第28話 二人の距離
「香凛、入っていいか?」
「瑛然?! なんで歩き回って……!」
声を聞き慌てて扉を開けると、香凛の目の前に立つ瑛然がにかりと笑った。
「話をしようと思ってな」
「とにかく入って。そして座って!」
(毒にやられたあとなのに、なんで自分からこっちに来るの?!)
瑛然は部屋に入り、近くの椅子に座る。
香凛は扉を閉めてお茶を淹れた。少しだけ甘い香りが、机の上に広がる。
「あなたにお茶を淹れるのは、久しぶりね」
「そういえば。初めて会ったとき以来だ」
少しだけ懐かしい表情を浮かべた瑛然は、すぐに香凛にも座るよう促す。
「ねぇ、体は大丈夫? つい半日前に、あなた倒れたのよ」
「名医のお陰でこの通りだ」
ぐるりと腕を回そうとするから、小さく叫んで止める。
(やんちゃ坊主みたいなことをする)
いや、きっと元気な姿を見せようとしただけなのだろう。
その気遣いは、大人しく寝ていることで発揮して欲しいと、薬師の立場で思ってしまう。
「祖父のお陰ね」
「迅速な対応のお陰だよ。毒を吸い出した、って聞いた」
瑛然が眠っている間、状況は全て風俊に話してある。
それとともに、毒を吐き出した布と鏃も証拠として提出した。
「私はある程度、毒に慣れているから」
(まぁそれは、瑛然もそうだろうけど)
口にはできないが、密かに思う。
瑛然があの猛毒にも乗り切れたのは、おそらく皇太子時代に毒に慣らされたことも関係している。
皇帝になるために、彼はそうしたことをきっと、一つずつ乗り越えてきたのだ。
「それよりも」
香凛は瑛然の目を見て、改めて姿勢を正した。
「この度は私のせいで毒矢を受けさせてしまい、申し訳ありませんでした」
拱手し深く頭を下げる。
それに驚いたのは瑛然だ。
立ち上がり、香凛を止める。
「いや待て! 顔を上げてくれ」
「ですが……」
「いいから。頼む……」
そこまで言われてしまったら、香凛も従わざるを得ない。
「そもそも、俺がここに香凛を連れてこなければ、命を狙われることはなかったんだ」
「でも今回私が子選さまに、のこのことついていかなければ」
「第二皇子に言われて、君の立場で断れないことは、誰にだってわかる。だから、香凛」
瑛然が彼女の手を握る。
「そんな風に、距離を取ろうとしないでくれ」
「えい……ぜん……」
「それに、そもそも君がいなかったら陛下やその周囲の人だって、もっと命の危険に晒されていた」
(……そっか)
瑛然の部屋から戻ってきてから、香凛はずっと迷っていた。
自分がこのまま瑛然の側にいていいのか。
身分のない自分が、彼が向けてくれている好意を受け止める先にあるものは何なのか。
おそらく、もうすぐこの一連の出来事の主犯への決着もつく。
そうなったら、自分はどうするべきなのか。
星薬師という立場を、朝廷に復活させて欲しい。
その願いは変わらない。
それならば。
(瑛然への想いは、自分の中に持っておけばいい)
香凛も、瑛然の手を握り返す。
「瑛然。私は、私ができることを精一杯やるわ」
(一臣下として、星薬師という技術を以てして彼の紡ぐ御代を守っていければそれで充分)
「私のこと、助けてくれて本当にありがとう」
「香凛」
「あなたがいなかったら、私はあそこで死んでた」
ひゅ、と瑛然が息を呑む。
そうして、改めて香凛を見た。
死んでいたという言葉を口にしたとは思えない、穏やかな表情だ。
「香凛は、かっこいいな」
「え?」
「俺ばかり、空回っている気がする」
香凛の手を握ったまま、瑛然が立ちあがる。
つられて、香凛も立ち上がった。
「瑛然?」
彼女の手を離すと、香凛の前へと一歩近付く。
それはまるで、一秒を十回切り分けたかと思うくらいに香凛には感じた。
そのくらいの穏やかさで、瑛然は香凛の前へと行くと、ゆっくりと抱きしめる。
「少しだけ……このままで」
瑛然の声が耳元を擽った。
彼の言葉に、香凛も傷口を避けそっと瑛然の背に手を回す。
(今だけの……想い出だわ)
この先、瑛然が皇帝であることが露わになれば、もうこうして気軽に会うことも、親しく口を利くこともできなくなる。
たとえ今こうして香凛のことを少しは大切に想ってくれているとしても、名実ともに皇帝ともなれば、瑛然自身の好き嫌いだけで妃の座が決まるわけではなくなるのだ。
(他の女性と彼を分かち合うことを考えたら、この恋を胸に生きていく方が幸せなのかもしれない)
触れ合う体から、瑛然の心音が伝わってくる。
剣を持つごつごつとした男性の手の感触。
自分よりも二倍はありそうな、厚みがある体躯に、広い背中。
(私も……少しだけ。今だけ……)
瞳を閉じ、彼の胸に頬を寄せる。
瑛然の手のひらが、香凛の髪をそっと撫でた。
「香凛――俺の顔を見て」
囁かれた声のままに、彼を見上げる。
(あ、瑛然の瞳に私が映って――)
それが徐々に近付く。
「目を、閉じて」
掠れた瑛然のその声は、今まで聞いたことがないほどに色気があり、香凛は僅かに息を漏らす。
それすらも逃さないように、と瑛然の唇が少しだけ急いたように重なった。
(あと少しの、私たちの、私たちだけの――)
恋。
***
「心配かけた」
香凛を連れて蓮の部屋に戻った瑛然が素直にそう告げれば、風俊と啓俊は顔を見合わせて笑う。
「とりあえず、今回の毒の出所についての話をしましょう」
「ああ。この毒ってのは、宰相の支配下にある陸路を通じて入ってきたものだと予想してるんだが」
啓俊が地図を広げ、指で販路を辿った。
昭儀の実家、余家が海で隣国との交易を独占しているのと同様に、宰相と貴妃の陸家は西方交易を独占している。
「それなんですが……」
その仮説に、香凛が待ったをかけた。




