114.龍の国境は「顔パス」で
ネロ特製の『魔法馬』による数日の爆走を経て、俺たちを乗せた漆黒の馬車は、ついに龍神国家ドラグノフ帝国の国境へと到達した。
そこはただの国境線の壁ではない。
高さ数十メートルにも及ぶ、ミスリル合金で補強された城壁が地平の果てまで続き、城門の周囲には、青白い光を放つ重武装の『魔導警備ゴーレム』がズラリと並んでいる。
「ふぁ……。やっと着いたか。ケツが痛ぇ」
俺は大きく欠伸をしながら、馬車の窓からその物々しい光景を眺めた。
「ふふ、ようこそ私の国へ、ヴェルト様。ここから先は、帝都の最深部まで私が責任をもってエスコートいたしますわ」
向かいの席に座るサラシュアが、胸を張って妖艶に微笑む。第一皇女である彼女が同乗しているのだ。当然、国境など形だけの「顔パス」で通過できる――誰もがそう思っていた。
だが、馬車が巨大な検問所のゲートに差し掛かった瞬間、けたたましい魔導サイレンが鳴り響いた。
『止まれ!貴様ら、何者だ!許可なき入国は帝国法により即座に排除する!』
何十体ものゴーレムが一斉に砲門をこちらに向け、その背後から、立派な角を生やした十数名の竜人の兵士たちが現れた。
「……おいサラシュア、どういうことだ。お前、自国で指名手配でもされてんのか?」
「……おかしいですわね。随行員たちは、先に国境を通過しているはず。第一皇女の帰還を阻むなど、あり得ません」
サラシュアの縦長の瞳孔が、不機嫌に細められる。
彼女はバンッ、と馬車の扉を開け、扇子で口元を隠しながら外へと歩み出た。
「無礼者。私の顔を忘れたとでも言いますの?早急にゲートを開けなさい」
皇女の威厳たっぷりの命令。だが、兵士たちの隊長らしき竜人の男は、鼻で嘲笑うように腕を組んだ。
「これはこれは、サラシュア殿下。……大変申し訳ありませんが、我々は『第一皇子ライバルド殿下』より、国境警備の強化を厳命されております。殿下のような【正体不明の黒い馬車】を、やすやすと通すわけにはいきません」
「……なんですって?」
サラシュアの纏う空気が、一瞬で氷点下にまで冷え込んだ。
なるほど、そういうことか。
「つまり、あいつらはライバルドとかいう次期皇帝候補の派閥ってわけね。……論理的に考えて、サラシュア皇女に対する明確な嫌がらせと、政治的牽制か」
車内から顔を出したクリスが、冷静に状況を分析する。
それを聞いた隊長の男がニヤリと嗤った。
「ああ?それに、殿下の後ろにいるのは『人間』や『獣人』ではありませんか。我が国のように進化した魔法工学を持たない下等種族を、帝国の神聖な土を踏ませるわけには……」
「……ああん!?もう一回、言ってみろ!!」
隊長の言葉を遮るように、野獣の唸り声が響いた。
馬車の屋根の上からドスッと飛び降りてきたのは、道中ずっと屋根で(俺に吹き飛ばされながらも)筋トレをしていた獣国王子、レオンハルトだ。
「誰が下等種族だと?あァ?機械に頼らなきゃ戦えねェ腑抜けのトカゲどもが、俺の拳の前で同じ台詞を吐けるか試してやろうか!!」
レオンハルトが猛烈な闘気を立ち昇らせ、サラシュアもまた、手元に巨大な水圧の魔力球を生み出し始める。
「ライバルドお兄様の犬風情が、私の顔に泥を塗ろうなどと……ここで全員、消し飛ばして差し上げますわ!」
獣と龍が、国境の門の前で本気の殺意をぶつけ合おうとしている。
このままでは、入国どころか国際問題に発展する大乱闘だ。
「……あー、うるせぇ」
俺は、深い、本当に深いため息を吐き出しながら、馬車からゆっくりと降り立った。
「ヴェ、ヴェルト様……?」
「おいヴェルト、手出しは無用だ!こいつらは俺が全員、素手で解体して――」
俺は、騒ぐ二人の横を無言で通り過ぎ、数十名の竜人兵士とゴーレム部隊の正面に、ただ一人で無造作に立った。
「……なんだ?ヒョロガリの人間。我々エリートに命乞いでもしに来たか?」
隊長の男が嘲笑う。
俺は首をゴキリと鳴らし、眠たげな目でそいつらを見据えた。
「いいか、トカゲ。俺はこの数日間、馬車の中で女どもの喧嘩と、屋根の上の騒音のせいで、ただの一秒も熟睡できていない」
俺の声は、決して大きくはなかった。
だが、その声には、一切の感情が抜け落ちていた。
「俺は今、猛烈に機嫌が悪い。……これ以上、俺の睡眠時間を削る気なら」
次の瞬間。
俺の体から、一切の魔力操作を介さない、純粋で絶対的な傲慢を纏った【威圧】が爆発した。
「――その無駄にデカい壁ごと、粉微塵に吹き飛ばして不法入国させてもらおうか?」
ズゥゥゥゥゥンッ!!!
「「「がっ……!?ぁ……!?」」」
その場にいた全員の呼吸が、同時に止まった。
俺から放たれた目に見えない重圧の波は、数十人の竜人兵士たちを、文字通り『地面に叩き伏せた』。
膝から崩れ落ち、白目を剥き、口から泡を吹いて気絶していく兵士たち。強靭な肉体を持つはずの竜人たちが、ただの一瞥で、カエルのようにぺちゃんこに潰れている。
ギギギ……ガシャァァン!!
さらに、魔力で駆動していた魔導ゴーレムたちまでもが、俺の異常な魔力密度に耐えきれず、内部の回路をショートさせて次々と機能停止し、崩れ落ちた。
「……」
残ったのは、静寂だけだ。
先ほどまで偉そうにしていた隊長の男も、地面に顔をめり込ませ、完全に意識を失っていた。
「……やっと静かになったな」
俺は肩をすくめ、背後で口をポカンと開けているレオンハルトやクリスたちを振り返った。
「何してんだ、早くゲート開けろ。...何も問題無いだろ?俺はアイツ等に指一本触れてない。勝手に気絶しただけだ、それってアイツ等の職務怠慢ってやつだよなぁ?……ともかく俺はホテルに着くまで、もう一歩も歩きたくないんだ」
「ヴェルト……お前、相変わらず無茶苦茶だな」
呆れるレオンハルトを尻目に、サラシュアだけは両手で頬を覆い、身をよじらせていた。
「ああ……なんという理不尽なまでの暴力!エリートたる竜人の兵士たちが、ただの威圧で塵芥のように……!やはりヴェルト様は最高ですわ!!」
「……うるせぇ、さっさと馬車に乗れ」
こうして。
ライバルド派閥による巧妙な政治的足止めは、悪徳領主の「圧倒的な睡眠不足によるヴェルトの八つ当たり」によって、ものの数秒で物理的に突破された。
堅牢な国境の門が、重々しい音を立てて開く。
俺たちを乗せた漆黒の馬車は、誰一人として阻む者のいなくなった国境を、実に悠々と、文字通りの『顔パス』で通過し、帝国の心臓部へと向けて再び爆走を始めたのだった。




