53話 歪な巡り合い
極彩色の赫。鋭い瞳。不気味に笑う異物。圧迫される重み。
禍々しい「それ」の登場は、あまりにも予想外のことである。
困惑。憤怒。希望。疑問。畏怖。安堵。
「それ」に向けられる感情は様々である。
「それ」が一歩進む。歩いてきた箇所は、泥沼化しているのか、どろどろと汚染されていた。揺蕩っていた緑の粒子を掌で掴み、また嗤った。状況が悪化しているのか、それとも複雑になっているのか。咄嗟に距離を取っていたラジュネスは思考を巡らせ、退却路を探していた。鞘に納めた剣の柄を掴んで、困惑した感情を諫めた。それと同時に、いつも冷静なロクザンが怒りをあらわにしている状況も目にし、更に困惑した。
『酷い様ではないか、カルム』
「騒々しいですね。何故、私の作戦を無視するのですか?」
バキッと氷の融解音を立て、カルム貴が魔力による自己再生を完了させた。有効的に接するカルム貴と、「それ」を崇める公爵ら。一時中断された戦いが再開することを危惧し、英傑会のメンバーは交戦の姿勢を整える。そして、直属の上司であるラジュネスの命令を待ち臨んでいる。
「勝手な行動は慎んでください」
『存外、野蛮な戦力に苦戦しているように、余は見えたぞ』
「今からが任務です」
『戯け』
何やら挑発しているような会話だ。
《ラジュネス》
《…》
魔法波長を駆使し、ロクザンが内密に話しかける。魔法共鳴の副産物技術。会話は二人にしか聞こえない。
《怒ってる?》
ラジュネスは不安に駆られて、つい、尋ねてしまった。
《あなたは考えなくて問題ありません。あまり良い状況ではありません。撤退しましょう》
ラジュネスは英傑会に撤退の指示を出す。敵に悟られないよう、柄を傾けた。
『動くな』
カルム貴と談笑していた「それ」が急に、ラジュネスたちに命令する。気迫が違う。圧に動くことはおろか、呼吸をすることさえ憚られる。嫌な汗が背中を流れ、正体不明の恐怖が支配した。
緊迫した空気が張りつめる中、ラジュネスだけは「それ」と真っ向から目を合わせた。惹かれるような言いようのない親近感。ラジュネスは親近感の正体を探りつつも、今は撤退を優先している。
ガーネットの瞳が哀愁を抱え、ラジュネスの姿勢を讃えた。
『我の愛子…やはり、共鳴は必然であったか…』
意味の分からないことを言う「それ」と瞳が重なる。深淵を覗かれているような感覚と共に、封じていた記憶が突如として脳を走る。
ああ、これで…やっと、解放される…
見返してやる!
我の全てを奪ったこと、返せ…返せ!
苦痛の言葉。罵倒とは違う私怨の言葉。苛烈な復讐心。世界への憎悪。薄暗い地下。腕を掴まれた感触。
忘れている何かが、目の前の者と酷似する。
お前も哀れな子供だ…たが我も、お前を苦しめる原因だ…
我を憎め…望みは叶えてやる…だが、死ぬことは許さぬぞ?
いつか見下ろしていたガーネットの瞳が、「それ」の瞳と一致した。ラジュネスは、「それ」の名を無意識のうちに呟いてしまった。
「―ファタール」
『どうした、我が愛子よ』
心臓が大きく胸打った。
「あれだけの、ことをしていながら…」
催眠状態にかかりそうになったラジュネスは隣にいたロクザンの声で正気に戻った。
「よくも、のうのうと!」
今まで見たこともないロクザンの怒りに、ラジュネスは気後れした。生類魔法を発動し、ロクザンが賢者ファタール卿へと襲い掛かる。鋭利な牙を携えた彼を視界にとらえた賢者は、憂鬱に手を横に振った。すると、ロクザンの体が真っ二つに斬られた。
「は、―?」
ラジュネスは目の前のことが信じられなかった。生命魔法を使い、遠隔で治療を施す。あともう少しという所で、邪魔が入る。瑠璃色の髪を持った人魚が、ラジュネスの視界を覆いつくす。手に短剣を持ち、切っ先を向けた。殺意は感じられなかったが、確実に殺しにかかっていた。
英傑会メンバーである淑女コクリコがそれを制止した。彼女は容赦なく魔法を発動し、人魚を子爵を殺害した。
「あらあら、コクリコ。勝手なことをして良かったの?」
ウラガンが笑った。
「殺害の責任は総帥が取るのよ?」
はっと気づいた時には、既に遅く、策略に嵌められたとコクリコは失意に陥った。半分、自暴自棄になったラジュネスは剣を強く掴み、賢者とカルム貴へ突進した。生命魔法を付与した剣で、強烈な斬撃を放ち、怯ませることには成功した。偶然生まれた隙。彼女は治癒を完了させ、ロクザンを担ぐ。
『侮られたものだな』
「!」
黒染体と、赤く燃える肌が入り混じる屈強な肉体が動いた。無から槍を創造し、未知の力を籠めた。迷うことなく、振り下ろす。ラジュネスの張った防御を無条件に破壊し、彼女の右顔に攻撃を中ててみせた。未知の力で、ラジュネスは魔力が上手く練れず、回復ができない。
『ここで捕らえても良かろう』
賢者ファタール卿がもう一本槍を創造した。想定外の事態の連発でラジュネスに疲労が見える。賢者は手に入れると決めれば、相手の状況は関係ないらしい。ありったけの力を付与し、ラジュネスを戦闘不能へと追い込もうと、槍を振り下ろした。無防備な彼女は、槍が落ちてくる瞬間を眺めることしかできない。
ズドンッ!!
城の壁が破壊され、音源に皆の注目が注がれる。空いた穴から数騎の馬が乱入する。その先頭はアルカンシエル公爵であった。公爵らはラジュネスとロクザン、英傑会のメンバーを回収した。翼を広げ、馬が猛スピードで撤退していく。
「妃殿下、無礼を」
「助かった! 戦況は?」
信頼のおける同盟戦力に、ラジュネスは総帥として責務を果たそうと奮い立つ。
「途中、上空から怪物が三十体ほど出現した。怪物は敵味方関わらず、兵を虐殺し…三分の二を撃墜したっ…」
アルカンシエル公爵の言葉に、ラジュネスは耳を疑った。真相を見定めるべく、セゾニエの上空を見上げた。そこには見たこともない形状の生物が上空を飛行していた。数多くの戦場を経験し、魔物討伐もこなしてきたラジュネスでさえ、怪物の正体を断定できない。複数の魔物の特徴を併せ持った怪物が、ただ飛んでいた。
街を見下ろす。家屋の多くが倒壊している。目を凝らすと、公爵の言っていた虐殺された兵士の死体と空軍が、無造作に散らばっている。火災の発生。灰色の煙が立つ。恐ろしい戦場の光景が広がっていた。追悼もできない。
今は撤退することを優先することが、唯一の選択だった。
セゾニエ対ヴォク・ラテク同盟軍の戦いが幕を閉じた翌日、双方から新たな事実が世界を駆け巡った。
ヴォク・ラテク同盟軍は、神人ジュレが冤罪であったと主張した。証拠として、神人間で行われた会議記録と音声を提供した。これにより、神人ジュレと、アバンチュール隠密部隊隊長ヴォヤージュ・スクル・レゾンの無実が証明された。
首謀者は神人ソレイユと他のセゾニエ貴族であり、目的は不明であるが、世界を混乱の渦に堕としたとして、糾弾した。
一方、セゾニエは未知の怪物を観測し、被害を報告する。とある文書が世界へ公表した。それはヴォク・ラテク軍部五十三代最高司令官が独断で行った殺戮実験ファイルであった。
内容は、数体の魔物を融合させ、新たな人口兵器を生み出すというもの。
実験は見事成功し、キメラと名付けられた個体をメル・オセオンとの戦争で起用したこと。キメラが暴走し、近隣住民へ被害を出したこと。制御不可となり、キメラを放置したこと。
この実験は即座に中断され、隠蔽を図ったこと。
セゾニエの複数の貴族は、ファイルを参照し、未知の怪物とキメラが同一であると判断した。そして、キメラは一体ではなく、約三十体に繁殖し、群れを成して大陸を移動していること。
二つの情報から、各帝国の貴族と国民は抗議した。
キメラ第一次災害に遭ったメル・オセオンの住民は、その危険性を主張し、キメラ討伐をヴォク・ラテク軍部に要請した。
キメラ第二次災害を受け、セゾニエ貴族代表カルム貴も、キメラ討伐はヴォク・ラテク軍部が行うべきと抗議。また、神人ジュレに冤罪をかけたという事実は認めつつも、その件をヴォク・ラテクが裁く権限はないとして、神人拉致の罪状をラジュネス最高司令官及び総帥に言及した。講和会議が賢者リュイヌ卿の仲介で執り行われることとなった。
ネージュ・セルクイユ外相ロクザンの訃報が公開されると、ネージュ・セルクイユの国民は、ヴォク・ラテクとの同盟を破棄すべきだと各地で抗議が行われた。
世界の動乱に、賢者リュイヌ卿が介入した。
勝戦国であるセゾニエ代表カルム貴が、戦敗国であるヴォク・ラテクに以下の条件を要求した。
一、アバンチュールの属国を外れること。
ニ、軍部の解体。
三、キメラ実験の責任を明確にすること。
四、ネージュ・セルクイユとの同盟を破棄すること。
五、神人拉致の罪状を認めること。
六、神人ジュレの返還を即座に行うこと。
これに対し、ヴォク・ラテク代表ラジュネス最高司令官及び総帥が一部の要求を拒絶した。理由は以下の通り。
アバンチュールを統治する神人アンフィニ不在のため、属国関係は破棄できない。
神人の冤罪をヴォク・ラテクが裁く権利はないが、被害者であるアバンチュールは裁く権利があり、戦争の主導権を委任したため、アバンチュールの意思を尊重した行為である。
また、この戦争中はネージュ・セルクイユとの同盟が有効である。神人で取り決めたセーヌ条約第二条に則った行動である。そのため、要求は退ける。
双方の意見が対立する中、賢者リュイヌ卿はセーヌ条約を再度公表し、また、各国の同盟関係を見直したうえで、講和会議を行うことを決定した。
また、ヴォク・ラテクの機密実験についても言及することを決定し、三十ニ年前に起こったヴァンジュレス未解決事件―通称キメラ第一次災害の裁判を開くことを、国民に約束した。




