第三話 朝食
「ん〜、いいお湯だった!」
ふかふかのタオルで髪を拭きながら、私は大きく伸びをした。
村では決して味わえなかった朝風呂でリフレッシュできた。元日本人としては最高の一日と始まりだ。
お風呂のあとは、フィオナに手際よく上品な仕立ての新しい服に着替えさせてもらい、そのまま「朝食の準備ができました」と広い廊下を案内されて大きな大広間へと通された。
うわ、天井たかっ……!
足を踏み入れた瞬間、私は思わず首をぐっと持ち上げて天井を見上げてしまった。
宮殿の一室かと思うほど天井が高く、壁には美しいタペストリーが飾られ、部屋の中央には長机が置かれている。どこを切り取ってもスケールが大きすぎて、庶民の私としては気後れしてしまいそうだ。
促されるままに、ずらりと並んだ椅子のひとつにそっと腰掛けて待っていると、カチャカチャと上品な音を立てながら、次々と料理が運ばれてきた。
目の前に並んだのは、焼き立ての香ばしいパンに、コンソメスープ、新鮮なサラダ、そして綺麗に焼き上げられたお肉のソテー。テレビや小説の中の貴族が食べているような、豪華で美味しそうな食事だった。
ぽかんと口を開けて見つめていると、フィオナが傍らで「どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください」と微笑む。
一人で食べるにはもったいないほどの豪華な食卓の前に座る。
「そういえば、魔王は一緒に食べないの?」
目の前に並んだ豪華な料理に圧倒されつつも、ふと疑問に思ってフィオナに尋ねた。
「はい。魔王様はお仕事で、本日は朝からご不在にされております」
「へえ……」
魔王という肩書きだから、もっとこう、城の王座で一日中ふんぞりかえっているものだと思っていた。意外と忙しく仕事をしているらしい。
まあ、私としてはあんな事されたばかりだから、ヤツの顔を朝から見ずにすむのは、心の底からありがたい話なんだけど。
「……さてと」
気を取り直して、目の前のお肉のソテーに手を伸ばす。
……が、そこで私は盛大にフリーズした。
左手にはフォーク、右手にはナイフ。
同じような食器が複数個並んでいる。
庶民の生まれである私にとって、箸ならまだしも、こんなキラキラした銀食器の使い道なんてテレビや小説の知識でしか見たことがない。外側から使うのか、内側からなのか、そもそもどうやって切ればいいのか。
「……使い方が、わからない……」
冷や汗を流しながら、私は小さく呟いた。
生粋の日本人である私に、さらに言えばただの村人Aに西洋風のマナーなんて分かるはずもなかった。
気まずさを押し殺して、助けを求めるようにちらりとフィオナを見上げた。
私の困り果てた視線に気づいたフィオナは、「ふふっ」と優しく微笑むと、すっと私の背後に回り込んだ。
「ご心配なさらず、ルチア様。難しく考える必要はございません。ナイフはこうして軽く添えて……フォークで優しくお肉を押さえるだけです」
フィオナは自分の手で私の手をそっと包み込み、優しくナイフとフォークの持ち方を正しい形に直してくれる。さすが有能なメイドさん、教え方も手際も完璧だ。おかげで、不格好ながらもなんとかお肉を一口サイズに切り分けることができた。
それを口に運ぶと、驚くほどジューシーな肉汁が広がる。あまりの美味しさに、ついに顔が綻ぶ。
「お味はいかがですか?」
「うん、すごく美味しい……!」
私が美味しそうに頬張っていると、テーブルの端の特等席で、白い毛玉、シフォンが前足をペロペロと器用に舐めながら、のんびりとした声を飛ばしてきた。
「ぷぷっ、ルチアはそんなことも知らないんだね〜。人間って大変だねぇ」
私は心の中で「猫のくせに生意気な。というか、シフォンはそもそもフォークもナイフも使わないでしょ」と盛大にツッコミを入れたが、せっかくの美味しい朝食の時間を台無しにするのも癪なので、あえて言葉には出さず、ジト目で一瞥するだけに留めておいた。
シフォンは「なーに?」とばかりに首をかしげてみせる。
本当に、この城の住人たちはどこかマイペースで調子が狂う。
「ふう、ごちそうさま」
お皿の上の料理を綺麗に平らげると、お腹もすっかり満たされた。
美味しい朝食(お昼だけど)のおかげで気分も少し上向きになり、私は部屋へと戻ってきた。フィオナは城の片付けや家事があるらしく「後ほどまたお伺いしますね」と微笑みながら去っていき、シフォンも「ちょっとお昼寝してくるー」とどこかへ消えてしまった。
気がつけば、広々とした私室には私一人。
特にやることもなく、すっかり暇を持て余してしまった。
一応、フィオナの話によれば魔王の花嫁としての役割や仕事もあるらしい。ただ、本日は魔王が不在のため、具体的な話は後日改めてということだった。
……花嫁としての仕事って、いったい何をさせられるんだろう。やっぱり不安もある。
私は退屈さとモヤモヤを振り払うように窓際に歩み寄り、そのまま窓辺の広い手すりにぴょんと腰掛けた。
外の景色を眺めてみると、魔王城の周りは深い森に囲まれていて、風に揺れる木々のざわめき以外には、これといった変わり映えのしない景色が広がっている。しいていえば大きな庭園があるくらいだ。
もっとおどろおどろしい魔境を想像していただけに、拍子抜けしてしまうほど平和な光景だ。
あの時は、エレーナを奪われまいと必死で、勢い任せに一歩を踏み出してしまった。
今こうして冷静に振り返ってみると、魔王の前に飛び出すなんて、我ながら相当無茶なことをしたものだと思う。
「……エレーナも、お母さんも、今頃どうしてるかな」
村に残してきた人たちの顔を思い浮かべながら、私はぽつりと呟いた。
二人は今、急に私が消えてしまって悲しんでるのだろうか。魔王の百年の加護に守られて、ひとまず安心して過ごせているだろうか。
温かい風が窓から吹き抜け、私の黒髪をそっと揺らした。
魔王城での予測不能な生活はまだ始まったばかり。深い森の空に浮かぶ太陽をぼんやりと見つめながら、私は小さくため息をつくのだった。




