第七話 初夜
フィオナに手伝ってもらいながら窮屈なドレスを脱ぎ捨て、ゆったりとしたシュミーズ一枚になると、私はそのまま大きなベッドに沈みこんだ。
ふかふかの羽毛布団に顔をうずめる。
あーもう、本当に疲れた。
今日一日で経験した情報量のキャパを思い出し、ベッドの上で密かにジタバタと足をバタつかせる。
魔王の花嫁としての役割、千年に一度の結界の入れ替え、そしてゼルドの力。どれをとっても私には荷が重すぎるものばかりだ。
「急に世界平和のためなんて言われても……」
そんな大役、プレッシャーで胃に穴が開きそうだし、そもそも私に勤まるわけがない。
けれど、これがこの世界のメインシナリオなら、逃げ出したところでどうせ詰みだ。それに、本来ここにいるはずだった主人公の立場を私が奪ってしまった以上、これを投げ出すことは許されないのかもしれない。それが、異世界に迷い込み、原作を壊してしまった私が背負うべき責任なのだろう。
「はぁ……」
今日何度目になるかも分からない、大きなため息を天井に向けて吐き出す。
ベッドの上でジタバタと現実逃避をしていたその時、コン、コン、と静かに扉を叩く音が響いた。
「ちょっと、いいか」
よく通る落ち着いた声。
間違いない、先ほど自室へと見送ったはずのゼルドの声だ。
「え……?」
こんな夜遅くに、一体何の用だろう。今日はいろいろ頭がパンクしそうだったから、これ以上はさすがに勘弁してほしいそんな呑気な疑問を抱きかけた瞬間、
待って。
待て待て待て、ちょっと待って。
自分の立場を、私は今ようやく冷静になって思い出した。
私は今、魔王の花嫁としてこの城に連れてこられている。
確かに誘拐まがいの強引なやり方だったし、政略結婚みたいなニュアンスではあるけれど……それでも形式上は結婚は結婚なのだ。
そして今日は、その魔王に嫁いでからの、記念すべき初日。
つまり、これは……。
「……っ!?」
頭の中で初夜という二文字が浮かび上がる。
いやいやいや、待って! 待て。まって!相手は魔族の王であり、形だけの夫婦なんて許してくれるはずがないのは、分かるけども。けども!それに、そもそもさっき庭園であんなに濃厚なフラグを立てまくっていたじゃないか!
「うそ、嘘でしょ……!? まだ心の準備が、全っ然できてないんですけど……っ!」
すっかり薄手のシュミーズ一枚になってしまっている自分の姿に、心臓が爆発しそうなほど暴れ回る。
コン、コン、と、先ほどよりも少しだけ間を空けて、再び扉を叩く音が響いた。返事をしなければこのまま押し入ってきそうな威圧感がドアの向こうからヒシヒシと伝わってきて、私は真っ青になりながらガタガタと震えた。
「あ、あれ、この原作って全年齢版だっけ……? いや、乙女ゲーだから割とレーティング高いかも、15禁ならそういうシーンもある……!?」
脳内で猛スピードで駆け巡る全年齢・成人向け・CEROレーティングの諸問題。
私が知識として持っていたこの世界の原作は、乙女ゲームで、魔王のダークな雰囲気を考えれば、一般向けの綺麗めな恋愛ファンタジーなのか、それともサスペンスや官能要素強めのちょっぴり危ないやつなのか。
「というか、NTR(寝取り)になるから、流石に他のルートのことも考えるとここでそういう事をするのはないんじゃないかな!??……いや、それはゲームの話で、今はあくまでリアルでっ!」
いや、考えてる場合じゃない! 目の前の現実として、今まさにあの魔王がドアの外に立っているんだから!
「ど、どうしよう……っ!」
薄手のシュミーズ一枚という無防備さ。さっきまで「世界平和がー」「責任がー」と真面目に悩んでいた頭の容量が、一気に初夜の危機というプライベートすぎる大ピンチへの対処で埋め尽くされていく。
布団を頭からすっぽりかぶって「いません! 寝てます!」と現実逃避をキメるべきか。
コン、コン、コン。
猶予を与えないように、三度目のノックが静かに、けれど逃げ場を塞ぐように響いた。
「ルチア。起きているのだろう? ……開けるぞ」
「ひゃっ……!?」
ガチャリ、と。扉が、開いた。
パニックのあまり、私はベッドの上で変なポーズ、布団を被り全速力で逃げ出す寸前のまま盛大に固まった。
「……何をしている」
ガチャリと開ききった扉の向こうから、呆れたような声が降ってくる。
おそるおそる、頭からかぶっていた布団の隙間から顔を覗かせると、そこには。
ゆったりとした服へと着替えたゼルドが、腕を組んで私を見下ろしていた。隙間からちらりと覗く、引き締まった胸板が色っぽく、私は心の中で「くぅっ……!」と思わず悶絶する。
私の情けない格好と、ベッドの上で慌てふためいている無様な姿が完全に視界に入ったのだろう。ゼルドはふっと口角を上げた。
「……ふむ。俺の来訪にそこまで慌てるとはな。もしかして、期待して待ち構えていたのか?」
「ち、違いますっ! 全然待ち構えてませんし、むしろ心の準備が一切できてません!!」
反射的に叫び返すと、ゼルドはくっくと笑い声を漏らしながら、ベッドに歩み寄ってきた。
「安心しろ。今日はいきなりお前をどうこうするつもりはない……と言いたいところだが」
ベッドの縁に腰を下ろしたゼルドは、すっと長い手を伸ばし、私の頬をふわりと優しく包み込んだ。
「お前がこれほど俺を意識しているのなら……今すぐここで襲ってもいいがな」
布団の隙間から見上げたその顔は、まさに獲物を逃がさない飢えた狼そのものだった。
「な、なな……っ!」
私の喉からはまともな言葉が出てこない。カチコチに固まる私を見て、ゼルドはふっと楽しげに目を細めると、スッと私の頬から手を離した。
「まぁ、冗談はこれっくらいにしておく」
冗談だったの……? いやいやいや、さっきのあの飢えた狼みたいな顔、絶対1ミリも冗談じゃなかった気がするんですけど……!
心の中で激しくツッコミを入れながら、私はまだ収まらない動悸を抑えてベッドの隅へと縮こまった。
そんな私を他所に、ゼルドは真面目な顔つきへと切り替える。
「先ほど、お前に俺の力を分け与えたと言ったな。まだ体に馴染んでいないだろう」
言われてハッと胸元に視線を落とす。確かに、脈打つそれは、わずかな異物感、違和感となって残り続けていた。
「……はい。なんか、こう……じんわりと熱くて、まだ自分のものじゃない感じがします」
「だろうな。人間の肉体が、俺の魔力をそのまま受け止められるはずがない」
納得したように頷くと、ゼルドは再びゆっくりと私へと手を伸ばしてきた。
「だから、定期的に俺が魔力を流し込み、ルチアの体に俺の魔力を慣れさせる。今日は、そのために来たのだ」
魔力の波長を合わせるための、調整。
勝手に一人でドキドキして、身構えて、赤面して……初夜だと思い込んでいたなんて、恥ずかしすぎて今すぐベットの隙間に埋まりたい。
ばか、私のバカ……っ! 落ち着け、相手は魔界の王で、何色気づいた勘違いしてるの、私……っ!
カーッと一気に赤くなった顔を隠すように、私は両手で顔をぎゅっと押さえた。
「ルチア? どうした、顔が赤いぞ?」
ゼルドはきっと、私がどんな盛大な勘違いをしていたのか、すっかりお見通しなのだろう。
面白がるように、少し笑うとゼルドは楽しげな笑みを零した。
「な、なんでもない! 何でもないから早く魔力を馴染ませて!」
これ以上からかわれたら本当に羞恥心で消滅してしまいそうで、私は半泣きになりながらそう言い捨てる。そして、誤魔化すように自分の体を差し出した。
「ふっ……わかった。逃げるなよ?」
楽しそうな笑い声を残し、ゼルドはすっと表情を引き締める。
ゼルドの大きな手が、そっと私の胸元、その心臓のあたりに重ねられた。
その瞬間、ゼルドの魔力が私の中に直接流れ込んできた。
「ぁあっ……ぁ……」
痺れが中心から一気に広がり、私は思わず小さく声を漏らしながら、反射的にゼルドの腕をぎゅっと掴んだ。
彼の体温と、火照る体を抑えながら、私は全身を駆け巡るゼルドの魔力に。痺れるような感覚と、内側から満たされていくよう心地よさに身を委ねていく。
は、入ってくる……ゼルドの力が、私の中に……っ!
体が熱を帯び、頭がとろけていくような痺れが広がる。ゼルドの手が、指先から私の体を優しく馴染ましていく。
「ふむ……思ったより、すんなり受け入れているな」
耳元で、満足げなゼルドの声が響く。その声すら、今の過敏になった私には直接脳内に響く快感のようで、背筋がゾクリと跳ねた。
「……っ、苦しく、ない……けど……なんだか……っんん」
荒い息を吐くたびに吐息がこぼれ、焦点の定まらない視界の端に、ゼルドの赤い瞳が映る。
体の奥までせり上がってきた熱のせいで、まともな言葉にならない。
私の体の中、ゼルドが入ってくる
もっと、奥へ。もっと深く
ゼルドは私の中へさらに濃厚な魔力をじわりと押し込んできた。
「んんっ……ぁあぁ……」
甘い悲鳴が、こぼれ落ちる。
人間と魔族。本来なら相入れないはずの力が私の身体では受け止めきれないはずの異質な魔力が、ゼルドによって私の体を新しい形に塗り替えるように浸透していく。
体が熱い。
心臓の音がうるさいほどに耳の奥で響き、ゼルドが私を隅々まで開発していく。
自分のものじゃない何かが体内を満たし、形のないはずの魔力が私の魂をなぞっていく。
「ふむ……まだ入るな。お前の身体は、思っている以上に素晴らしい」
耳元で囁かれた声に、頭がどうにかなりそうだった。
拒絶するどころか、もっとゼルドを、彼の存在を私の中に刻み込みたいと、身体が勝手にうずいてしまう。
逃げ場のない快感と気だるさに翻弄され、魂の奥まで侵食されるような、逃れられないほどの感覚。自分でも分からないまま、わずかに身じろぎして逃れようとする私を、ゼルドは許さなかった。
「動くな、ルチア。まだ終わってないぞ」
どうにかしようと身じろぎする私を、逃がさないとばかりにゼルドの手が私の体を強く固定した。最後のひと押しとばかりに、濃密な魔力を私の奥深くまで一気に放つ。
「あぁっ……ぁ、あぁ……ぁああああ!」
ゼルドの魔力がドクドクと私に流れ込み、内側から激しく脈打つ。心地よい気だるさに変わり、私の身体から一気に力が抜け、そのままゼルドの胸板へとぐったりと身を預けた。
「よし、今日はこんなところでいいだろう。大丈夫か?」
ゼルドの声が、遠くから聞こえる。
私はぼんやりとした頭で、かろうじて「はい……」と小さく呟くのが精一杯だった。
そんな私を見ると、ゼルドはふっと柔らかく微笑んだ。そして私を包み込むようにしてベッドへと横たえてくれる。
「今日はもう休め」
耳元で囁かれたその言葉は、どこまでも甘やかで、優しかった。
彼の大きな手がふわりと私に触れ、唇の感触。
「おやすみ、ルチア」
花嫁としての役割はある。でも今はゼルドの傍にいたい。そう思った。




