54話 否認のち断罪
神人の勢力均衡を保つため、神人は四つの条約を採択した。
それが、セーヌ条約であり、法的効力は憲法よりも優位性を持つ。
《第一条》
如何なる理由があろうと、人身売買や奴隷制を禁ずる。
また、絶滅種に認定された種族”人間”は保護下に加えること。
《第二条》
ネージュ・セルクイユは物資提供を行うことを条件に、絶対中立を約束する。
仮に、ネージュ・セルクイユに攻め入った場合、神人グロワールの権限に置いて、制裁を下し、この時如何なる罪状も不起訴とし、如何なる責任も問われない。
《第三条》
勢力の偏りを防ぐため、賢者は神人二名の要請がない限り、介入してはならない。
ただし、五つの帝国が機能不十分であれば、講和会議の仲介役を賢者に委託することが可能である。
《第四条》
以下、条約は憲法以上の法的拘束力を持つ。
しかし、講和会議では国民の意見を尊重したものにしなければならない。
ネージュ・セルクイユとヴォク・ラテクは建国して、すぐ同盟を締結した。名を軍閥同盟。
かの同盟は、物資や金融を優先的にヴォク・ラテクへ提供する代わり、他の帝国がネージュ・セルクイユに進軍してきた場合、共に制裁を下すことを約束する。
かの同盟は、セーヌ条約第二条に則り、如何なる軍事責任も問われないこととする。
空の上、賢者リュイヌ卿の住居区に聳え立つ外交館。公平を期すため、賢者の仲介で行われる。
『これより、講和会議を始める。本会議はセーヌ条約と軍閥同盟を判断材料にすることが確定している。だが、セゾニエとメル・オセオンの臨時同盟の有効性について、国民から疑問の声が上がった』
リュイヌ卿が淡々と進めていく。ヴォク・ラテクとネージュ・セルクイユが共同で入手した会議記録を証拠として提出した事実もあり、国民からは疑問視する声が広がっている。なにより、会議記録はセゾニエ公的物資の為、記録を否定すれば、セゾニエの権威を陥れる行為となる。
ヴォク・ラテク貴族代表ラジュネスが挙手し、発言権を求めた。
『総帥』
「はい。臨時同盟締結の過程において、当の代表者を再起不能に追い込み、代理人であるカルム貴と神人ソレイユ殿で締結された本同盟は公平性がない。なにより、神人ジュレ殿の無実が証明された今、正当性が見受けられない。
これらのことを考慮し、神人ソレイユの権限を剥奪し、メル・オセオンを臨時的にネージュ・セルクイユの属国とすることを要求する。そして、臨時同盟を無効とし、本同盟が原因で生じた今回の大戦の勝敗は無効であることを提案する」
「はい」
セゾニエ貴族代表宰相カルム貴が挙手する。
『臨時同盟の有無に反対があるのか?』
「いいえ、臨時同盟はあくまでも神人の意思を優先した同盟です。セゾニエは、ネージュ・セルクイユに因縁があるわけではありません」
つまり、メル・オセオンの独断であり、神人ソレイユに脅されて結ばざるを得なかったと、カルム貴は主張している。というよりも、さっさとメル・オセオンから手を引いて、憐れな被害者を演じているように見える。
「こちらとしては、我らが神人ジュレ様の返還を催促する国民が後を絶ちません。ヴォク・ラテクに両国の関係を指摘される筋合いもないですし、総帥には神人拉致容疑が掛かっています。説明を」
ターコイズブルーの瞳が冷徹に光る。新緑の瞳は揺らめき、収まった。
『総帥、説明を』
リュイヌ卿が命令した。ラジュネスは焦燥に追われる心を落ち着かせて、説明を始めた。
「カルム貴の進言通り、ヴォク・ラテクの権限はアバンチュールに制限されている。だが、先の大戦でアバンチュールの隊長二名が戦闘不能により、帝国としての機能を著しく低下させた。だが、臨時同盟の影響で、両国の侵略に対抗すべく、戦争に関わる主導権をヴォク・ラテクに委託し、自己防衛戦争を命じた。我々は代理で講和条約を行い、ヴォヤージュ隊長を交渉で返還していただいた。カタラクト要塞の奪還戦争。
もう一つは、神人グロワール様が制裁を下すため、軍閥同盟の条件を活性化させたからだ。セーヌ条約第二条に基づき、ネージュ・セルクイユに侵略した両国に神人グロワールが制裁を下す判断をした。そして、共に制裁を下すことを約束した軍閥同盟の要請を受け、我々ヴォク・ラテクは軍事戦争に協力せざるを得なかった。
かの同盟は、セーヌ条約第二条を付与しているため、如何なる軍事責任も問われない。神人ジュレ様拉致は、ネージュ・セルクイユが望んだ制裁であり、第二条が有効であるため、こちらに軍事責任は無い」
「…」
「よって、五項六項の要求は受け入れられない。また、私が委託されたのは戦争に関わる軍権であり、統治権は有していない。属国関係の外交権もないため、属国を外れることの交渉には応じられない。よって、一項の要求も否認する」
ラジュネスの凛とした態度と、筋の通った発言には、反論の余地がない。カルム貴は大人しく引き下がった。
『よかろう。総帥の提案を公認する。現時点を持って、神人ソレイユを虚偽罪として起訴し、罪人として扱う。また、神人ジュレは平等と安全を考慮し、空の上で一時保護すること。大戦の勝敗は無効であり、なおかつ、ヴォク・ラテクに軍事責任はない』
賢者リュイヌ卿が正式な文書を作る。
「はい。もう一つ、その公文に付け加えていただきたいのですが…」
『申せ』
カルム貴が提案する。
「セーヌ条約第四条に則れば、講和会議は国民の意見を取り入れた提案でなくてはなりません。今、国民は軍閥同盟の必要性を疑問に思っています。軍閥同盟を発動した大戦で、ネージュ・セルクイユは優秀な外交官を失っています。また、世界的にも軍閥同盟は大きな抑止力となってしまう。特にヴォク・ラテクは責任が問われないとなると…少々、均衡関係が乱れるとは思いませんか?
国民の意見を尊重し、ネージュ・セルクイユとヴォク・ラテク間の絶対友好条約【軍閥条約】の破棄、そして、今後に予定されていた全取引の撤廃を要求します」
国民の意見を盾に、有無を言わせない。反対意見が上がらないことで、賢者は公認し、文書に付け加えた。
『軍閥同盟の破棄を命ずる!
以下の提案を明文化し、ユーラトム講和条約を採択する!』
賢者リュイヌ卿が未知の力で、文書を採択した。カルム貴とラジュネス、そしてネージュ・セルクイユ代表神人グロワールが条約に署名し、講和会議の半分が終了する。
『これより、ヴァンジュレス未解決事件―通称キメラ第一次災害の裁判を開始する!
本裁判は多くの被害者の長年の雪辱を晴らすための機会であるため、全世界に中継を行う。公平性と事件への透明性の証明であることを、双方合意のもと、執り行う。異議申し立てが無ければ、沈黙で答えよ』
ラジュネスと、カルム貴は沈黙した。そして、裁判の陪審員を務めることになった神人グロワールは、リュイヌ卿の隣へと移動した。合意に基づき、リュイヌ卿は裁判の状況を世界へ知らしめる魔法道具を使用し、中継を繋げた。
賢者側付きの侍従が、分厚い書を取り出してきた。
「ヴァンジュレス未解決事件―通称キメラ第一次災害の調査を担当した賢者側付き執行官です。公平を期すため、名は伏せさせていただきますが、第一次災害調査組織の責任者であり、今回キメラ第二次災害の発生により、本官が引き継ぎ、事件解決に努めていきます」
魔法道具から、視聴者の声が届く。執行官を称賛する拍手が送られる。
『何故、声を聞けるようにした?』
グロワールが、中継を手配したリュイヌ卿に苦言を呈する。
『国民の意見を尊重しなければならなかった』
『後悔してもしらんぞ…』
グロワールは、ラジュネスを視界に捉えた。少し不安そうにしている彼女を、今は見守ることしかできない。
「三十二年前、メル・オセオン東部辺境伯の領地が襲撃に遭いました。非戦闘員である民間人に被害が及んだ当時、ヴォク・ラテクとメル・オセオンが戦争の真っ只中であったため、ヴォク・ラテクの指示であると憶測が飛びました」
執行官が淡々と事件の概要を話し、そして、ヴォク・ラテクの関与を仄めかす発言をする。ただ、公平性を欠く姿勢は見られない。執行官は当時の軍事記録を事実証明として、提示した。
「当時の戦争を主導したのは前任の五十二代最高司令官であり、貴族出自の高官であり、ヴォク・ラテク貴族の賛成が無ければ、戦争権を持っていても発令に効果はありません。五十二代目の関与は私共では立証できず、彼は無罪であると断定しました。
ですが、辺境伯領は汚染された魔力の影響下で、地の根本から腐敗し、今日に至るまで住民は避難生活を余儀なくされました。住民の証言によれば、襲撃犯はヒト型などではなく、魔獣に近い獣の姿であったこと。それ以降、怪物は目撃されておらず、立証不可が続き、捜索を断念いたしました。
以上が、ヴァンジュレス未解決事件―通称キメラ第一次災害の概要となります。
今回、セゾニエ宰相カルム・ベル・タン様の報告により、未知の怪物を私共も観測しました。怪物の外見的特徴・第一次災害での傷害跡が住民の証言と一致し、事件性があると判断し、調査組織を再編。以下、処罰遂行を目的とします」
執行官が、賢者リュイヌ卿に証拠品を提出した。
「お渡ししたのは、ヴォク・ラテク軍部最高機密事項・機密実験ファイルです。内部告発により入手いたしました。
三十二年前のヴォク・ラテクは元神人デスティネの公的休暇があり、高官が政を担っていました。多忙ゆえに、前任の五十二代最高司令官が戦争を指揮する異例の戦績があったのも、このためです。このファイルにはヴォク・ラテク軍部五十三代最高司令官が独断で行った殺戮実験の詳細が記載されています。
一部、抜粋して公開させていただきます。
戦争の過激化により、兵力減少を受け、五十三代目は新たな人口兵器を生み出す実験を計画しました。複数の魔獣の魂を融合させ、合成魔獣を創造し、個体をキメラと名付けました。五十三代目は実験と称し、メル・オセオンとの戦争でキメラを起用しました。ですが、キメラが暴走し、メル・オセオン東部へと脱走しました。制御不可のキメラを放置し、五十三代目は殺戮実験を抹消し、世間の隠蔽工作を謀った…以上が、ファイルの概要となります」
執行官が告げる事実に、中継を視聴する国民から困惑の声が漏れる。被害者の辺境伯領の住民は非難の声を上げている。
「リュイヌ卿、このファイルを公的物証に定めてもよろしいでしょうか?」
執行官の問いかけ。文書を熟読し終わったリュイヌは矛盾点が無いことを確認し、頷いた。
「実験の実施された時期と場所、外見的特徴とキメラの持つ魔力。全てが第一次災害とセゾニエの怪物と同一であると判断いたしました。
また、辺境伯領の汚染された地に宿る魔力の残穢と、セゾニエに出現した怪物の魔力の一致。複数の目撃証言。以上の調査結果により、キメラ第一次災害の原因は五十三代目軍部最高司令官の極悪な反抗であると断定し、ヴォク・ラテク軍部に相応の処罰を命じます。
そして、実験放置によるキメラ繁殖で被害を受けたセゾニエの戦争をキメラ第二次災害と呼称し、この災害の処罰を決めるにあたって、告発者であるカルム・ベル・タン宰相に尋問権を移行します!」
カルム貴は、待っていたと言わんばかりに、ラジュネスを一瞥した。どこか重苦しい。
「総帥、執行官の説明に異議はありませんか?」
内部告発の言葉。思い当たる節はある。だが、カテドラル伯爵だけが裏切った確証がない。根本を否定すれば、ヴォク・ラテクという帝国そのものを非難にさらす破目になる。
「否定する要素がない」
「そうでしょうね。ならば、こんな非人道的行為を繰り返す軍部は必要ないでしょう?」
ラジュネスは無言を貫いた。
「解体する前に、軍部の蒔いた種を回収していただかなくてはなりません。百年と生きる軍部の幹部は、もういないのですから。軍部の下っ端では責任感に欠けます。軍部最高司令官たるあなたが、全ての責任をもって討伐を完遂させてください」
「…」
カルム貴が朗らかに微笑んだ。その笑みが、逆に圧迫感を生み出す。
「これは第一次災害への対応です。これからは我がセゾニエで勃発したキメラ第二次災害の話をしましょう。
第一次災害は、五十三代目が執り行った実験の被害が想像の範疇を超えたために起こった悲劇です。そして、第二次災害は放棄が原因で起こりえた偶然の悲劇。複合型の生命体キメラは、繁殖機能が少なからず備わっています。ですが、その繁殖機能が後付けで附けられたものではないかと、我々で審議しているのです」
カルム貴は執行官から重要証拠品であるヴォク・ラテク軍部最高機密事項・機密実験ファイルを受け取った。
「資料には、キメラの繁殖機能に関わる言葉は言及されていません。次代の最高司令官が、五十三代目の研究を引き継ぎ、密かに殺戮実験を繰り返していたのではないでしょうか?
ご説明を、五十四代軍部最高司令官ラジュネス」
中継から雑音が響いている。明らかに、ラジュネスに悪意が注がれている。ラジュネスは冷静に返す。
「ヴォク・ラテク軍部に所属するに当たり、各記録に出自が記される。最高司令官ともなれば、出自や経歴が詳細に記される。それに応じて、軍部が掌握する権利を、どれだけ最高司令官に移行するかが幹部会議で決定される。
権利は主に三つ。
国家所属である軍部の人事や出動要請を管理する軍部統括権。
戦争に関わる全ての役目を担う戦争権。
ヴォク・ラテク公式の研究を神人の許可なしに、自由に行える研究権。
五十二代目は貴族出身であったため、軍部統括権の一部と戦争権が認められた。五十三代目は元々、軍部の幹部であったため、三つの権利が保障された。そして、私は戦争奴隷の出自だ。認められたのは、戦争権と軍部統括権の出動要請だけ。研究権は凍結され、五十三代目が暗殺された三十二年前から、ヴォク・ラテクの一切の研究は行われていない」
「…証拠は?」
「ヴォク・ラテク陥落時に、アバンチュールが押収した資料に、軍部歴代最高司令官議事録があるはずだ。ほとんどの研究資料は五十年以上も前のもの。それもすべて、神人の認可が下りている。キメラ第二次災害へ繋がる研究は行っていない」
「あくまで、五十三代目の愚行が生み出した事故というわけですね」
カルム貴が威圧的な態度を正し、尋問を終えた。危機的状況ではあったが、ラジュネスは容疑を否認し、ヴォク・ラテクへの損害を抑制することができた。
《なに、ふざけたこと言ってんだよ…》
裁判を中継で視聴していた国民の一人が呟いた。
《セゾニエが…俺らの街が壊れたんだぞっ。それを関与してねえからって、無かったことにするのかよ!?》
セゾニエという言葉。恐らく、セゾニエの中央都市に住んでいる国民だろう。確かに、都市の建造物が崩壊し、多くの兵士が亡くなっている。
一人が声を上げると、今まで裁判の邪魔をしないように声を潜めていた国民が一斉に口を開いた。
《お前達がキメラを造ったせいで、娘が死んだんだ!》
《故郷を返せ!!》
《元に戻せ!》
《息子はどうなったの!?》
《キメラに襲われて、私の娘は笑わなくなったのよ…》
《こっちは足を食われて、寝たきりなんだぞ。どうにかしろよ!》
《軍部の言葉なんか全部嘘っぱちだろ。証拠で、俺たちの苦しみを…幸せを壊しやがって!》
《何が奴隷だよ…それなら、さっさと働けよ!!》
《キメラはお前が仕向けたんだろう!》
国民の声が苛烈を呼び、キメラと軍部に対する憎悪から、目の前にいる軍部唯一の生き残りに向けられた。
《涼しい顔して、血も涙もない!》
《私達が苦しんだ分、苦しみなさい…》
《俺たちから大切なものを奪ったなら、俺たちも奪ってやる…子供なんて関係ねえ!》
《今まで、よくものうのうと生きて…お前なんか、いなければよかったのに》
《英雄じゃない! ただの人殺しだ!》
《お前がアバンチュールに保護されてから、おかしくなった!》
《エテルネル様を惑わした悪女が…ヴォク・ラテクの兵器が、全部壊したんだ!!!》
この場にいるわけではないのに、声が良く響く。悪い言葉で埋め尽くされた空気。上に立つ者であれば、悪評や非難は日常茶飯事であるが、ここまでの怒号は常軌を逸している。
グロワールは中継を止めさせようとしたが、合意に基づいた中継裁判に中止は許されない。
見ず知らずの者からの悪意ある言葉を、ただただ呆然と聞いているラジュネスは眉一つ動かさない。だが、どこかで諦めているような心理を、グロワールは察した。
『静まれ』
賢者リュイヌ卿が、声を遮った。賢者の絶対命令に、国民は苛立ちを抑え、従った。
『ヴァンジュレス未解決事件はヴォク・ラテク五十三代軍部最高司令官の秘密裏に行った残虐非道な実験が、原因である。また、他の証拠では、軍部自体が腐敗し、かの行為に加担していたことが証明された。
よって、二項の要求を認め、ヴォク・ラテク軍部の解体を命じる。また、軍部唯一の幹部である五十四代目には、第一次災害調査組織が生存反応を確認した三十二体のキメラ討伐を命じる。これは第一次災害への責任であり、今なお汚染しているメル・オセオン東部領域の浄化も含まれている』
淡々と判決を言い渡す賢者に、グロワールは苛立っていた。
『そして、キメラ第二次災害の軍事責任が五十四代目にあると、現状判断できない。アバンチュールが押収したヴォク・ラテクの軍事記録を見直す必要がある。
キメラ討伐は、第二次災害の軍事責任を公表してから行う。三つの帝国が関与する一大事件であるため、セーヌ条約に則り、判決を下す!』




