第31話 呼び出し
後宮の入り口に控えている宦官に、あえて声をかけた。
「凌香凛と申します。貴妃さまにお呼びいただき、後宮にまいりました」
誰に呼び出されやってきたのかを、記録に残させるためだ。
(あの手紙が皇后殿下の御手ではないなら、呼び出したのは貴妃か昭儀か、はたまた両方か)
わざわざ『皇后の宴』を開催した庭へ呼び出すなど、本当に皇后が香凛を呼び出すとしたら不自然だ。
皇后には専用の宮があり、香凛はそこでお茶をしたこともあるのだから。
(呼び出しの場所が二枚目に書かれていたから、瑛然に見られなくて済んだのは良かったのかも)
瑛然がそれに気付いたら、さすがに皇后からの文ではないと気付いただろう。
(そうしたら、一人で来ることは止められたでしょうね)
宦官が香凛の木札を確認し、名前を手元の帳面に書き付ける。
「貴妃さまね。部屋はわかるかい?」
「以前、皇后殿下の宴を催した場所で、と言われたのですが、ご案内をお願いしても?」
入り口にもう一人いる宦官に彼は声をかけ、香凛を案内してくれることになった。
(この宦官が貴妃や昭儀とねんごろじゃないと助かるけど……そんな運頼みもねぇ)
呼び出された先にいたのが貴妃ではなく昭儀だったとしても、それは構わない。
最終的に、貴妃への攻撃の糸口を作ることができれば良いのだ。
(あの後宮の医師しかり、印象操作は侮れない)
通路をいくつか曲がり、木々の奥に行くと見覚えのある広場が現れた。
(あ、こんなに広かったんだ)
考えてみればそれも当然で、皇后に四夫人、九嬪が揃いそれに伴い働く者たちもいて、舞やら楽器の演奏やらを披露する舞台まであったのだ。広くないわけがない。
「ここだよ。あぁ、そこに貴妃さまがいるね」
「ありがとうございます!」
宦官に礼を告げ、香凛は貴妃の前へと出て行く。
「ようこそ、凌香凛」
広場の中の、以前皇后の席を作っていた場所に貴妃が座っていた。
「お招きありがとうございます。――貴妃さま」
香凛は拱手をしながら、案内をしてくれた宦官が去って行くのを横目で見る。
(しっかりと、貴妃に呼ばれたと記憶しておいてね。役に立ってくれるかわからないけど)
もしもあの宦官が貴妃の手の者であれば、いざ何かあったときにも口を閉ざすだろう。
それでも、客観的な証人ができる可能性は潰したくない。
「私がここにいることに、疑念を持たないのかしら」
(あの宦官が去ったことを確認してから、尋ねてきた。ということは、彼は少なくとも貴妃の手の者ではない)
「皇后殿下がこちらに私をお呼びになることは、けしてございません故」
「それは牽制?」
香凛の言葉に、貴妃が少しだけ苛立ちを見せる。
「牽制などとんでもございません。消去法にございます」
「つまり?」
「皇后殿下の御手を真似してまで、わざわざ私を呼び出したい方とは、どなたかと思いまして」
くすりと笑ってみせれば、貴妃はそれに腹を立てたようで、彼女の横に置かれた小さな円卓の上の茶器を、香凛へと投げつけた。
当然、みすみす当てられるつもりもないので、すいと横に体をずらす。
香凛の少し後ろにあった石にぶつかった茶器は、がちゃりと音を立てて割れた。
(あぁ、きっとお高い茶器よね。もったいない)
「凌香凛の手を縛りなさい!」
「は!」
貴妃は近くに侍る宦官に指示を出す。
(あ、手だけでいいんだ。助かる)
大股で近付く宦官は、それなりに眉目秀麗といえる顔立ちをしていた。
優しそうな顔立ちなのは、男性性を失ったことによる影響なのかもしれない。
(こういう顔が好みなのかな、貴妃は)
そうであれば、ここまで案内をしてくれた宦官はたしかに、どちらかというと強靱な猿のような顔立ちだったので、愛でる対象ではないのかもしれない。
「大人しくしろ!」
「え、別に抵抗なんてしてませんけど――したほうが?」
「うるさい! そういうところだ!」
「――っ、つ」
無理矢理体を地面に押しつけられる。
手を後ろに回されたので、香凛はそっと手のひらを握りこんだ。そのことに、宦官が気付くこともなく、手首と腕を縛り上げていく。
「ふふ、無様ね」
貴妃は香凛へと近付くと、地面に押しつけられている頬へと蹴りを入れた。
「……っぐ」
「いい気味」
(全然、痛くないけど)
所詮は温室育ちの令嬢だ。
脚力などないも同然で、何かを蹴り飛ばすことも禄にしたことがないのだろう。
相手の矜持をへし折るためだけの行為。
(私がもしも他の妃であれば、もしかしたら屈辱を感じてたかもしれないけど)
香凛はこうなることも想定して、ここに来ている。
「……貴妃さま、申し訳……ございません」
(とりあえず、貴妃に怯えている顔をしないと)
これだけで終わられては困る。
(私を殺そうとしたのが昭儀――余一族側だったとしても、貴妃にとっても私は目障りな筈)
せっかくの機会なのだ。
なにか理由を付けて毒を盛るか、それとも――。
「ようやく下民らしい顔を出したわね。ふふ。どんなに皇后に気に入られていても、所詮は泥の中の生まれなのよ」
(なかなかに、傲慢に育ってきた女の言い分ね。泥の中の生まれ、結構じゃない)
だからこそ、できることがあるのだ。
「どれ、もう少し苛めてやろうか」
貴妃は香凛の髪の毛を掴む。
そしてそれを引っ張り上げた。
髪を止めていた紐が緩む。そこで手を離すと、顔が地面へと勢いよく落ちていく。
(うっわ。危ない)
さりげなく首に力を入れ、地面すれすれで顔を止めた。
おそらく貴妃の目線からは、香凛の顔が地面に打ち付けられたと思っただろう。
「貴妃……さま……どうか、命だけは……」
思い浮かぶ限り一番哀れそうな声音で、絞り出すように言葉を放つ。
少しだけ声を震わせる演出も忘れない。
「命……そうねぇ。ここで死体を出すのは、よくないわ」
「尊い貴妃さま……。どうぞお慈悲を……」
「あははははっ! さっきまでとは随分違うわね。いいわ。私は優しいの」
地面についた香凛の顎に足先を差し入れ、貴妃は顔を上に上げさせた。
「後宮においてあげるわ。嬉しいでしょう? 冷宮、っていう素敵な邸よ」
手にしていた扇子で香凛の頬を打ち付ける。
香凛はその言葉に、思わず口元が震えてしまう。
「ああいいわね。もしかして、聞いたことがあるのかしら。お前みたいな生意気な女が暮らすのには、ぴったりの場所」
「貴妃さ……っ」
「もういいわ。冷宮の場所がわからないよう、しばらく眠っててちょうだい」
後ろにいた宦官の手刀により、香凛は気を失ってしまった。




