57話 壊れ行く時針
怪物の正体は、合成魔獣。鳥の翼、蛇の毒、百獣の牙、蛙の脚力、蝙蝠の飛行俊敏、人型の知能、人間の魔力。
長所が合わさった戦闘兵器キメラは、食事を求めて、大陸中を移動する。
「見つけた」
ラジュネスは、一体のキメラを見つけ、剣を振った。威嚇していたキメラの体が真っ二つになり、そのまま地面に倒れた。
執行官の断片魔法が作動し、討伐されたキメラを証拠品として回収していく。
ラジュネスは執行官が去ると、また、次のキメラを生命魔法で探知し、足を運んだ。
一体目。
ヴァンジュレス未解決事件への責任は、討伐だけでなく、メル・オセオン東部の辺境伯領の浄化もあった。早々に到着したラジュネスは目の前の光景に、眉をひそめた。
汚染された魔力の影響下で、地底が腐敗し、黒々しい未知の手が伸びている。汚染の侵食により、昔栄えていたであろう町の家屋が飲み込まれ、残骸が残っている。草木も枯れ、自然災害が起こったとしか思えない惨状が広がっていた。
魔力暴走による爆発が今まで起こらなかったことが奇跡としか言いようがない。
「癒せ―生命魔法ヌ・ラーシュ・リヤン」
ラジュネスは黒く汚染された地に触れて、魔力を注いだ。緑の粒子が飛び交い、汚染を中和していく。黒い汚物は浄化され、緑の大地が生い茂る。依然として、人為的に作られた家屋は残骸のまま放置されているが、ラジュネスは確かに浄化の役目を果たした。
ラジュネスは余韻に浸ることもできぬまま、近辺に生息するキメラを生命魔法で探知し、また、討伐を始める。
二体目。三体目。四体目。
放たれたキメラのほとんどは、メル・オセオン東部を住処としていた。それにより、ラジュネスは討伐戦一日目にして、ある程度キメラの場所を把握することができた。
五体目。六体目。
メル・オセオン東部郊外の森。キメラが子供を襲っている所に出くわした。ラジュネスは剣でキメラを薙ぎ倒し、間一髪のところで子供を救い出した。
ラジュネスは、傷を負った子供を治し、一言も言葉を交わさなかった。断片魔法に語り掛け、執行官に子供を町へと送り届けてもらうことにした。
子供は、ラジュネスの銀髪と新緑の瞳を物珍しそうに眺めていた。彼女は、執行官に子供を託し、また討伐を進めていく。
七体目。
ラジュネス総帥がメル・オセオン東部に滞在していることは事前に近隣住民も知っていて、また、討伐の姿も複数の近隣住民が目撃していた。その中には、ヴァンジュレス未解決事件の被害者も混じっており、仇の対象である軍部の人間を酷く蔑んでいた。それに加え、執行官に保護された子供が親元に返された事実を知った被害者は、総帥が偽善の行いだと、自分勝手な考えを住民に言いふらした。
それに肖るように、軍部が出動した戦争の遺族や被害者は一斉に声を上げ、ラジュネスに関する根も葉もない噂を助長した。
八体目。九体目。
「聞きました?」
「なにを?」
「最高司令官のことよ」
「それね、聞いたわ! 子供を誑かして、権力を回復する手駒にしているのでしょう?」
「ええ、執行官に保護された子供は最高司令官のことを、褒めていたらしいの。お礼を言いたいって…」
「まあ! なんて醜い考えを…子供を巻き込むなんて」
侮蔑の声が聞こえる。
十体目。
「最高司令官ってさ、奴隷出身だったみたいだな」
「奴隷って…あの?」
「それ。殺戮兵器だってよ」
「殺戮兵器が殺戮兵器を殺してんだな!
滑稽な話だぜ!」
「ご主人様に腰振ってた噂もあるしな。なあ、可哀そうな元最高司令官様を慰めてもいいんじゃねえのか?」
卑猥な声が聞こえる。
十一体目。十二体目。十三体目。
「デスティネ様に擦り寄っていたみたい」
「え、元とは言え神人様に?」
「あれよ、生命魔法で篭絡させたとか」
「なにそれ!」
好奇の目が向けられる。
十四体目。十五体目。
「卑しい奴隷のくせに…もしかしたら、デスティネ様が処罰されるように仕組んだんじゃないか?」
「被害者ぶってな。散々人殺してきたのに、暴行にあったくらいで被害者面。吐き気がする」
「お得意の生命魔法でなかったことにできるのにな!」
「今度の標的はグロワール様とエテルネル卿だ」
「寛大な方の心を利用するなんてっ!」
誤解と偏見が、勝手に進んでいく。
十六体目。十七体目。
「キメラを全部やっつけたら、総帥ってひとはどうなるの?」
「平民になるのよ」
「ママ、それっていいこと?」
「ええ、良いことよ。戦争を引き起こす悪魔がいなくなるの」
「…」
「悪魔はね、今までたくさんの人を騙して、エテルネル卿の婚約者になって騙そうとしてるの。でも、賢者様が罰を与えてくれたから…悪魔は悪いことをしないわ」
「でも、ママ」
「どうしたの?」
「悪魔さんは戦ってるんでしょ?」
「そうよ」
「なんで、逃げないの?」
十八体目。
「最高司令官が来たらさ、殺されたりしねえか?」
「そ、そんなこと…」
「だって、人殺しなんだろ!? 殺されねぇ補償なんてあるか!?」
べちゃっ。
泥を投げられた。白に近い銀髪に、濁った茶色の汚物がへばりつく。ごん、と鈍い音がして、今度は赤に染まる。
ラジュネスは足元を転がる大きな石を目にした。石は一部が黒くなっている。視線を戻すと、街の住民が徒党を組んで、睨んでいた。様々な感情の宿る視線は、全てラジュネスを害する感情に違いなかった。
「出てけっ!」
「私達の街を穢すな!!」
「人殺し!」
「エテルネル卿を誑かした悪魔め!」
今まで、陰で言い合ってた住民の怒りが最高潮に達していた。我慢の限界を迎えた住民は、ラジュネスに怒号を浴びせた。
鍬を持ち、威嚇した。腐った食べ物を投げつけてくる。石と泥も混じった怨嗟の怒号。
ラジュネスは走り出した。
十九体目。
ラジュネスは夜の森へと逃げ込んだ。幸い、追ってこなかった。滝の音につられて、水場を探し当てた。髪についた泥を洗い落とす。臭いと感じた。
血の匂いがして、ラジュネスは自身の頭を触った。どろりとした血が指を染めた。彼女は生命魔法を使い、傷を治療していく。
猛烈な痛みが頭を巡り、ラジュネスは吐いてしまった。全身が気怠く、腕も上がらない。ふと、自分の足を見た。裸足で、傷だらけの枝のように細くなっていた。剣を握っていた手には胼胝ができていた。
「二度と来るなっ!!」
「お前がいるから、戦争がなくならないんだろ!?」
「死んでしまえっ!」
「生きてる価値なんてない…消えろ消えろ、消えろぉ!」
「汚らわしい。子供たちに近寄らないで!」
また泥を投げられて、怒声を聞いた。キメラがいると、説明した。その村の男が近づいて来て、酒瓶で殴ってきた。壊れた酒瓶の尖ったガラス片を、腕に刺した。
「お前が蒔いた種だ。勝手にやったことに、俺たちを巻き込むんじゃねえ!!」
男の言葉に賛同するように、住民は鋭く睨んだ。
誰も立ち入らない鬱蒼とした森に、ラジュネスは逃げた。半日間追い回されて、足が痛かった。
やっと、休めると思った矢先、大雨が降ってきた。運よく小さな洞窟を見つけることができ、火を起こした。腕に刺さったガラスを一つ一つ取り除いていく。
(探知に使いすぎて、魔力が少なくなってきた…)
ラジュネスは腕の傷を見た。頭部の痛みも治まっていることを確認した。
(大丈夫。この程度なら、魔法使わなくても…)
ラジュネスは洞窟の外を見た。土砂降りの雨が冷気を齎す。炎が無ければ真っ暗闇の洞窟に温度はなく、寒いという感情が現れていく。雨の音が、耳を通る。
住民の怒号と重なって、ラジュネスは恐怖を覚えた。何を思ったか、彼女は洞窟に落ちていた不衛生な枝を掴み、両耳に勢いよく刺した。
ぐさりと、痛々しい音とともに、両耳から血が流れてくる。もう一度、雨の音に集中した。さっきと違って、雨の煩わしい音は限りなく遮断された。
「よかった。これで…訊かなくて済む…ああ、でも…」
ラジュネスに、一閃の雨が頬を伝う。
「痛い」
煩わしい音が聞こえなくなり、静かな環境に、ラジュネスは安心して、洞窟の中で、いつしか眠りについた。
翌日、彼女はまた、討伐に足を運んだ。
洞窟には、小瓶が置いてあった。どこに行こうとも隠し持てるように設計された小さいそれは、中身がなかった。
二十一体目。二十二体目。二十三体目。二十四体目。
一日の遅れを取り戻すかのように、馬車馬のごとく責務を果たそうとした。正直、体調は頗る悪かった。一夜、十分に眠ったはずなのに、眠る前よりも体が重かった。死人に掴まれているような重さがのしかかって、足を引っ張ってくる。目に見えない死者の鎖に縛られている。
でも、以前のような俊敏な動きは取り戻せた。その後の疲労は言うまでもないが、討伐戦は滞りなく終わりそうだ。
その代わり、魔法が上手く使えなくなっていた。
二十五体目。二十六体目。
魔法が以前のように使えなくなったと言っても、軽度の傷なら治せた。その代わり、魔力の扱いの精度が特出していた。小瓶の液体を飲んだ影響だろうか。副作用はこれくらいだと思った数時間後、原因不明の嘔吐が続いた。疲れによる吐き気と、手の痙攣。寒気が続いた。
「…」
ラジュネスは人里離れた場所まで、キメラを誘導し、討伐した。その時から、自分の奥底に抱え、閉じ込めていたはずのどす黒い感情が開いたような気がした。
二十七体目。
メル・オセオン東部とは反対方向にある西部まで徒歩で移動した。三日間歩き続けて、疲労が蓄積していた。極力、町や村に近寄らないようにしていたが、どこからか情報を聞きつけた村人に捕らえられそうになった。彼らの声が聞こえなくなって、少し楽だった。が、彼らの怒髪天を衝いたような酷く歪んだ顔は、色が無くても、恐ろしかった。
―なんで、誰も傍にいてくれないんだろう。
母親か父親に守られ、自分を見て、びくびくと震えている子供を見た。
―私は子供じゃないの?
二十八体目。
汚い。臭い。キメラの返り血が生温かかった。血腥い空。本当は綺麗な青色だと知っていている。でも、今は灰色にしか視えない。
ラジュネスは小池で顔を洗った。血がなかなか落ちてくれなくて、いらいらする。池に映った自分の顔を見て絶句した。
やつれていて、顔色が悪かった。何色か分からないくまが目の周りにできていた。酷い顔だ。
―あれ? 何の為に戦ってるんだっけ?
誰かの為に戦っていたような気がする。
ネルを守りたくて、また戦場に立つことを決めたような気がする。
守ってくれた大人たちに少しでも報いたくて、頑張ろうって決めた気がする。
期待に応えたかった気がする。
もしかしたら、役に立てるかもしれないって、自分を励ましたような気がする。
これさえ終われば、皆と笑って話せる気がした。
ネルが頑張ってくれたから、私も頑張りたかった。ような気がした。
ネルが大好きなアバンチュールを守れば、一緒にいられる。ネルが痛い思いをするのが嫌だった。一目惚れの理由を知りたくて、意味の分からない理由で、私を励まし続けてくれたから。
―だから、だから、少しでも、ネルの為に…
ラジュネスは、水面に映る憔悴しきった顔を覗いた。水面に映るもう一人の自分に、問いかけた。
「ネル、って…誰だっけ…?」
二十九体目。
悪魔。聞こえなくなる前に、何度も聞いた言葉。本で読んだ悪魔は、理由もなく全てを破壊する生き物であると明記されていた。一度は、誰かの為に悪魔になることを選んだ気がする。
その誰かも、もう分からないけど。
会うたびに、会ったことも話したこともない顔も知らない誰かに、悪魔だと罵られている。彼らは私を悪魔だっていうけど、私は壊してない。彼らの大切は私が壊したわけじゃない!
奪った返せなんて、言うけど、私は奪ってない。何も奪ってない。なのに、なんで嘘を言うの?
三十体目。
何も知らないくせに、私がどんな思いで、どれだけ苦しい思いをしたかも知らない奴らが、勝手な物差しで私のことを、勝手に決めるな。
戦争とは無関係の平和な場所でぬくぬくと生きてこれたのは、お前達の代わりに戦ってくれた人がいるからだろ。無関係だって主張して、奪うなと偉そうに語るくせに、無関係な私から散々奪ってる。
私は生まれた時から奴隷だ。物心つく前から奴隷だ。なにか悪いことをしたから奴隷なのか。ああ、嫌になる。
勝手に決めて、勝手に奪って、勝手に殺させて、勝手に悪いことばかり言って、勝手に哀れんで、救って、勝手に捨てて。
私をなんだと思ってる。私を自己満足の道具にするな。哀れむな。私は可哀そうな人間じゃない。
三十一体目。
なんで、顔も知らない先代の尻拭いをしなきゃいけない?
なんで、私には殺しの才能しかないんだ。
ラジュネスは、最後の一匹を魔力探知で見つけた。太陽の光を反射して、腕輪が光った。白い光の点が微笑みかけてくれた気がした。ラジュネスは約束を思い出した。
どす黒い感情が、少しだけ消えたような気がした。
大丈夫。理解してくれる人がいる。大丈夫だから。
もう悪いことは起こらないはず。
三十二体目。
最後のキメラが血を流して、地面に倒れた。直ちに、執行官が降り立ち、キメラを回収した。やっと終わったことにラジュネスは剣を下ろした。傷だらけの、血まみれの手を隠した。
執行官が話しかける。
「任務は終わりました。第一次災害の償いはこれまでとしましょう。討伐戦終了を受け、ラジュネス元総帥の地位を剥奪し、帝国追放刑を執行します」
執行官が剣を回収し、冷徹な声で言い放った。
「即刻、立ち去ってください」
執行官が空の上に戻る。労いの言葉もなかった。誰かからの言伝もなかった。
何もない辺鄙に取り残され、剰え蔑ろにされた。ラジュネスは怒りの感情も出なかった。悲しいとも思わなかった。
『懐かしい気配がするわね』
誰もいないはずの辺鄙に、聞きなれない声がした。ラジュネスは驚いて、振り返った。風貌に目を奪われた。
朗らかで、威厳を感じさせる笑顔。
『可哀そうね』
夢で出会った天女が、目の前にいる。
蝶を模した装飾品。華やかな見た目。でも、夢と違って、黒い靄のような何かを纏って、天女の全てを見ることができない。
「…あ、あなたは」
『やっと会えたわね、ラジュネス。私の可愛らしい娘』
天女は慈愛に満ちた笑みで、微笑んでくれた。
『私はセクアナ。あなたを産んだ人間よ』




