第30話 痕
「第二皇子が香凛を狙った件だが」
第二皇子、子選。
瑛然のような作った軽薄さではなく、筋金入りの軽薄な男だ。
香凛を毒殺しようとしたときも、迷いは一切なかった。
(あれは、自分以外の周りがどうなっても、興味のない種類の人間だ)
ある意味、生粋の皇族と言える。
だが、皇帝になる人間がそれでは、民は不幸にしかならない。
「香凛とともに、宮城の中に入っていったことは証明できるが、それ以上が難しく」
瑛然の言葉に、香凛はゆっくりと頭を振った。
「それは仕方ないでしょう。人のいないところへと向かっていたのは、自分でもわかっていたし……。ただ、あのとき子選さまは私の後ろに目線を一瞬配ったから」
「――射手か」
そもそも、宮城に暗殺者が入り込めるのがおかしな話なのだ。
(あのときは、瑛然を助けることが第一だったから、射手のことまで頭が回ってなかったけど)
「私を殺そうとしたのは、余家。それは間違いないと思います」
「俺もそう思う。毒からいってもそうだろう。後宮で充容を助けたからか?」
「私が陛下のお薬を処方していることは知られてないから、その点だと」
二人の会話を聞いていた啓俊が手を上げる。
「凌女史は皇后殿下の宴にも、ご出席為されたかと」
「あれはなかなかに苦痛でした。四夫人や九嬪の皆さまから、射殺さんばかりの目線をいただき」
「それもあるかもしれないですね」
「それはつまり、私が彼女たちの誰かの代わりに妃として入ると思われた、と」
「可能性の一つとしては」
まさかそんな、と思えども、あの場の空気を思い出すとそれもあり得ると考えを変えた。
「とはいえ、私も第一の理由は、凌女史が充容さまを助けた――つまりは、自陣営にとって目障りとなったから、だと思います」
啓俊の言葉に、三人ともが同意する。
「余一族については、すでに調べがついている。楊家は処方箋で潰せる。あとは陸家だけだな」
瑛然は机上の紙に書かれた余家、楊家の名をそれぞれ線で消していく。
(陸家は宰相からはきっと潰せない。となれば、貴妃から糸口を見つけるしかないわね)
残る陸家の文字を見ながら、香凛は改めてそう思った。
***
それから一週間ほどが過ぎた。
瑛然はまさに驚異の回復力を見せ、残る問題は見た目の傷痕程度となっている。
一日に二度、朝と夕に瑛然は香凛の部屋を訪ねては、経過観察を頼んでいた。
「これは本当にすごいわ」
瑛然の体を確認しながら、香凛は驚きの声をあげた。
「お抱えの担当医の腕がいいからな」
「もう、すぐそういうこと言うんだから」
くすくすと笑いながら、瑛然の傷痕に薬を塗っていく。
筋肉質でがっしりとした体は、昨日今日で作られるものではない。
瑛然のこれまでの努力を感じながら、体に触れる。
(私よりも、少しだけ高い体温。かたい筋肉。全部、男性なんだって感じる)
患者の体など、何度も触れてきたのに。
こんなことを思うのは、瑛然が初めてのことだ。
「もうすぐ傷痕も消えると思うわ」
「そうか」
(三家を追い詰めて瑛然が皇帝になれば、私は彼とこうして話すこともできなくなる)
薬を塗り込んだ上から清潔な布を重ね、ずれないように包帯で固定する。
瑛然の前へと回り込み、包帯の端を重ねた。
「私の治療も、もうすぐ終わりね」
香凛の言葉に、瑛然の瞳が揺れた。
「あの……。瑛然……」
包帯の端をおさえた状態で、香凛の体を瑛然の腕が包み込む。
「治療、続けて」
「この状態じゃできなくて」
「じゃあ終わらないなぁ」
「そういう意味じゃないって、わかってるよね?!」
「わかってるけど、わかってない」
香凛の背に触れる瑛然の手に、少しだけ力が入る。
僅かに香凛の体が前に揺れ、瑛然の体の中にぽすりと収まってしまう。
「瑛然!」
「香凛の体は、小さいな」
「普通……よ」
「俺よりはずっと小さい」
「ちょっ!」
そのまま香凛の体を抱き上げ、膝の上に横抱きにした。
「包帯、巻き終えてないのに」
「それは悪かった」
「悪いと思ってないくせに」
手元に残っている包帯を丁寧に畳みながら、香凛は少しだけ口元を尖らせる。
それを見て、瑛然がこつりと額を重ねた。
「香凛。ありがとな」
「……ねぇ傷痕が消えたら、あと一度だけでいいから、屋根の上に連れて行ってくれない?」
「――何度だって、連れてってやるけど?」
「一度で充分よ」
少しだけ、泣きそうになる。
でもそれは今ではない。
どうにか堪えた瞳で、瑛然に笑いかけた。
「香凛……」
「凌香凛さん、いらっしゃいますか」
瑛然の手が香凛の頬にのびかけたとき、扉の外から声がかかる。
「は、はい。どなたでしょうか」
「文伝使でございます。皇后殿下より文をお預かりしてまいりました」
「少々お待ちください」
文伝使とは、皇城、後宮、宮城内の文書のやりとりを担当する宦官のことだ。
瑛然が香凛を下ろすと、彼女が手にしていた包帯の端を預かる。
扉からは瑛然のいる場所は死角になるが、少しだけ奥に移動した。
「大変お待たせ致しました」
「凌香凛さんへ、確かにお届け致しました」
文伝使は丁寧に文を渡すと、足早に去って行く。忙しいのだろう。
「皇后殿下からは何だって?」
「今開けるわ」
文を開くと、お茶への誘いが書かれてある。
「皇后殿下とのお茶会……って、何を話せば……あ」
(もしかして、瑛然の怪我を誰かから聞いて、気になったのかも)
そう考えると、皇后からの呼び出しにも納得がいく。
「ん? 今日は皇后殿下の御手が少し乱れてるな」
「そうなの?」
香凛は当然皇后の書く文字などは知らない。
だが、息子である瑛然であれば良く知っているのだろう。
「香凛。皇后殿下の体調も、ついでに診てさしあげてくれないか」
「わかったわ」
(瑛然は優しいわね。でも、これはきっと――)
お茶会は一刻の後。
瑛然の包帯を巻き直し、支度のために彼を部屋から追い出した。
「また夜に来るから」
「ええ。夜、会いましょう」
瑛然の座っていた場所に、ほんの少しだけ座る。
(……よし!)
香凛は、肌近くにいくつかの薬と剃刀、それに小さな石英を用意すると、髪を結い直した。
家から持ってきた書を手にし、中に挟んでいたものを取り出す。
「糸口がないなら、作りにいくしかないじゃない」




