第25話 子選
「凌香凛さん?」
夕食を終え、食堂から宮城へ向かう途中で、声をかけられた。
柔らかな声の持ち主に、思い当たる者はいない。
振り向くと、美しい刺繍の施された上等の上衣を纏った男が、にこにこと笑みを浮かべて香凛を見ている。
(誰……かはわからないけど、たぶん偉い人)
細かな刺繍に地紋の入った生地を身につけ、宮城近くにいるのだ。
それだけで、位の高い人間だと予想がつく。
香凛は拱手をし、頭を下げた。
「ああ、いいよいいよ。顔をあげて」
ゆっくりと体を戻すと、落ちかけた夕日の最後の光で男の顔がよく見える。
「初めまして――じゃないか。前に早朝僕を見かけたでしょ」
その言葉に、少し前の早朝を思い出す。
香凛が瑛然への恋心を自覚した翌日の朝のことだ。
それに気付き、顔が赤くなってしまった。
「あれ。やっぱり僕のことを気にしてたんだねぇ」
香凛の顔が赤くなったことを、どう解釈したのか。
男は自信に満ちた表情で香凛を見る。
(ねちっこくて、なんだか気持ち悪い目線)
そう思っても、当然口に出すことはできない。
「僕は子選。あぁ、改めて礼を取る必要はない」
子選。余昭儀の生んだ双子の子どもの一人で、第二皇子。
昭儀とどれだけの距離感を持っているのかはわからないが、香凛の中で警戒するべき相手という判断が為される。
それと同時に、何か探れることがあれば、などという欲が生まれてしまった。
「凌香凛さん、僕と少しお話ししよう」
「……はい」
どちらにしろ、第二皇子という身分の者から声をかけられたら、香凛が断ることはできない。
「ここは目立つからね。もう少し先に」
そう告げると、子選は通路を進む。
宮城に入り、外通路を歩きながら香凛は周囲を見る。
(宮城の入り口奥に、啓俊さんがいた)
子選とともにいるところを確認している筈なので、もしも問題があれば彼が後を追うか、もしくは風俊に連絡を取ってくれるだろう。
それがなければ、子選自体をそこまで警戒しなくてもいいということになる。
(しまったなぁ。他の皇子の立ち位置をもう少し深く確認しておくべきだった)
黙って子選に付き従っていると、ぴたりと足が止まった。
「この辺で話そうか」
(ここ、別にのんびりできる感じじゃない気がするけど)
宮城の外通路の奥。確かに人通りはあまりないが、かといって椅子があるわけでもない。
てっきりどこか東屋なり部屋なりに入ると思っていた香凛は、本当にただの世間話でもしようと思っていたのか、と少しだけ安堵した。
「凌香凛さんは、恋人はいるの?」
「恋人など、いたこともございません」
「へぇ。じゃぁ、初物なんだ。――面倒だなぁ」
(ハツモノ?)
聞き慣れない言葉に、香凛は小さく首を傾げる。
それを見て、子選は笑みを深くした。
「恋愛に興味はない? 君、僕の顔好きなんでしょ?」
違う、とは言いにくい状況だ。
とはいえ、好きなわけではないので肯首もしづらい。
曖昧に笑うと、子選は肯定だと捉えたのか、一歩踏み出した。
「どれ、口吻けくらいはしてやっても」
香凛の頬に手を触れ顔が近付く。
(えっ、無理! 無理無理無理無理!)
思わず強く顔を横にずらし、子選の手から逃れた。
「……へぇ?」
(あ、マズった……かも)
子選の顔に不快感が浮かぶ。
隠しもしないそれに、香凛の背に脂汗が流れた。
「やっぱり遊び慣れてない女は面倒だな。たいした顔でもないくせに僕を拒否するなんて、図々しい」
(どういう理論よ。そっちこそ、綺麗な顔でも下品さが表情に出てるわよ)
同じ皇族でも、瑛然は綺麗というよりも凜々しい顔だ。
(それに、瑛然殿は育ちの良さが顔に出ているというか、軽薄に見せていても品があるのよね)
「まぁ、いいか。少しその下で話そう」
香凛の後ろにある階段を、子選が指す。
(これ、階段から突き落とされるとかあり得るんじゃ……)
そう思って子選を見ると、彼の目線は香凛の後ろに一瞬向かった。
(階段を見てるんじゃ、ない)
その目線を追った瞬間。
「じゃあね!」
トン、と体を軽く押される。
「え」
香凛の体が少し後ろにずれた。目線の先では、子選が廊下を曲がり走り去っていくのが見えた。
(落ちる!)
階段の横の手すりに手を伸ばす。
びゅん、とどこか後ろの方から、風を切る音がした。
「香凛!」
瑛然の声が響き、香凛の体がぐるりと反転して前に倒される。
どすり、と重い音が響く。
そのまま、瑛然が覆い被さるように香凛の上に重なった。
「瑛然殿?」
状況がわからず、香凛が声をかける。
だが。
「瑛然……殿?」
声が返ってこない。
慌てて彼の背に手を伸ばし様子を伺うと、びくびくと背が痙攣を起こしているのだ。
「瑛然!」
香凛はそのまま彼の体の下から抜け出すと、愕然とする。
瑛然の肩には、矢が刺さっていた。
「瑛然! 誰か! 誰か来て!」




