスはただ美しく笑ってくれる母という存在に慰めを期待した。

『辛かったわね。沢山酷いこと言われたのに、役目を果たせて凄いわ!』

天女、いやセクアナが抱きしめた。ラジュネスは訳が分からず、だが、夢の時と同じ温もりに心を許した。

『あら、耳が』

セクアナは、娘の聴力が低下している原因を見定めた。娘の耳を触り、何かをした。不意に、音が鮮明に聞こえた。

『私の声、よく聞こえるわね』

母の柔らかな声が聞こえてくる。どこか懐かしい声を、ラジュネスは求めた。

「か、あさん」

『どうしたの?』

「私、やってないの…ヒトが、苦しむのなんて望んでないの。なのに、皆酷いことを言うの」

『ええ、とても怖かったでしょ? こんなに、ぼろぼろになるまで甚振られて、可哀そうな子。でも、もう大丈夫』

セクアナが、ラジュネスの頬を手でなぞった。不気味な微笑みに、背筋が凍る。

『愛されたいわよね。幸せになりたいわよね。なら、もうちょっと頑張ってみましょ。今から、リュイヌに会いに行きましょ?』

「………え」

『そうねえ。グロワール様にも会いに行きましょ。あなたのことを愛してくれてるんでしょ。なら大丈夫。門前払いされないわ』

「待って、母さん!」

『?』

「私はこれ以上、迷惑をかけるわけにはいかないの!」

『何を言っているの?』

セクアナは真剣な顔で、ラジュネスの言葉を否定した。彼女は、さらに続ける。

『あなたが産まれたこと自体が迷惑なのよ―』


鼓動が大きくなった、気がした。


『私とリュイヌは愛し合っていた。幸せな日々だったわ。でも、あなたを身籠って、急に周りの人は怖いことを言うの。不義の子だって。そんなわけないじゃない。私は夫一筋。でも、周りは分かってくれなかった。幸せな日々は崩壊していって、私を祝福してくれた人は不幸になったわ。

ファタール様は私を助けようとしたために策に嵌り、暴走してしまったの。御父様が無実を主張しても、水に流されたわ。

リュイヌは悪くない。周りが悪いの。でも、周りが文句を言い出した理由は何かしら。その理由が、私達の幸せな日々を壊した元凶でしょう?

なら、苦しんで然るべき。そして、私がまた、私達が幸せに暮らせるように尽力するのが筋ってものじゃない?』


その先を拒んだ。


『あなたが産まれたせいで、全部が狂ったの。だから、責任を取って。その為に産んだのよ。何千年も一人で、惨めに…

たった十数年苦しい思いをしたからって何? それくらいで済んでよかったじゃない。多くの人を不幸にして生きたいと切望したのだから。

哀れな子供だって、庇護欲が沸いて、もしかしたらってことがあるでしょ?』


聞きたくない。


『どれだけ悲しませるの?

膨大な魔力。魔法の才能。リュイヌに似た綺麗な顔。運。環境。なんでもあるのに、この期に及んで自分のやり方で幸せを取ろうとしている。ただ待つだけ? とんだ悪女ね。

そうやって、他者を振り回して、苦しい思いにさせていくのね。汚らわしい』


セクアナは、ラジュネスを突き飛ばした。呆気にとられ、地面に倒れるラジュネスは、母親を見上げていた。衝撃的な言葉を淡々と連ねる母親に、理解が追いつかなかった。


『使えない子。親に見向きもされないなんて…不幸な子。汚い、悪魔の子。心底、後悔してるわ。

あんたなんて―産まなきゃよかった』


セクアナの言葉に、ラジュネスは俯いた。


『期待しない方がいいわ。あんたに向けられている好感なんて、目溢しなんだから。

私とリュイヌの子だから。空白の大英雄カルム・ベル・タンの孫。稀有な人間の魔法使い。肩書きだけよ。

愛されるはずないわ、誰も見ようとしてないわ』


漠然と抱いていた不安を、客観的に指摘され、不安は事実となってしまった。

ラジュネスの心が閉じて、反論すらしない。セクアナはふぅと息を溢した。親子という普通の関係に、利用の歪な関係が割り込んでいる。

『刑は執行しているはずなのだが?』

二人の関係に、さらに割り込んでくる。

ラジュネスの魔力が同じ場所にとどまっていることに、注視して、賢者リュイヌ卿が降り立った。

ラジュネスと似た容貌の賢者を見て、セクアナは顔色を明るくした。

『リュイヌ!』

名を呼ばれた賢者は眉間に皺を寄せた。セクアナは構わず、一方的に話す。

『迎えに来てくれたの? 絶対そうよ。私、とっても寂しかったわ。会いにこれなかったのは、理由があるのよね。大丈夫。気にしてないわ。こうして、再会できたから。使い道があるわね』

セクアナは、リュイヌに近づいて、抱きしめた。賢者は、セクアナの腕を乱暴に握って、抱擁を阻止した。

『…照れてるの?』

びっくりしたセクアナは思わず、問いかけた。

『セクアナは死んだ。カルムが看取った。お前はセクアナではない。誰だ?』

賢者の恐ろしい気迫に、セクアナは言葉を飲んだ。

『私は私よ。魂だけになっても、私はセクアナよ』

『魂…』

『あなたに会いたくて、こんな醜い姿になってまで…生きたの。また、空の上で一緒に暮らしましょう?』

『リュイヌ、邪魔じゃ!!』

背後から、ズドンと発砲音が響き、弾丸がセクアナの体を貫いた。撃ちぬかれた空白に、靄がかかる。リュイヌはすぐさま身を引いて、手助けに入った神人グロワールとアンフィニと合流した。

グロワールの荒治療で、無理矢理引っ張って来たアンフィニはあからさまに活力がない。だが、目の前の怪異現象に本能が掻き立てられた。

『あれはセクアナかい?』

『死んだはずじゃろ。まあ、イレギュラーはありえるが…』

『原因究明は後だ。セクアナは捕縛後尋問。ラジュネスは保護だ』

リュイヌの判断に、神人は頷いた。実行に移ろうとすると、異変に気が付いた。周囲に緑の粒子が漂っていた。粒子は風に乗って、遥か彼方まで飛んでいく。

生命魔法発動の前兆を知らせる光景だと、アンフィニは認識し、そして、この粒子を生成する魔法使いを一人だけ知っていた。咄嗟に、ラジュネスに視線を向けた。

地面にしゃがみこんで、微動だにしないラジュネス。彼女は魔法を無意識に展開し、辺りの生命を奪い始めた。彼女からは絶望の感情だけが読み取れ、全てを支配していた。時間が経つごとに増幅する絶望に比例して、緑の粒子が大量に生成された。

『魔力暴走…』

最悪な出来事が過った。だが、ラジュネスの現状は完全に魔力暴走の前兆だった。

大量の魔力を有する魔法使いは、感情の荒波によって、己の限界を超えることがある。それは時として良い方向に向かうこともあれば、悪い方向に向かうこともある。ラジュネスの感情は絶望。止める必要があった。

だが、こちらの考えを読んでいるのか、セクアナの姿をした怪物が妨害行為に身を乗り出した。

『グロワール!!』

怪物は、神人グロワールの前に立ちはだかり、未開の力で吹き飛ばした。

『怪物じゃない。私はセクアナよ。皆が愛してくれた…醜くない…ねえ、こんな惨めな思いをしたの…私を、否定しないでよぉぉぉ!!?』

怪物が咆哮すると、大地震が起こり、世界の根底を震わせた。立っていることすらままならない状況で、怪物は周囲を破壊していく。

賢者リュイヌは事を重く見、不可思議な能力を解放した。

賢者リュイヌ卿は、平穏を尊ぶ賢者。揺らぐ荒れた世界を鎮静化する【中庸】の実現を得意としている。

怪物に不可思議な能力を中て、感情の荒ぶりを【中庸】した。大地震はゆっくりと収まっていくが、隆起した大地が一帯を新地へと変貌させた。リュイヌは怪物の靄のかかったセクアナを抱きしめ、捕らえた。

賢者の迅速な捕縛で一つの暴走は取り押さえられた。だが、緑の粒子は既に遠くに飛んでいってしまった。その全てを回収することは賢者であろうと、不可能だ。

ラジュネスは周辺の生命を全て貪っている。魔法の範囲が広がっている。吸収した生命は魔力として、彼女の肉体に蓄積されていた。ただ、吸収速度が類を見ないほど速く、疾うに、ラジュネスが蓄積できる魔力の限界を超えてしまっていた。

生命を司る高貴な魔法。それらを媒介する緑の粒子が黒く淀んで、暴風を起こした。

『…!』

ギギギと、大樹が唸り声をあげ、青々としていた葉が枯れ、咲き誇る花々や草が萎れ、土壌の養分が奪われ、腐敗した。水なき大地が割れ、地下から腐敗した空気が放出され、大気と混ざり合った。緑の粒子が吸い取った全てを、ラジュネスは清濁併せ吞む。訳も分からぬまま、絶望した感情を埋めようと、魔法範囲を拡張し続けている。暗雲が空を覆って、綺麗な日差しを隠した。ボツボツと大粒の雨が、槍のように降り注ぐ。黒く淀んだ粒子が大きな雨粒に刺激され、許容限界を迎えた末に魔力爆発を起こす。それは無数にある粒子全てが、際限なく爆発するのだ。豪雨と雷、爆発が上昇気流を起こし、豪風へと進化した。最悪なものだ。この一連の異常現象を引き起こしているのが、たった一人の魔法使いラジュネスだった。彼女は虚ろに打ちひしがれて、目に映っているはずの惨状を無視して、黒く淀んだ粒子から永続的に供給される自然の魔力を貪り、それでも足りないと緑の粒子を放出している。永久機関に近いような魔力暴走は、この世界全ての生命を貪り尽くすまで続く。いや、それよりも先にラジュネスが命を使い果たし、絶命してしまうことが明らかだった。

『グロワール! アンフィニ!』

リュイヌが叫んだ。賢者は異常現象を対象に【中庸】を中てていた。膨大な魔力暴走の嵐を抑えることに必死で動くことができない賢者は、ラジュネスと親しかったグロワールと、面識のあるアンフィニに託した。二柱の神人は各々権能を酷使して、一部分の異常現象を無効化した。だが、魔力暴走の抵抗が凄まじく、無効時間に限界が近かった。アンフィニは、地面を強く踏みしめ、出力を高め、道を切り開いた。その道をグロワールが走っていく。

『ラジュネス!!』

叫んだ、必死に。走って、手を伸ばした。

『魔力を抑えろ! 死んでしまうぞっ!!』

死に物狂いの忠告を投げかけ、グロワールはラジュネスを掴める範囲まで近づいた。綺麗な手が届く寸前で、予期せぬ者が介入した。極彩色の赫髪が帳を下ろして、ガーネットの瞳がグロワールを視界に捉えた。予期せぬ者が放つ殺気に圧迫され、全身が痙攣している。黒染体の腕がラジュネスを抱きしめ、彼女が無尽蔵に放出する魔力を全て吸収し、共鳴を始めた。途端、異常現象が弱まり、リュイヌが【中庸】を完了させた。刹那、予期せぬ者とラジュネスとの共鳴が終了し、全貌と全盛期を取り戻した。全貌を見たリュイヌは目を丸くし、かの者と邂逅を果たす。

『久しいな、リュイヌ―!』

『────ファタール!』


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