第32話 冷宮
「ん……?」
香凛が目覚めたとき、周囲は薄暗くなっていた。
夕暮れの太陽が頬を照らす。
(部屋の中には――誰もいないわね)
ひやりとした地面。筵すら敷かれていない場所に、香凛は横たわっていた。
顔を動かすと天井が見える。
(よしよし。きちんと冷宮に連れてきてくれたのね)
手首を後ろで縛られていたが、握り拳をしたまま縛らせたので少し手を揺らせると、縄は緩んだ。
そのまま何度か手首を器用に動かすと、片手が抜ける。そうなればすぐに、残りの手も縄から自由になった。
(さすがに外には、見張りがいるかな?)
音を立てないように扉に近付く。隙間から覗けば、宦官の衣服が見える。
(一、二……三人か)
香凛は肌に近い場所に隠し持っていた剃刀を取り出すと、冷宮の中に生えている草をいくつか切り取った。
(連れてきてくれたのが冷宮で良かった)
以前一度見ておいた記憶から、この小さなあばら屋のどこにどんな草が生えているかが分かっている。
(あとは確かこの辺に……)
傾いた太陽のせいで、部屋の中には陰になり暗い場所も多い。
外の宦官に気付かれないように、それでいて手早く動く必要がある。
「あった……」
手探りで確認していた場所の一箇所。土がめくれ上がっていることに気付いた。
香凛が以前ここに来たときに、踵で蹴って様子を確認していた部分だ。
(まさかあのときの蹴り起こしが、役に立つとはねぇ)
何がどう繋がるのかはわからないものだなどと、しみじみ感じる。
(この根をいくつか切り取って……と)
土の中に広く細かく伸びた根の一部を切り取った。
外に生えている夾竹桃の根が張り、この建物の中にまで侵食してきていたのだ。
(これだけじゃ、どれも水分が多い)
香凛は剃刀であばら屋の壁を削り、薄い木片をいくつか用意した。
それに加え、上衣の裾と袖を切り取る。
鋏のようにきれいには切れないが、それでも必要量は充分に切り取れた。
(一枚は口と鼻を覆って)
切り取った布の一枚は口元を覆うものに。もう一枚は敷き布として地面に広げた。
残りの布は、さらに細くちぎっていく。
敷き布の上に、先に切っていたいくつかの草、夾竹桃の根、それに肌に隠していた薬草を木片で挟む。さらに、細かくちぎった布と木片を上に被せた。
そうして隠し持ってきていた、小さな石英を取り出し、今度は髪を結っている紐を引き抜く。
(髪を引っ張られたときは、少しひやっとしたわね。紐がほどけないで良かった)
紐の中央辺り、少し幅広になっている箇所が袋状になっていて、その中に小さくも鈍く美しく光る鋼の刃物が入っていた。
それを取り出すと、石英と刃物を幾度か打ち付ける。
扉を背にし、できるだけカチカチと打ち合わせる音が外に漏れないように気を付けながら繰り返すと、遠からぬうちに火花が木片に落ち火種が生まれた。
かなり薄く削った木片をふわりとかけて息を吹き付けると、その火は周りの木片やちぎった布をゆっくりと飲み込んで大きくなっていく。
(上手くいった! あとはこれを扉側に近づけて……)
一番下に敷いていた布をゆっくりと引き、扉近くの隙間の前に置く。そうして再び息を吹き付けると、炎が大きくなった。
火が木を燃やし、布を燃やし、香凛が持ってきていた乾燥した薬草を燃やす。
勢いが付くと、その下にある夾竹桃の根にまで火が付いた。
「……おい、なんだか煙りが出てないか?」
「確かに。なんだか少し甘いような」
「まて……頭がまわ……」
外にいる宦官たちが煙に気付き、その吐き出し元へと近付く。
だがその煙を吸い込むと一人、また一人と倒れていった。
「三人とも、倒れてくれたわね」
甘い香りがしていたのは、この冷宮に使われている白樺の木が燃えるにおいだ。
白樺は燃えやすく、そしてそのときに甘いにおいを出す。
甘いにおいに紛れて、夾竹桃の根が吐き出す毒が彼らを襲った。
(火は消して……あと気道確保、と)
燃やしていた火を消し、土を被せる。
これで延焼することはないだろう。
(夾竹桃を植えている場所の土もまぁ、そこそこ毒なんだけど)
扉を開けて宦官たちの気道を確保すると、香凛は彼らの腰に下げている巾着の中に、部屋から持ち出した小さな花を差し込んだ。
再び髪の毛を紐で結わえ、逃げるときの邪魔にならないようにする。
「よし、目的は達成したわ」
貴妃の手の者に少しでもこの騒ぎに気付かれ、様子を見に来られたら困る。
口元を覆っていた布を取り外し、走り出す。
(あとは、瑛然――は後宮に入れないから、皇后殿下の元へ)
後宮内の通路については、この間来たときに調べてある。
建物の多い区画に出たあとは、たとえ貴妃の味方に出会っても手が出せないよう、人通りの多い廊下を通る方が良い。
そう思って、一番人通りの多い場所へと飛び出したとき。
「お前……! 何故ここにいる!」
貴妃とともにいた宦官が、香凛を見つけて腕を伸ばしてきた。




