第27話 瑛然の思い
「あっ……」
コトリと小さく鳴った扉を引く音とともに、風俊の声が静かな部屋に響いた。
(なんで……いま……っ!)
瑛然の心の声とは裏腹に、香凛は顔を真っ赤にして瑛然から離れ、立ち上がる。
「あの、風俊殿がいらしたので、私一度着替えに戻りますね」
そう言い置き、飛び出すように部屋を出て行った。
「その……なんというか――未然だったので?」
「あと少しだったのに」
「それは申し訳ないことを」
風俊が心底そう思っているような声で言うので、瑛然もそれ以上は何も言えない。
「それで、お体は」
「もう苦痛は何もない。香凛はすごいな」
「ええ。初期対応の見事さ、駆けつけた私への指示、どれをとっても完璧でしたよ」
「そうか……」
(子選は俺の顔を知らない。今回、敵は完全に香凛を狙っていた)
風俊の手を借りて上半身を起き上がらせた。
「失礼します。粥をお持ちしました」
今度は啓俊が部屋に来る。
「腹が減った。ありがたい」
「食欲があるのは、良い傾向ですね」
手にしている粥を枕元の机に置きながらそう言う啓俊に、瑛然は笑う。
「香凛みたいな言い方だな」
「凌女史に失礼では」
啓俊のおどけた返事に、二人も笑った。
「それで、子選の方は」
「いつも通り、娼館に出向いています」
「結果を気にしたりはしていないのか」
「射手のことをよほど信用しているのか、そもそもたいして興味はないのか」
調査をしてきた啓俊は、書類を瑛然に手渡す。
「毒の種類は」
「凌女史曰く『砂蕃木鼈子』だそうですが」
風俊の言葉に、瑛然は「ああ」と気付いたように口にする。
「高修容が盛られそうになったものと同じか」
(先日徐福商会で見聞きしたのも、助けになったか。いや、それでも猛毒と言われるそれを一晩でここまで)
瑛然は改めて香凛の判断と、星薬師としての腕に頭を下げたくなった。
そして同時に――。
(俺が中途半端に彼女を抱え込んだせいで、命の危険に晒してしまった)
じり、と背中に何かが這い上がるような感覚がする。
守りたいと思っているのに、そして巻き込んではならないと思っているのに、結局は何もできていなかった。
「殿下。今回は明らかに凌女史を狙ったものです」
「そうだろうな。敵は俺のことには気付いていない。先日後宮で王充容を救った香凛を、邪魔に思ったんだろう」
第三皇子の母充容を、今この段階で害して得をするのは誰か。
(充容を毒殺、もしくは少なくとも外に出られないようにするのは、おそらく『保険』だ)
炎黎帝をじわじわと弱らせ亡き者とすれば、病弱な皇太子ではなく第二皇子を擁立するよう宰相が働きかけることは可能だ。
無論それは、皇位継承が行われていなく、かつ皇太子が公務もままならないほど病弱であれば、の話だが。
「父上は香凛の用意した薬で、体の状態が良くなってきている。俺は公務を姿は見せずともきちんと行っている」
「私と啓俊で公務をしていると噂が流れていましたけどね」
「ふん。会議で御簾の中にいる俺が発言しているのを知らない者が、その噂を信じているだけだろう」
「噂をながしているのは、その会議でふんぞり返っているような立場の者でしょうけれど」
「宰相の悪口を言ってやるな」
くく、と笑いながらも瑛然の顔は晴れない。
「なぁ――香凛は、怖かったろうな」
天都山のふもとで、祖父と暮らしてきた娘。
人の悪意の元、殺意を向けられたことなどないだろう。
常に暗殺と隣り合わせで生きてきた己とは違うのだ。
死を目の前にしたときに、いかに恐怖を感じたのか。
「殿下。私があの場に到着したとき、凌女史は目の前のあなたを助けることに必死でした」
風俊が、一歩瑛然の寝台に近付く。
「自分が殺されそうになったこと、目の前で普通に話していた相手が死に追いやろうとしたことに竦むことなく」
「だが、それと恐怖を感じることは別だ」
「そうですね。もしかしたら今頃は、怖くなって泣いているかもしれない」
続けられた言葉に、瑛然が立ち上がろうとする。
それを啓俊が留めた。
「殿下。あなたのお立場は? 凌女史を慰めるということは、後宮に入れると覚悟ができたということですか」
「……俺は、彼女を争いに巻き込みたいわけじゃない」
「啓俊。殿下を行かせてやろう。どうせあと少しで、やつらをまとめて処分できる証拠がまとまる」
「すまん。風俊、啓俊。やつらを処分したら、きちんと彼女とは距離をとるから」
つい先頃まで毒に犯されていたとは思えないほどの足取りで、瑛然は寝台から立ち上がり、部屋を出て行く。
そんな瑛然の様子を見て、啓俊は溜め息を吐いた。
「これだけの腕の薬師、それだけで今すぐにでも保護する対象ですね」
「啓俊。彼女の方は、存外覚悟ができているのかもしれないぞ」
「え?」
寝台の下に入り込んでいたらしい紙を一枚、風俊が拾い笑う。
その手にあったのは星図盤が描かれた紙。
「これ、皇帝星って書いてあるよな」




