46話 どこで
ヴェリテはとても愛らしい女性だった。空の上、賢者の庭園で精霊の子供たちと談笑している彼女は、可憐で、穢れを知らない無垢な女性だった。
『ソレイユ様~~!』
晴れの日、麗な日差しが降り注ぐ庭園。ブーゲンビリアのアーチを歩く。噴水のカナルの上に架けられた石畳の先に、ガゼボがある。彼女はティータイムの用意をしている。
空の下で暮らすため、毎日、賢者からの指導や視察を重ね、役割が実現していく。指導者となることを重責と捉える自分は、人の上に立つ性格ではない。新しい環境に自ら飛び込もうとする挑戦意欲もない。だが、
『今日はどんな話をしてくれるのですか?』
私が庭園を訪れるたび、楽しそうに話を求めるヴェリテの愛嬌が見られる。慣れないことをするものではないが、見たい光景を得る対価には良い刺激だろう。
『そうですね…空の下、今回は海のお話をしましょう』
私は偶然を装って、通うことが日課となった。
ヴェリテと話す時間が、至福だった。
隣で笑っていてほしいと。次第に、私は彼女を欲していた。
空の上で変わらない日常を送ろうとしていた。
空の下で五つの国が成立し、空の上に一時的に住んでいた人類は神人を先頭に、国に分かれ、移住することが決定した。
まだ、移住先を決めていない人類は賢者に仕えるか思案している。その中に、彼女もいる。
私は、私の国に彼女を誘おうとしていた。
『ソレイユ様!』
至福の時間が訪れる前に、彼女自ら満面の笑みで走り寄ってきた。
よほど、嬉しいことがあったのだろう。
ヴェリテが嬉しいと思うことは、私だって嬉しい。
『どうしたのですか?』
微笑んで尋ねると、彼女は赤面させながら、言葉を選んでいた。愛らしい仕草がじれったく、早く彼女の喜びの根源を知りたかった。知って、それを贈ろうとも思っていた。
『あのね、私…アヴニール様に求婚されたの!』
────は?
『ずっと前からお付き合いしてたのだけど、まさかアヴニール様も私を好きだったなんて!…正直、私の片想いだと思ってたから、今、とっても嬉しいの!』
彼女が何を言っているのか、理解できなかった。
『こんな下賤な私でもいいの…そう聞いたら、認めてくれたのよ。地位なんて関係ないって』
下賤?
私は一度たりとも、彼女のことをそう思ったことはない。
『アヴニール様に相応しくなれるように、今からでも頑張らなきゃ!
一番に、ソレイユ様に知らせたかったの!』
至福を語るヴェリテの笑顔は、私が見てきた中で、一番輝いていた。
悟ってしまった。
ヴェリテの眼中に私はいない。アヴニールに奪われたのだ。
『ソレイユ様?』
呆けて、返事を放棄していた私を見て、ヴェリテは心配そうに見上げてきた。
『少々驚いてしまって…空の上に定住するのですか?』
『ええ、アヴニール様が宮殿を用意してくださるの。そこで一緒に暮らそうって…誘ってくださったのよ!』
誘ってくれた。その言葉に、私の中の何かの糸が切れた。
『喜ばしいことですね。ヴェリテ、お祝いの品を贈りたいので、一度、私の国に来てはいただけませんか?』
『そこまでしてもらうのは…』
『心配いりません。私たちの仲です。私の海洋国家メル・オセオンを来訪していただきたかったですし、空の下の海を見ませんか?』
私の誘いに、彼女は頷いた。アヴニールに伝えてくると言って、茶会は中止となった。私は、冷めた紅茶の波紋を眺め、冷たく吹き荒れる庭の擽りを冷酷にいなした。
彼女の背中には幸せが乗っていて、彼女の心は私には向かない。
偶然降ってくる至福に永遠はないのだと。
至福を望むなら、環境に踏み込まなければならないと。
至福を永遠にしたいのなら、自らの手で奪わなければならないと。
私の理性は、この思考に上書きされた。
約束通り、彼女はメル・オセオンを訪れた。私が口伝した海を堪能し、愛嬌で周囲を笑顔にしていた。あの笑顔が名残惜しい。
遊び、疲れているであろう彼女を私の城に招待した。彼女を一番の眺望を望める私の部屋に招き、楽しいひと時を提供した。
『綺麗ですね』
感嘆の声を漏らし、夜の海、町の光が点状に拡散する幻想的な風景を、彼女はうっとりと眺めていた。甲板に身を乗り出す彼女を制止した。
『素晴らしいでしょう』
『とっても…綺麗ねぇ』
『…』
『ずっと見ていたいくらいだわ』
『その願い、叶えて差し上げましょう』
私の返答に理解が追いつかない彼女に近づいて、私は短剣を彼女の胸に刺した。大きく見開いた目から失望の念を感じ取れた。桃色の瞳が次第に赤く染まり、彼女から生気が抜けていく。彼女を抱きしめた。身を震わせ、私を畏怖の対象として見ている。
『怖い思いをさせて申し訳ありません、ヴェリテ。こうでもしなければ、あなたは私を見てはくれないでしょう?』
『一緒に…よ、ろこんでくれたじゃない!?』
『素直なあなたを見て、私も素直になろうと思ったのです。あなたは知らないでしょうね、私の思いを。今は知らなくても問題ありません。他者に奪われたあなたは私を見てはくれない。
だから、あなたを殺し、新たに生まれ変わったあなたを迎えに行きましょう』
痛みから逃れようと身をよじり、逃げようとするヴェリテを腕の中にとどめ、絶対に逃さない。
『今世の記憶は消えます。私との思い出も忘れてしまいますが、来世で彩ればいいだけです。あなたが拒もうと諦めません。私はあなたが欲しい。
待っていてください。必ず迎えに行きます』
肉体は朽ちても、魂は輝き続けている。
私は彼女の魂に、神気を注ぎ込み、目印を付けた。
アヴニールが死に際に、彼女の魂と共鳴し、彼女の体で共存することになった。
私は、彼女を殺したことを咎められはしなかった。賢者に不純が混じることを良しとしない人類が隠蔽したのだ。
次第に、アヴニールは忘れられた賢者”蓬莱”の称号を冠し、御伽噺の存在となった。ヴェリテという名は歴史からは消され、ごく一般的な名前になじんだ。
想定外なことは、アヴニールの魂が世界に溶け込んで、ヴェリテの存在を見つけられないことだ。生まれ変わった姿を厭わない。生まれ変わっても、ヴェリテは天真爛漫な可愛らしい女性になっている。
そんな彼女の心の全てを、私で占領したい。
卑劣な手を使おうが、望まぬ頂点の座に居続けようが、性格にそぐわぬ行いをし続けようが、何だってやってやる。
同じ時間と境遇を過ごした神人を敵に回しても、世界を混沌に鎮めようとも、ヴェリテが手に入るなら、私は穢れた心を持とう。
一番の障壁を消し去って、私は、ヴェリテを迎えに行く。
『そこを退け…―蓬莱の賢者!』




