第24話 余一族
「無論、契約書などありませんが、我らは約束を違えるような、恥知らずな真似はいたしません」
店主はそう続けた。
下手に契約書などを残せば、いざというときに互いの不利になる。
皇帝がその気になれば、徐福商会など簡単に――ではなくとも、潰すことはできるのだ。
徐福商会としては、皇帝に味方をしている方が利が大きい。
当然、通常は一度後宮に入れば外に出られない筈の、愛娘を取り戻すことができたのだから、利以上に恩を感じてもいた。
「その……娘さんは今は」
「おかげさまで、店で働いていた男と所帯を持ち、今も店で働いてます」
その言葉に、香凛は安堵する。
「あなたのお祖父様はそのときの毒の解毒剤の処方箋を、念のためにと作ってくれた」
店主が胸元から大切そうに一枚の紙を出す。
それを円卓に広げると、香凛の目が光る。
「拝見しても?」
「もちろんです」
それは、先代星薬師――香凛の祖父が書いた処方箋だった。
香凛が見たことがない処方だったため、その薬の組み合わせに溜め息が出そうになる。
(さすが祖父ちゃん。こんな組み合わせ方ができるんだ)
「こちらが、そのときの毒です」
店主が出した器の蓋を開き中を見る。
薄茶色の粉が、入っていた。
「娘は胃腸の薬として、処方されたと聞いています」
「胃腸の薬、ですか」
「粉末を吸い込まないよう、お祖父様には言われております」
その言葉と処方箋を見て、香凛は毒の正体に気付く。
香凛は薬師として、体の毒への耐性は多少つけているが、それでも必要以上に吸い込まないようすぐに蓋をした。
「砂蕃木鼈子ですね。確かに胃腸の薬としても処方することも……いえ、私なら処方しません」
砂蕃木鼈子は南方部族の間では樹皮を熱病や消化不良の際に用いる。
だが、種子には猛毒があるともいわれており、同じく南方部族では狩りに使うらしい。
樹皮にもその毒がある程度回っているともいわれており、よほど精通している者以外は、扱うのが難しい薬だ。
「同じことを言われました」
「祖父に?」
香凛の問いに、店主は頷く。
「香凛はその薬を誰が処方したと思う?」
「……後宮の医師ですよね」
「そう思ったのは、後宮での処方だから?」
「それもありますが……処方されたその薬が毒であったのに、医師が処罰されたという話が出てきません」
充容の件でも、あの後宮の医師は到着が遅すぎた。
人の良さそうな顔をしてはいるが、本当に人が良いのであれば九嬪の、それも第三皇子の母親の大事であれば一刻を争って、薬箱の一つも持ってやってくるのが筋だ。
「後宮の医師は、誰の遠戚ですか」
「それはこのあとお話しする、陛下の処方箋についてと関わってまいります」
「香凛。宝刀蛇木の入手経路を、徐福商会に調査して貰ったんだ」
炎黎帝の薬に混ぜられていた、隣国儒王国でしか生育しない薬草。
瑛然は確かに、それを自分の方で調べておくと言っていた。
「ほぼ、確定はしていたんだ」
「というと?」
「儒王国との貿易は、豊都港でしか行われていない」
「豊都港とは、南海州の港でしたよね」
「ああ。そして、そこは余一族の自治権を認めている港だ」
余一族とは余昭儀の実家である。
新進の家門ではありながらも、一族からは第二皇子を出し、かつ宰相である陸家へ第二皇子の双子の片割れを嫁として送り込んだ。
相当な野心家の一族。
「ただ、裏付けがないとこちらは動けない」
瑛然の言葉に、香凛は頷く。
いかに皇帝を頂点とした国であったとしても、宰相一門に連なる家門を理由もなく廃することはできない。
「ということは、裏付けがとれた、と」
「荷船に積まれたものは割り符で確認されて、州司の元へ届け出が為されます。ですが、隣国を出た割り符の数と、こちらに到着して報告されている数が合わない。それを州司に囁いたら目の色を変えましたよ」
数が合わないということは、未報告の荷があるということだ。
それをたとえ知らずとも放置していたとなれば、州司の責となり、最悪の場合は刑罰が与えられる。
「御史台へ告げることはしないから、内密に差分がどうなっていて、中身が何かを調べるよう伝えたら、出てきました」
「そもそも、御史台を動かすことはできなかったんですか?」
御史台とは、いわゆる監査役のことだ。
皇帝の元動くが、隠密の動きをするには組織が大きい。
「宰相に気付かれたくなかったからね」
瑛然の言葉に、香凛も納得する。
余昭儀の娘が宰相の息子の嫁なのだ。つまりは同じ家門といってもおかしくはないほどの距離。
「陛下へ処方された毒は、余家が入手したものという証拠はあがりました。そして、先ほどの後宮の医師」
店主が一枚の紙を出した。
「今、皇城の医局は楊一族が占めていますが、すでに本家筋は血が絶えており、傍系に移っています」
そこには、簡単な家系図のようなものが描かれている。
「あの、この似顔絵はどなたが」
「私が描きました」
「……絵心がおありなのですね」
「昔から好きでしてね」
思いがけない趣味を知ることになった。
だが、その趣味のお陰で香凛はすぐに気付く。
「これ、後宮の医師の顔ね」
楊家の者であれば、後宮の医師になっていてもおかしくはない。
「ご存じの通り、後宮には皇帝陛下以外の男性は入ることはできません」
店主がそう言いながら、該当の医師に朱墨で丸を描く。
「楊家の者は傍系であっても矜持が高い。宦官になりたくないという者だらけだったらしく、養子をとっています」
「つまり、よそから連れてきた子に処置をして……」
「そこに本人の意思が反映されたかはわかりませんが、それ以前の環境に比べたら、宦官になる方が良いということもあります」
宦官とは去勢された男性ではあるが、科挙を受けずに一定の権力を得ることができるため、存外人気の職である。
そこには、持つ者と持たざる者の大きな差があることが、前提となるのだが。
「後宮の医師がそうであったとして、彼はどこから」
「とてもうまく隠していますが、余家の庶子だということが、調査で判明しました。何度か養子に出して楊家に入れています」
「……なるほど」
あの医師は、無能の顔をして毒を盛る。
無能の顔をしておけば、知らぬ存ぜぬで切り抜けられると思っているのだろう。
「香凛が今日後宮にいてくれたお陰で、医局の楊家、宰相の陸家、昭儀の余家がつながりやすくなった」
「充容さまに用意された毒」
香凛の言葉に、瑛然は頷く。
充容の使う皮膚薬に混ぜられていた毒は、西南花独活。
それは――
「交易路が、陸家の支配地域を通りますよね」




