第23話 徐福商会
声の主は、香凛の前へと移動した。
「瑛然殿、びっくりさせないで」
「あ、また『殿』って戻ってる」
「だってもうお祭りじゃないから」
瑛然は不満気な表情を浮かべつつも、仕方がないと笑う。
「それで、誰に会いたかったの?」
「それは」
(あなたです、って言えたら……って、言える!)
絶好の言い訳を思いついた香凛は、瑛然へ目線を向けた。
「瑛然殿にですよ。確認と報告があって」
「確認と報告で、会いたいって言葉が出るのかな」
「……私の場合は、出るんです」
少しだけ口を尖らせる香凛は、すぐに表情を引き締める。
「とりあえず、ここでは何ですので」
「――ああ。俺も、報告があったからちょうどいい」
瑛然に手を引かれ、宮城の一室へと入った。
(あ……手……)
ついとさりげなく握られたそこに、心臓が張り付いたような気がする。
(手汗……手汗かいてなかったかな……大丈夫……かな)
瑛然と繋がるその指先に意識が集中している間に、小部屋の中に到着した。
「ここなら、人目がないから」
部屋の端にある蝋燭に、瑛然が火を点す。
とろりとしたオレンジ色の光が、部屋の中を明るくする。
「今日は後宮に入っていたのですが――」
このあと香凛が続けた言葉に、瑛然はいつもとは違う厳しい表情を浮かべた。
***
華都の商業地区にある『徐福商会』は、誰もが入りやすい入り口の奥に、密かに尋ねた客のための入り口があった。
(私が祖父ちゃんと来たときも、ここから入った)
迎え入れられた先は、商会の三階。広い部屋には瑛然と香凛の他には客はいない。
「ただいま主がまいりますので」
茉莉花茶を出される。
目の前で一杯、使用人らしき女性が飲んで見せた。
(……毒味か)
相手が瑛然だからというわけではなく、こうした特別な部屋に招き入れる際の礼儀だと、香凛は以前祖父に聞いたことがあった。
「お待たせをいたしました」
六十を超えたくらいであろうと思われる男性が、拱手をして現れる。
「久しぶりだな、店主。楽にしてくれ」
「瑛然さまにおかれましては、お変わりもなく」
「そろそろ代わらねばならないがな」
「……お待ち申し上げております故」
二人の会話を見ていると、店主と呼ばれたその男が香凛へと目を向けた。
「彼女は、当代星薬師の凌香凛だ」
「おお! 以前一度お会いしましたな」
「はい。まだ小さい頃でしたのに、覚えていてくださりありがとうございます」
「いやいや、実は君のお祖父様とは昔からの仲でね」
その言葉に、香凛は小さく瞬く。
「頼んでいた件と、あと修容の件の話をして貰おうと思ってな」
瑛然がそう告げながら、円卓の隣の椅子を引いた。
店主は礼をしてそこに座る。
「改めまして。私はこの徐福商会の店主、高壮勳と申します」
高、という名に香凛は息を呑む。
「先に、修容の話をしましょうか」
店主が軽く手を上げると、使用人たちは全員部屋を出た。
室内がこれまで以上に広く感じる。
「私の娘、蜜楽は修容としてもう二十年以上前に、入宮しました」
瑛然が現在二十二歳。二十年以上前に後宮に入ったということは、瑛然――皇太子が第一皇子として生まれた頃だろうか。
「後宮で暮らしだして半年ほどですかな。毒殺されかけたのです」
「毒殺……」
「幸い、私の妻が薬師でしてね。娘には入宮のときに毒については、よく教えておいたので、事前に気付くことができました」
店主の言葉に、香凛は一瞬詰めた息を吐き出す。
「ですが、修容として後宮にいる限り、いつまた毒を盛られるかわかりません」
香凛は頷く。
「一族として望んで娘を後宮に入れたわけではなく、宰相一門と相対する家門と縁続きのため、頼まれて仕方なく……の入宮です」
幼い頃から、後宮入りのために育てられたわけではない。
そうした娘にとって、毒殺と隣り合わせの日々は辛かっただろう。
「娘はそのときの毒を持ち、皇后殿下へと訴えたのです」
「訴え……」
(後宮の噂話とは随分と違う。やはり、わざと流された噂だったのね)
「皇后殿下も、第一皇子殿下をお生みになって間もないときでした。後宮内で毒殺など、平時よりも許されない時期です」
「それは……そうですね」
いつでも毒殺は許されない。
けれどこの国では、皇帝の血を引く皇子――それも皇后の子で第一皇子ともなれば、その重要性は格段に変わるのだ。
瑛然をちらりと見るが、彼の表情は変わらずにいる。
「そこで、皇后殿下は修容と取引をされたのです」
「取引とは」
「修容の侍女が第一皇子殿下を毒殺しようとした、という噂を流し、侍女と修容を罰したということにしたのです」
「では実際には」
「第一皇子殿下を毒殺しようとなどしてませんからね。そんな侍女もおりません。そうして修容は冷宮に入れられた後死を迎えたということにして、密かに我が家に戻りました」
つまり、見せしめ役をさせたのだろう。
第一皇子に手を出せば、すぐに捕えられるという噂も流した。
「皇后殿下の利は」
「我が徐福商会です」
そこまで告げると、瑛然が口を開く。
「徐福商会は、皇帝、皇后、皇太子の市井での目となり、手足となるという契約だ」




