第41話 あらたな皇帝
炎瑛の宣言に、再びざわめきが起きる。
(それもそうよね。皇帝が後宮に妃を取らないだなんて、前代未聞でしょ)
綾華国の後宮は、皇帝の血脈を残すための装置だ。
少なくとも複数人の皇子がいないと、安定した血統維持は難しい。
(皇后一人にそれを委ねるのは、難しいのもわかる)
ただ複数皇子がいたところで、今回のように叛意を起こし皇太子の座を脅かす者が出てくることも事実だ。
「皇位は血統のみによらぬ。必要とあらば、禅譲も視野にいれる。――無論、皇子が生まれればそれはそれだ」
炎瑛が続けた言葉に、隣に立つ香凛は皆の目線を感じる。
(うう……視線が! 痛い!)
皇帝がとんでもないことを言い出したのだから、それも当然だろう。
(きっと皆さんは、私がおねだりをしてそんなことを瑛然に言ったと思ってるよね)
香凛は、数日前に彼から告げられた言葉を思い出す。
***
「ああ。俺は後宮に妃を迎えるつもりはないからな」
あっけらかんと口にする瑛然に、香凛は口をはくはくと動かしてどうにか言葉を探す。
「そんなわけには、いかないでしょう」
「だったら、香凛は俺が後宮の妃たちと口吻けしても気にしないのか?」
実際は口吻け以上のことをするのだが。
「……う、い、嫌……だけど……」
「だろ? なら香凛だけにすればいい」
「お世継ぎは」
「まぁ、香凛に生んで貰えたら嬉しいけど、こればかりは運だしな。無理はさせたくないし」
香凛にしてみれば、支離滅裂なことを瑛然が言い出しているようにしか思えない。
それでも、実際にするかは別として、こうして言って貰えること自体は嬉しかった。
だから香凛も、こう返したのだ。
「うん。瑛然のその気持ちは、すごく嬉しい」
ほんのりと笑みを浮かべれば、瑛然は香凛を抱き寄せて唇を重ねる。
香凛の髪を撫でながら、二人は月明かりの下でいつまでも逢瀬を重ねていた。
***
(いや、ただの睦言だと……思ってたんだけど)
この場に来る直前、改めて瑛然――炎瑛に告げられたことと、同じ事を彼は今大勢の臣下の前で明言した。
香凛の心中は上へ下への大騒動ではあるが、必死にそれを隠す。
「これは、朕の決めたことだ。香凛は反対した。だからそなたらは努々香凛へ何かを言うことのないように」
その言葉を受け、全員が一斉に拱手をする。
炎瑛は満足そうに皆を見ると、再び口を開いた。
「後宮には、罪人の家族や一門を入れ職務に就かせる。先の三家門がその最初だ。男は全員を宦官とし、女は決められた薬を日々飲むこととなる」
つまり、その一門の子孫はけして残すことはできない。
その場で全員処刑されてもおかしくないほどの罪を犯したのだ。生きていられるだけでも、ずいぶんな恩賞だろう。
「次いで新たな職についてだ」
炎瑛の言葉に、香凛がシュ、と衣擦れの音だけを響かせ立ち上がる。
「前皇朝にて多大なる寄与をした星薬師の役職を、我が朝でも取り入れることとした。星薬師は新たに創設する星薬占部に所属とし、その尚書は皇后香凛。彼女は、その職を目指す者を育成する立場となる」
香凛は炎瑛の告知にあわせ、彼の前に膝をつき拱手する。
そんな彼女に炎瑛の手からは任命の書が手渡された。
「以後、我が朝の安定的な貢献を求める」
「この身を捧げ、尽くす次第にございます」
この瞬間を、どれだけ夢見たことだろうか。
細々と天都山のふもとで星薬師を営んでいた日々。
このまま持てる技術を失わせてしまうのではないかと考えていた日々。
それが今ここで、至上の約束を果たしたのだ。
(これ以上の技術継承の環境はないわ)
炎瑛は香凛に手を差し伸べ、彼女を立たせる。
「彼女のお陰で、前皇帝である父炎黎は命を救われた。そして、第二皇子である子選の奸計により毒矢を受けた朕の命を助けたのも、この凌香凛だ。改めて礼を言う」
(毒矢は私を狙ってたけど、瑛然を狙ったと言う方がいろいろと都合はいいのよね)
「わたくしは、わたくしのできる限りのことを、行ったまでにございます」
「何か褒美として欲しいものはあるか」
(え。そんな話聞いてないんだけど。一応、この星薬師の職の復旧が褒美なんじゃないかな)
突然言い出した炎瑛のそれに、香凛は逡巡し、口を開いた。
「それでは、こちらにおられる皆さまに一言ご挨拶をお許しいただけますか」
「そんなもの、褒美にならないけどな。構わない」
炎瑛に挨拶をすると、くるりと体を回し居並ぶ臣下へと向かった。
「適切な技術を以て、人の命を助ける。これこそが星薬師の仕事。学びたいと思う者には、いつでも門戸を開きます」
香凛の言葉に、一同が大きく沸く。
多くの感嘆が漏れ、拱手が揃うと、香凛はゆっくりと笑みを浮かべた。
「結構、皇后の座向いてるな、香凛」
香凛の隣にいつの間にかやってきていた炎瑛は、耳元でそう囁く。
「――急に耳元で喋るの、慣れないからやめて欲しいんだけど」
「急じゃなきゃ、いいのか?」
「わかっててやってんでしょ」
(私が瑛然の声に弱いことも、耳元で囁かれるとドキドキしちゃうことも)
皆の前で表情を崩さず手を振りながらそう言う香凛に、炎瑛は微笑み小さく呟いた。
「やっぱり向いてるよ」




