第六話 花嫁の責務
「んげぇ……」
「なんや、渋い顔して……随分な歓迎やな、花嫁さん」
庭園を後にし書斎の扉を開けたら、そこには見たくない顔を見つけて。思わず眉間を寄せる。
「ん? 二人はすでに顔見知りなのか」
私の険しい表情と、黄髪の男の笑みを見比べて、ゼルドが意外そうな声を漏らした。
「今日書庫に寄った時、出会って……」
私がジト目を向けながらそう言い捨てるのを、黄髪の男はどこ吹く風といった様子で受け流す。
「いやぁ、可愛い花嫁さんがフラフラしてたもんだから、ついちょっかい入れたくなって」
「……スレイン。俺の花嫁に、あんまり変な事をしないでくれるか」
スレインと呼ばれた黄髪の男の軽口を遮るように、ゼルドが冷たい声で言った。
魔王のプレッシャーが書斎の空気をピリつかせる。
肩をすくめて、スレインは両手をひらひらと振ってみせた。
「おっと、わかった。わかった。これ以上必要以上に花嫁には近寄らん、それでいいやろ?」
その軽い口ぶりに、ゼルドはまだ不満そうな色を隠しきれない様子で、苛立ちげな溜息を吐いて私にスレインを紹介した。
「こいつは鬼族のスレインだ。今は食客兼護衛として、この城に滞在している」
「よろしゅう、スイでいいよ。花嫁さん」
そう言って、スレインは笑みを浮かべながらスッと私に手を差し出してきた。その笑顔はどこか胡散臭さはあるけれど、私は恐る恐るその手に自分の手を重ねる。
「ルチアっていいます。よろしくお願いします」
私がそう言って軽く手を握り返すと、私とスレインが握り合っている手元を、射抜くような視線が刺さる。
そっと視線を横にずらすと、二人の手を見つめるゼルドの姿があった。その表情はこれ以上ないほど不機嫌な顔だ。
ゼルドのその様子にスレインは面白がるようにニヤリと笑い、さっと素早く手を引っ込めたのだった。
スレインの紹介も終わり私はあの後二人と別れた。その後大広間で合流したゼルドは、先ほどの外装から一転、黒を基調とした気品ある装いに身なりを整えていた。緊張しながらも、私はテーブルの席へと腰掛けた。
広すぎる空間に、私と魔王ゼルドが二人きり。
先ほど庭園で交わした言葉が頭の片隅をチラついて、どうにも落ち着かない。何か話を切り出すべきか、それとも黙って座っているべきか。気まずいような、むず痒いような微妙な空気。
そんな私の心中を察してか、良いタイミングにテキパキと控えていたフィオナが、料理を並べていく。
お肉の焼ける香ばしい匂いや、スープの温かい湯気がふわりと鼻をくすぐり、緊張で縮こまっていた胃が思わずキュッと鳴りそうになった。
「お待たせいたしました、ゼルド様、ルチア様。本日のディナーでございます」
フィオナが恭しく一礼し、テーブルの上に料理が出揃う。
カチャカチャと、静かな大広間に銀食器が擦れ合う音が響く。
私は心の中で冷や汗を流しながら、フィオナから教わったテーブルマナーを必死に思い出して実践していた。正直、見よう見真似で手元はかなり怪しいし、完璧とはいえないけれど、今はこれで精一杯だ。「まあ、おいおい慣れていくしかないか……」と心の中で自分をなだめる。
そんな私の悪戦苦闘を、見つめていたゼルドが、ふと「ほう……」と意外そうな声を漏らした。
彼はどこか感心したような、面白がるような笑みを浮かべている。どうやら、唐突に連れてこられた人間の村娘が、最低限のマナーを守ろうと頑張っている姿が、彼のお眼鏡には十分にかなったらしい。
「……ふっ、大したものだな」
私は「あぁ、よかった……減点対象にはならなかったみたいだ」と、胸の内で大きく安堵の息をついた。
やがて食事が終わり、音もなく控えていたフィオナが手際よく、あっという間に食器を片付けていく。広々としたテーブルの上には、ティーカップが置かれるだけの静寂が戻ってきた。
さて、ここからが本番だろうか。
フィオナが恭しく一礼して部屋から退室していくと、ゼルドは組んでいた指をほどき、ゆっくりと私の方へ体を向けた。その赤い瞳が、すっと真剣な色を帯びる。
「さて、花嫁殿、いや、ルチア」
ゼルドが改まって私の名前を呼んだ。
「まずは、私の花嫁としてそなたを歓迎する」
静まり返った大広間に、ゼルドのよく通る声が響き渡る。
彼は紅茶のカップをソーサーに置くと続けた。
「……あの夜は、少々強引だったと思っている。だが、古からの約定だったのだ。……許してほしい」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏によみがえったのは、あの日の夜。
魂の契約と称して無理やり交わされたあの濃厚な口づけのことだ。
昨日のことを思い出し、私は返事をすることもできず、ただきゅっと唇を結んで押し黙るしかなかった。
「あの儀式について、ルチアはどこまで知っている?」
「……あまりよく知りません。ただ、百年に一度選ばれるということだけは……。それに、城の書庫で魔王と勇者の童話を少し読みました」
私はおそるおそる、しかし正直にそう答えた。
頭の中に浮かぶのは、書庫でめくった古い絵本のページ。そこに記されていた一節だ。
『平和の結界を保つため、人間界から魔王の花嫁を一人、差し出す』
「そうか、あの本を読んだか」
ゼルドは、どこか遠くを見るように、小さく頷いた。
「そうだ。あれはかつて、魔王と勇者が紡いだ盟約。人間側が魔王に花嫁を差し出し、その花嫁が、人間界と魔界を隔てる平和の結界を維持する。……そういう取り決めだ」
「結界の、維持……」
呟きながら、私は背筋が冷たくなるのを感じた。私の存在そのものが、この世界全体の平和のバランスを保つための楔になるということだ。
「……つまり、私がここにいるのは、その、世界を安定させるためのシステム的な、楔ってことですか?」
思わず社員時代の思考が顔を出し、そんな現実的な言い回しをしてしまう。
「楔、か。まぁ、概ね間違いではないが、だが、今回の儀式は、過去のものとは意味合いが少し違う」
ゼルドは落ち着いた声で続ける。
「本来は、結界を維持するだけでよかった。実際のところ、過去の歴代の花嫁たちも、みな膨大な魔力を保有している特異な者たちが選ばれていたからな」
「……魔力、ですか?」
私が首をかしげると、ゼルドはかすかに頷いた。
「そうだ。だが今回は、前回からちょうど千年という大きな節目にあたる。……つまり、これまでの維持では間に合わない。古びた結界そのものを根底から新しく入れ替える必要が生じたのだ」
千年に一度の大規模な更新。
ただの百年に一度の生贄ローテーションじゃなかったのか。今回はその千年分の歪みや魔力の消耗を全てリセットして新しい結界を構築する、とてつもない大工事の真っ最中だということだ。
「結界の入れ替え……それって、私ひとりの魔力でそんな大層なことができるんですか? 私は魔力なんてものないし、特殊な能力なんてないんですけど……」
「そうだな。ルチアには魔力はない。俺も最初はそう思い花嫁候補から外した。しかしルチアには魔力を弾く特異体質がある。これは結界の貼り直しに大いに役に立つ。そして俺の魔力を許容できる余白があった。だからこそ、俺の力を分け与えることにした。……感じられるはずだ」
ゼルドの言葉に、私はハッと息を呑む。
魔力がない。それはこの世界に来てからずっと感じていたし、前世の記憶を持つ私にとってあまり不思議に思わなかった。なのに、魔力を弾く特異体質? そして、魔王である彼の力を許容できる余白がある。
言われるがまま、私はそっと自分の胸元に右手を当てた。
「……っ」
その瞬間、自分にものとは明らかに違う、ドクン、と脈うつ何かが体の中を走る。
それは、まるで、別の何が自分の奥に入り込んでいるような、不思議な感覚。
自分のものではない何かが、巡っているのがわかる。
「これって……私の体の中にいるのって、ゼルドの……力?」
「そうだ」
ゼルドは頷くと、背もたれに体をよせる。
「お前はただの人間でありながら、俺の半分を宿している。その力を使いこなせ」
そんなサラッととんでもない大役を言い渡されても、一般人だった私に実感が湧くわけがない。だけど、胸元に手を当てれば、私のものとは違う何かがそこにある。
「結界の儀式については追々話していくことになるだろう。その前に、魔王会議に出席してもらう。わからないことはフィオナに聞いてくれ」
ゼルドがそう告げた瞬間、いつの間に控えていたのか、物音もなくフィオナがすっと歩み出てきて、うやうやしく深い一礼をした。
「……話が長くなったな。考える時間も必要だろう。今日はこれで終わりにしようか」
「……はい」
カチリと進む時計の針を見てゼルドはそう呟いた。
ゼルドが席を立ち、大広間から去っていくのを見送りながら、私はその場にぐったりと崩れ落ちそうになるのを必死で踏みとどまった。
頭がぐるぐるする……っていうか、情報量がキャパオーバー。
千年に一度の大規模な結界の入れ替え。そのための特別な楔として選ばれた花嫁。おまけに魔王の半分をその身に宿している。
あーもう、ゲーム履修しておけばよかった! 思い起こすのは積みゲーの山。
ダラダラとソシャゲのストーリーを斜め読みしていた過去の自分を、今すぐタイムリープしてボコボコに殴りに行きたい。
「ルチア様、お疲れ様でございました。……お部屋までお送りいたしますね」
フィオナが心配そうに、けれどどこか優しい笑みを浮かべて声をかけてくれる。
私はドッと疲れたように頷き、自分の胸でうずくゼルドの力をそっと感じながら、重い足取りで自室へと戻るのだった。




