第38話 約束 壱
地晴宮の屋根の上で、香凛と瑛然は並んで座っていた。
最後にもう一度だけ、ここで二人で過ごしたい。
香凛のあのときの願いを、瑛然が叶えてくれた。
――そう、思っていた。
「香凛、その――だな」
瑛然が言いよどむ。あれだけの大立ち回りをしておきながら、今更自分が皇帝だと名乗るのも妙な気がしているのだろう。
(もしかして瑛然は、私にどう言い訳すれば良いのかを、悩んでいるのかもしれないわね)
そんなこと、気にする必要などないのに。
香凛はもうずっと前から、瑛然が皇帝であることに気付いていたのだから。
とはいえ今の状態は、香凛を騙していたことをなし崩し的に明かすことになったと、瑛然は思っているのかもしれない。
(私から、何か言うべきなのかな)
そうすれば瑛然も、話をしやすいだろう。
「瑛然、あの」
「すまない」
香凛の言葉と瑛然の言葉が重なる。
「さきにどうぞ」
「香凛から」
更に先を譲れば、再び言葉が重なってしまった。
「ふ、くく」
「はは!」
思わず顔を見合わせ、そうして笑う。
ひとしきり笑い合ったあと、瑛然は香凛の手の甲に自らの手を重ねた。
「香凛。もう分かってると思うけど――俺は皇帝なんだ」
瑛然の手が僅かに震えている。
(手が、冷たい)
緊張しているのだろう。じっと香凛を見つめる瞳は薄い紫色。
「……よく見ると、金色の虹彩が見えるのね」
香凛はそう言うと、重なっていない方の手のひらで、瑛然の頬に触れた。
指先を僅かに動かし、頬を撫でる。
「知っていたわ」
「え……」
「瑛然が、皇帝陛下だってこと」
にこり、と笑みを落とすと香凛の親指が瑛然の唇に触れた。
「ねぇ。最後に口吻けをしてもいい?」
その言葉に、瑛然は目を瞠る。
(あ、私が映ってる)
前にそう思ったのはいつのことだったか。
随分と、瑛然の目に自分が映ることが当たり前のようになっていたと、実感する。
(それも今日が最後ね)
後宮で皇帝であることを宣言してしまった。
おそらく近いうちに、正式に皇帝位の宣言が為されるだろう。
(瑛然はきっと、星薬師という役職は復帰させてくれるわ)
今思えば、出会った頃にその望みを皇帝が必ず叶えるという言葉も、本人が皇帝だからこそ言えたことなのだ。
(そうなれば、私は一臣下として瑛然に仕えることになる。こうして二人きりで会うことも二度と)
「なんで最後なんだ?」
「え……っ?!」
瑛然は自分の唇に触れる香凛の指先に口吻けをすると、そのまま手首を引き寄せ抱きしめた。
「瑛然……だって、あなたは皇帝で、私はただの平民の薬師で」
「香凛。俺はきみを愛おしいと思う」
香凛の背に触れる瑛然の手は、変わらずに冷たい。
「私だって、あなたのことを……好き、だけど」
「だったら」
そこで途切れた言葉。
瑛然は香凛の耳元に唇を寄せ、絞り出すように言葉を綴った。
「俺の、隣に立って欲しい」
香凛の耳に、頬に、目尻に、口元に、瑛然の唇が触れる。
触れるだけの優しい口吻けに、香凛の体から少しだけ力が抜けた。
「瑛然。私はただの平民なの。あなたの隣に立つことなんて」
「身分の問題なら、気にしなくていい」
「いえ?! それは気にしないと」
「そうじゃなくてさ」
再び、瑛然は香凛の唇に口吻けをする。
まるで都度都度愛情を確認するかのようなそれに、香凛の顔はいちいち赤くなってしまう。
「香凛のその木札。忘れたの? きみは今、誰の後ろ盾があって誰の養女なのか」
瑛然の言葉に、香凛は瞬きを数度繰り返し、そうして腰元へと手を伸ばす。
そこには『礼部尚書傅府 養女 星薬師 凌香凛』と記されてある。
「皇帝の母、皇太后の親類となっている上に、その皇太后のお気に入りだ」
「でも、私は星薬師の後継を」
(皇帝の後宮に入ってしまえば、外と関わることはあまりできなくなる。そうなったら、星薬師の技術は――)
「それなんだけど、皇后になっても星薬師を続けるのはどうかな」
「星薬師を続けられるのは大歓げ――え、今皇后って言った?!」
「俺の隣に立つなら、皇后でしょ」
久しぶりに見る瑛然のへらりとした笑みに、香凛は目が回りそうな気がしてきた。
「私はそんな立場になるような教育を受けてないけど」
「でも、人を助ける知識と経験、それに占術の技術もある」
それで十分すぎる、と瑛然は続ける。
「でも……」
香凛の言葉に、瑛然は腰の剣を引き抜き剣身を自らの額に触れさせた。
「瑛……然?」
「凌香凛。俺、楚炎瑛はきみへの愛と信をこの剣と自身の名に誓う。どうか、俺とともに歩んで欲しい」




