51話 ペースネージュ
『守り切れる自信はない』
私は守られる対象にあるのか。
『戦場に赴く理由があるか』
あなたが戦場で苦しんでいるのに、私だけ安全な思いをしていいわけがない。
「手前は確かに非戦闘員。あなたに守っていただかなければ、本領を発揮できなかった。けれど、今は違います」
作戦本部として立てたテントで、一人、陣形を組み立てるロクザンは初めて戦場の前線に立つことに興奮している。うまく立ち回れるだろうか。足手まといにならないだろうか。ラジュネスを守れるだろうかと、私情が混じる。
「…大丈夫。恩を返すのです」
手前が初めてラジュネスと会ったのは、八年も前のことだ。ヴォク・ラテクの幹部、当時、手前の専属の主人が遊戯として、観戦をしていた。どの戦いだったか、記憶が定かではない。奴隷として戦地へ赴き、殺し合いの惨状を眺めては、気に入った道具があれば本部への献上品として、回収する。
その時、観戦していた戦いでは、ヴォク・ラテクが不利な状況。主人はあからさまに不機嫌になり、ものに当たっていた。だが、次の瞬間、敵軍の大将が討ち取られた。現場に居合わせた幹部や手前でさえ驚愕した。
すぐに、大将を討ち取った者を呼び出した。対面したとき、更に驚愕した。大の大人を、竜の大将を討ち取ったのは僅か七歳の少女だった。人間には物珍しい銀髪と、心を射る新緑の瞳を持った大人顔負けの美少女。主人は一目で気に入り、少女を奴隷にした。少女に身の回りの世話をさせるだけでなく、手前と少女を同じ軍隊に派遣し、武功をあげようとした。
『また、勝ち…』
手前は戦績を聞いて、呆気にとられた。手前が立てた作戦を少女が忠実にこなし、どんな強敵にも、大群にも勝利を上げている。決して簡単なことではない。専属の主人は積み重なる武功に上機嫌になり、暴力は減った。
辺境の将軍領に求められる国境の激戦は、少女の活躍で劇的に変化した。苦戦を強いられることも無くなり、食料も安定し、収入も得られる。主人は外道だが、まともな食事は与えてくれた。そこが唯一の救いだった。
『ロクザン、ご飯取ってきたよ』
『ああ、ありがとうございます』
『肉が入ってるよ』
『贅沢ですね』
肉入りのシチューは温かく、舌が火傷しそうだ。少女は食事とは別に一冊の本を机に置いた。
『今度は何の本ですか?』
『えっとね、家族の話だよ』
『…へえ』
『徴兵された子供の帰りを、十数年間待ち続けた愛情の物語。この本に書かれてる親、凄いんだよ。子供が好きだった花を育て続けて、販売してるの。この花を買ってくれる人の中に、子供がいることを願って…』
『…』
『子供が徴兵された戦いは長期戦だったみたいなの。大国が総力を挙げて、沢山の死傷者が出たみたい。毎日毎日、戦死者の名が届いて、親子が決別する悲しい物語。この親は毎日絶望するけど、子どもの好きだった花を見るたびに、立ち上がる。そうやって月日は流れて、遂に戦争は終わった。終戦は春。
ちょうど、子供の好きな花が咲き誇る時期。親の営む花屋に一人の好青年が一本の花を買った。
これは私が好きな花なんだ…そう言って、微笑んだ。その笑顔は徴兵された子供と変わらない無邪気な笑顔だった。
凄いよね、ほんとに帰ってこれたんだよ』
『現実ではありえないことですけどね』
『それがいいの。この先分からないことだらけ、でも、こんな奇跡があるかもって信じてた方がいいよ』
『そうですね…ラジュネスは本が好きなんですか?』
『うん、楽しいもん』
毎日の食事で、ラジュネスと話すことが日課となった。苦しいだけの日々に、彼女が理想を語り、叶わない夢を抱かせてくる。戦場で沢山の命を屠る彼女はいつも気丈に振る舞って、決して泣きはしなかった。健気なラジュネスに感化されて、手前に感情が戻ってきた。
ラジュネスと出会って、三年が経過した。手前たちは功績を評価され、神人デスティネ直下の軍部に配属された。手前は外交官として、ラジュネスは英雄としての才能を発揮し、最高戦力に数えられた。
手前が教えた戦術を駆使して、十歳になったばかりのラジュネスはセゾニエの空軍を一時、壊滅状態に追いやる戦果をあげ、神人デスティネのお気に入りになってしまった。
『あの人間、奴隷の癖して俺たちを馬鹿にしやがる』
軍部の幹部たちから愚痴が飛び交う。ラジュネスがデスティネのお気に入りとなって、彼女はある程度、幹部に顔が利くようになった。だが、その裏で彼女は苦しい思いをしていた。
使いたくもない魔法で、同族を実験台にし、デスティネの要望を叶え、必ず勝利を齎すヴォク・ラテクの英雄となった。彼女のいない戦場は負け続きで、その交渉に手前が起用された。
場所が変わってもやることは変わらない。手段が異なっても、敵と戦わされる。でも、そうやってでも生きていれば。
いつかは救われる日が来るかもしれない。
彼女と会わなくなって、二年か。手前はデスティネに呼び出された。
『ネージュ・セルクイユが対価を要求してきた』
ヴォク・ラテクの軍事費を援助するネージュ・セルクイユは、定期的にこちら側の人材を求めている。十年越しの同盟要求にデスティネは応えなければならない。
ネージュ・セルクイユに渡った人材は、神人グロワールの側近になるが、この地獄から救われる。ヴォク・ラテク内の人間奴隷の唯一の救済路。
『…先方はラジュネスを所望していると存じています』
最前線で命を張った少女が救われることに、ロクザンはほくそ笑んだ。ラジュネスと先方の使者も交えた対談も既に執り行われ、決定事項と言える。
『今宵、あの方が訪れる』
デスティネが不可解なことを言い始めた。突拍子もない話題。
『あの方、とは?』
思わず、問い返してしまった。デスティネは上機嫌に嘲笑う。
『貴様は神帝教を知ってるか?』
『…賢者ファタール卿を教祖とする宗教団体でしょうか』
『ああ、だが、謀略で権威は地に落ちた。余が何故、魔力の研究をしているか分かっているか?』
『いえ…』
『あの方を、ファタールを復活させるためだ。人間の魔力は精度は高いが、脆い。ならば、更なる使い手を用意すればいいだけだ』
デスティネの言っていることが分からなかった。地下の実験室に連れていかれ、目には想像を絶する光景が広がっていた。軍部で名高い魔力を有する人間奴隷が悉く倒れている人間奴隷が目に映った。彼らからは魔力が感知できない。全て貪られ、生命を毟り取られていた。実験室の中で、デスティネよりも重い存在感を放つ化け物が映る。ガーネットの瞳、屈強な肉体を持つ何か。手前は思わず息をのんだ。そして、瞬時に察した。この化け物がファタール卿だと。
『!』
ファタール卿に気を取られていたロクザンは、卿が掴んでいる人間奴隷に気づいた。人間には珍しい銀髪の少女。
『デスティネ』
『どうした』
ファタール卿が神人デスティネを呼んだ。古い関係なのか、親しみのある口調だ。賢者は銀髪の少女を持ち上げた。新緑の瞳は虚ろに霞んで、泣き腫らした跡が残る。
少女は手前を見ても、反応しない。ただ、ファタール卿を恐れていることは分かった。
『余と共鳴した』
賢者の言葉に、デスティネは口角を上げた。賢者は少女をうつ伏せに寝かせ、短剣を背中に当てる。
『…なにをっ』
言葉が出ない。衝撃的すぎる。
少女は小さく抵抗しているが、賢者は気にも留めていない。短剣を振り下ろして、少女に傷を与えた。地下室に響く少女の断末魔に、手前は脳天を撃ちぬかれたような絶望を味わった。意識の事切れた少女を相手に、賢者は魔力を吸っていた。その光景が生々しく脳に残る。
『ネージュ・セルクイユとの対談の結果、対価を貴様に決定した』
『…ぁ』
『務めご苦労』
デスティネが少女の救済路を断絶した。手前には、そう感じた。
ネージュ・セルクイユの使者と正式に対談し、同時に軍事費も提供された。断る選択肢も与えない大人の手腕に手前は負けた。甘く見過ぎていた。最終確認を終え、手前はやり残したことを思い出した。
『ラジュネス、起きていますか?』
扉を三回叩き、中へと入る。粗末な部屋。窓際の寝台で寝そべる少女に会いに来たのだ。
『…この後、ここを発ちます』
『そっか、ごめんね。そんな大切な日に、見苦しい姿で…』
ラジュネスの謝罪に、手前は納得いかないと視線で訴えた。ラジュネスが指名され、要望は通常であれば変わらない。だが、ネージュ・セルクイユの使者が彼女が手柄を上げた戦争について言及し、使者の親友を殺していたことが分かり、先方は憤慨。個の対談であったため、ヴォク・ラテクの幹部はおらず、使者はますます憤ったらしい。ラジュネスに罵声を上げ、挙句の果てに手を上げたと。使者の部下は辛うじて制止したが、同胞を殺した犯人を前に、ラジュネスを信頼できなかった。
使者の部下は、そう語った。
『理性のない外交があるなんて…知りませんでしたよ。なぜ、私を指名したのですか?』
手前は怒り、ラジュネスに尋ねた。彼女は空を眺めながら、ゆっくりと応えた。
『私を、いつも励ましてくれたから…一番に救われて欲しかった。
ずっと戦場にいて、罵倒を浴びて、誰も助けてくれなかったから…哀れみでも助けてくれる大人がいてくれて嬉しかった。けど、忘れてた。私はもう人殺しなんだ。英雄なんて敵からしたら…ただの殺人鬼だよ。
それを教えてくれた。私は、あの人達の大切を奪ったんだ。許されていいわけない。初めから助けなんて望んでも意味なかったんだ』
『まだ間に合います。手前が交渉して…』
『無理。昨日あったことが思い出せないんだ。その代わりに、これが結ばれてた』
ラジュネスは腕を見せてきた。彼女の腕に権能が紡ぐ文字が並んでいる。
『今は仮だけど、私はデスティネの愛し子になる。首の皮一枚繋がった…そう思ってるよ』
『…あ゛あ゛あ゛!!?』
非道な追い討ちに、手前はその場で泣き崩れた。
『………手前だけ助かるなんて』
懺悔に、ラジュネスは笑った。
『ロクザンは救うに値する。あなたと話をしてる時が、一番安心できた。グロワール様の側近でも、上手くやっていけるはず』
私は声が出なかった。暴行の跡が目立ち、痛々しい姿の彼女は、共に過ごした時と変わらない無垢な笑顔で励ましてくれた。これから、その身に起きる不幸の連続を、ラジュネスは覚悟していた。
『さよなら、どうか元気で』
手前が去ると、新たな最高戦力が補填された。戦闘に秀でた魔法を扱うヴェリテという少女だ。
手前は神人グロワール様に従い、変わらず外交に尽くした。各国の内情を監視する中、日に日にヴォク・ラテクの勢力が全盛期に戻ってきていることに、神人や貴族は焦りを感じていた。ヴォク・ラテクのやり方を非難し、団結し、戦争を仕掛けても勝てなかった。それもそうだろう。その戦争には、ラジュネスが少なからず関与しているはずだ。
こちら側が勝利を上げられなかったわけではないが、ヴォク・ラテクに打撃を与えることは叶わなかった。手前が去って、ヴォク・ラテクは外交を蔑ろにしたが、その分、戦争の武力に力を費やした。
ヴォク・ラテクの勝利を情報として処理していると、必ず思う。神人の要望に応え、少女が死に物狂いで戦っているのだ。愛の誓いが呪縛となり、逃げられない中で、少女は生き残ろうと地獄で藻掻いている。
手前が安全な食事を摂っている時、少女は腐った毒を食らっている。
手前が暖かな寝台で眠りについている時、少女は冷たい地面で悪夢に魘されている。
手前が心地よい空間で貴族と文面を交わしている時、少女は死線を潜り、その手で敵を屠っている。
手前が外交官として称賛されている時、少女は英雄と畏怖され、腐敗した大人共に痛罵されている。
手前が庭園を歩き、香しい花々を愛でている時、少女はどこの誰かもわからなくなった死体の上を歩き、血腥さに脳が麻痺している。
手前が幸福を感じると、本来これは少女のものだと痛感する。
手前は救われ、少女は地獄に落ちた。その地獄には、手前がいるはずだったのに。
世界の非難とは別に、内部からの苦痛も浴びて、ラジュネスの精神は崩壊している。そのことを知っていても、手出しができないほど、手前は未熟で不甲斐ない存在だ。
(手前は奪った。ラジュネスの幸せな未来を、奪ってしまったんだ)
再会を果たしたとき、ラジュネスはもう純粋に笑うことができないと悟ってしまった。生き地獄で味わった絶望で、いつか夢見た希望を手放したんだ。作り話だと分かっていても、無邪気に理想を語れる時期が、唯一の救いだった。だが、現実を知ると、もう理想は語れない。自信に満ちた日々が閉鎖されていた。
その代わり、ラジュネスの隣にはパートナーがいた。彼は以前の大人と違い、ラジュネスを第一に考えて動いていた。心底、ラジュネスを幸せにしようと考えている。
(手前はあなたに救われた。その恩を返したい。あなたを幸せにすることだけを考えていた。あなたを幸せにするヒトが手前である必要はない…)
ロクザンは陣形を組みなおす。誰にも隙を突かせない完璧な陣形。知識も培い、もう遅れは取らない。手も足も出なかった愚かな自分とは、もう違う。
今度は、助ける番だ。
「あなたが指名してくれたから、手前は今、笑えているのです。だから、今度は手前があなたを笑わせる環境を創ります。それがエテルネル卿であったとしても…手前はあなたの幸せを願っています。いつか、あなたが笑えるように…」




