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第四話 書庫

「ひま……」

 

 部屋に戻っても特にやることがない。ふかふかのベッドにダイブしてみたものの、眠気があるわけでもなく、ただ天井を仰ぐだけ。

 

 考えてみれば、私は魔王の花嫁という名目で連れてこられたけれど、肝心の魔王は不在だし、フィオナが言っていた花嫁としての仕事や役割だって、まだ何も告げられていない。

 

「フィオナは城の片付けとか言ってたけど……魔王もいないし」

 

 大きな部屋にぽつんと一人ぼっちで取り残されていると、妙な虚無感がじわじわと胸のあたりに広がってくる。

 

 このままベッドの上で一日を溶かすのは、何だか勿体無いきがした。何より暇だ。

 

「よし、じっとしてても仕方ない。この魔王城の中を、ちょっと探検してみようかな」

 

 思い立ったら吉日。私はよいしょとベッドから起き上がり、自室の扉をそっと開けて廊下に顔を出した。

 

 目の前に広がるのは、大きな廊下だ。今朝、お風呂場や広間を案内されたときの記憶を頼りに歩こうと思うが、いかんせん、広すぎる。

 

 まあ、迷子になったらその時はその時か

 

 私は気を取り直して歩き出し、手当たり次第に、ガチャリとドアノブを回して開けてみることにした。


「わあ、ルチア様、どうしたんですか?」

 

「ん〜、ルチア、きみもお昼寝する?」

 

 手当たり次第に開けた部屋の一つからは、お掃除中のフィオナが顔を出し、別の部屋からは、ふかふかの絨毯の上で丸くなっていたシフォンがのんびりと声をかけてきた。

 

 炊事場や客室、シフォンのお昼寝スポットなどなど、あちこち覗いてみたものの、どれも普通の生活空間ばかりで、これといって面白いものや秘密の仕掛けがあるわけでもない。

 

 魔王城というからには、もっとこう、怪しげな実験室とか、怪物がうごめく地下牢とかがあるものだと思っていたのに。

 

 なんだか少し肩透かしを食らったような気分で、トボトボと廊下を歩き続けた。

 

 そして、気がつけば私は、このお屋敷の中で一際大きく、重々しい両開きの扉の前に立っていた。

 

 ここは確か、今朝の廊下でもひときわ存在感を放っていた部屋だ。

 

「……書庫、だっけ」

 

 恐る恐るその巨大な扉のノブに手をかけ、ぐっと力を込めて押してみる。

 

 ギィィ……と、静まり返った廊下に古びた重い音が響き渡り、ゆっくりと扉が開いた。

 

 中に足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を呑んだ。

 

 目の前に広がっていたのは、床から天井の遥か高いところまで、何万冊もの分厚い本がつまっている。


 中央には吹き抜けのフロアがあり、二階の回廊へと続く螺旋階段が伸びている。漂ってくるのは、古い紙とインク、そして微かに香木の匂い。

 

「すご……書庫っていうか、もう大きい図書館みたい……」

 

 あまりの蔵書の数々に、さっきまでの退屈さはどこかへ吹き飛び、私の冒険者心が(前世のオタク心も含めて)一気に刺激される。

 

 これだけ広ければ、何か面白そうな本や、この世界の秘密が書かれた文献が見つかるかもしれない。

 

 私はワクワクしながら、ずらりと並ぶ本棚の間へと足を踏み入れた。


 それを見つけるのに、時間はかからなかった。何万冊と並ぶ古書のなか、まるで引き寄せられるように、目当ての一冊がすっと手にとった。

 

 表紙に記されていたのは、古びた金文字のタイトル。

 

 魔王と勇者の伝説

 

 パラパラとページをめくると、そこには色褪せた羊皮紙の上に、御伽話つづられていた。


 むかしむかしあるところに、人間たちの住む国と、魔族たちの住む国がありました。

 

 二つの国は長いあいだ、終わりなき戦争をくりかえし、世界中が悲しみと暗闇に包まれていました。

 

 けれどあるとき、一人の勇者が立ち上がります。

 

 勇者は黄金の剣を手に、魔王の城へと単身乗り込みました。激しい戦いのすえ、勇者はついに魔王を追い詰めました。

 

 しかし魔王は、決して死ぬことのできない呪われた不死の身。

 

 どれほど傷つけても滅ぼすことができないと知った勇者は、魔王とひとつの約束を結びました。

 

 お互いの領域には踏み込まない。その代わり……平和の結界を保つため、人間界から魔王の花嫁を一人、差し出しす

 

 こうして、終わらない戦争は終わりを告げました。

 

 ふたつの世界を結ぶ境界の結界を守るため、人間の娘が、花嫁として魔王へ嫁ぐことになったのです。

 

「……これって、つまり……」

 

 私はページを押さえたまま、思わず息を呑んだ。

 

 私をあの村から連れ去り、強引に花嫁としてこの城に連れ帰った理由。それは結界を維持するための、守り目としての役割だったのだ。

 

「もしこの御伽話の話が本当なら……私、結界を維持するためにここに連れてこられたってこと?」

 

 古びた魔王と勇者の伝説のページから視線を外し、自分の両手をじっと見つめてみる。

 

 けど、手のひらはただの普通の私の手で。前世の記憶はあっても世界を分つ結界を支えるような、そんな大層な魔力なんて宿っている気が微塵もしない。私ができるとは思わなかった。

 

 最初エレーナを選ぼうとしてたのに急に変わったし、意外と判断基準は曖昧なのだろうか。やっぱりただの生贄として、ポイッと放り出されたりして。

 

 一人でぶつぶつと悩んでいると、背後からふと、気配もなく足音が近づいてきた。

 

 次の瞬間。

 

「あ……っ」

 

 手の中で開いていた古びた本が、ひょいっと軽々と奪い取られてしまった。

 

「ふーん、こんな本読んでるんや。おもろいんか、それ?」

 

 頭の上から降ってきたのは、どこか人を食ったような言葉。

 

 びくりと肩を震わせて振り返る。

 

 どこか和風の着物のような仕立ての衣装を纏った男だ。ふわりと揺れる黄色の髪に、角が二本。余裕たっぷりな琥珀な笑み。

 

 彼は奪った魔王と勇者の伝説を片手でひらひらと持ち上げながら、どこか面白がるような視線を私に向けている。その上から目線で見下ろしてくるような瞳が、妙にカチンとくる。

 

「っ、返して! 勝手に読んでる本を取るなんて」

 

 私は慌てて立ち上がり、不機嫌そうに眉をひそめてその男を睨みつけた。


「おー、こわ。なんや、今世の花嫁はえらい気つよいな」

 

 面白がるように片方の口角を吊り上げると、ふっと妖しく微笑んだ。

 

「でも、そういう気の強い女も、嫌いやないで」

 

「っ……!」

 

 すうっと気配を感じさせないように自然に、彼は一瞬にして私の懐へと踏み込んでくる。

 

 思わず反射的に一歩、後ずさったものの、退路はあっけなく断たれた。

 

 ドン、と背中に固い木の感触がぶつかる。振り向かなくてもわかる、本棚の壁だった。

 

 さらに、彼は私の両脇の本棚にドン、と両手をついて私の逃げ道を完全に塞いだ。

 

 すぐ目の前にあるのは、気の強そうな瞳と軽薄そうな笑顔だ。着物の襟元から覗く首筋が見え、至近距離で面白そうに私を見つめる。

 

「なっ……離れて……っ!」

 

 恥ずかしさと焦りから顔を真っ赤に染めながら、私は精一杯彼の胸元を両手で押し返そうとする。

 

 けれど、その体はビクともしない。それどころか、彼はさらに顔を近づけてきて、耳元をくすぐるような声で囁いた。

 

「嫌やと言われて素直に引くほど、俺は紳士やないねん。……なぁ、お前、本当に何も知らんとここに連れてこられたんか?」


「……っ!?」


 はむっ

 

 思わぬ不意打ちに、全身の産毛が一斉に逆立った。

 

 拒絶の言葉を紡ごうと開いた私の唇のすぐそばで、彼の唇が、ふいに私の耳たぶを甘噛みするように軽くついばむ。

 

「ん……っ、なっ……何っ?!」

 

 耳元に直接かかる男の吐息と、ぞくりと背筋を這い上がるような甘い悪寒。

 

 耳から頭の芯にかけて沸騰する。逃げ場のない私の耳元にさらに唇を寄せ、意地悪く息を吹きかけた。

 

「……耳まで真っ赤やで。案外、うぶやないか」

 

 囁く声が、まるで脳の奥を直接撫で回すように響く。

 

 背中を預けた本棚の硬さと、彼の至近距離からの圧迫感に私の頭は完全にショート寸前だった。


 私は真っ赤に染まった顔を隠すこともできず、潤んだ瞳で彼を思い切り睨みつけた。

 

「はい、そこまでだよ。それ以上やると、魔王様に言いつけるよ」

 

 ふわりと響いた、鈴のような声。

 

 下を見ると、いつの間にかすぐ足元にちょこんと座るシフォンの姿があった。その小さな身体の周りの空気が、ほんのわずかばかり揺れ動く。

 

 それを間近で感じ取った瞬間、私を追い詰めていた黄髪の男は「おっと」とでも言うように、パッと軽やかに身を引いた。

 

「なんや、ただのお遊びやないか」

 

 彼は着物の裾を軽く払いながら、どこまでも軽薄な笑みを崩さない。

 

 私は乱れた服を慌てて直し、大きく高鳴る鼓動を誤魔化すように、目の前の男をキッと強く睨みつけた。

 

「……っ」

 

「怖っわ。そんなに怒らんとってや。俺はただ、新しい花嫁さんがどんな子か気になって挨拶に来ただけやから」

 

 ひらひらと片手を振ってみせるその態度は、反省の色など微塵もない。


 黄髪の男は「ほな、またな」とでも言うようにひらひらと手を振り、まるで風のように軽やかな足取りでどこかへと去っていった。

 

「はぁ……」

 

 足の力が一気に抜け、私はその場にすとんとへたり込んでしまう。床に膝をつき、両手で自分の頭を抱えた。

 

 無理無理無理。あんな至近距離で顔を覗き込まれて、耳を噛まれて、おまけに壁ドン。心臓が何度バクバク言えば気が済むのよ。この魔王城、心臓がいくつあっても足りないんですけど!

 

「ルチア、大丈夫……?」

 

 トコトコと足音が近づいてきて、心配そうな声が降ってきた。

 

 見上げると、シフォンが小さな首をかしげて私を見つめている。

 

「シフォン……っ!」

 

 私はうずくまった姿勢のまま、そこにいたシフォンをわっと両手で抱きしめ、もふもふの小さな体に顔をうずめた。

 

「はんぎゅっ……!?」

 

 突然の不意打ちに、シフォンは喉の奥で変な声をもらしながらも、逃げ出すことなく、されるがままにじっと私の抱擁を受け入れてくれる。少しお日様の香りがするその小さな体をギュッと抱きしめると、心臓の音が少しだけ和らいだ。

 

「この先、私……本当にやっていけるのかなぁ……」

 

 シフォンの体をクッション代わりにしながら、私は盛大にため息をつく。

 

 転生者だなんだと言ってみたところで、前世の私はせいぜいデスクワークに追われ、週末に推し活をして、家で漫画を読んでいたただの一般人だ。チート能力なんて便利なものはないし、目の前で繰り広げられる乙女ゲーの世界。

 

 理不尽なイケメンに振り回され、精神をゴリゴリと削られていくこの生活。正直やっていける気がしなかった。

 

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