113.閑話 退屈な魔女の遊戯と、エリートの傲慢
魔法工学の最先端を往く、龍神国家ドラグノフ帝国。
天を衝くほどの高層建築群と、夜でも輝きを失わない魔導灯の光に包まれた華やかな帝都――その地下深く、王城の最下層に位置する『開かずの宝物庫』には、外界の光をすべて飲み込むような絶対的な闇が広がっていた。
「……ふふっ。ああ、なんて甘美で、醜悪な鼓動なのでしょう」
その闇の中心で、とろけるような甘い声が響いた。
現聖女、メルフィ・アンスバッハ。
彼女は、厳重な封印術式が施された巨大なミスリルの祭壇に頬ずりをするように寄り添い、うっとりと目を細めていた。
「今頃、ヴェルト様を乗せた馬車は王国を出たでしょうか?」
メルフィは、遠く離れた地を想うように、蜂蜜色の髪を指に巻き付ける。
「私も、あの方の馬車にこっそり乗り込んで、ゆっくりと旅を楽しみたかったですわね。転移魔法で先回りするなんて、少し無粋でしたかしら?……でも、あの方を最高の舞台でお迎えするには、盤面の準備が必要不可欠ですものね......はぁ、こんなに昂るのは初代勇者に愚鈍な魔神共を始末させた時以来ですわ♡」
ドクン……ドクン……。
祭壇の奥深くから響くのは、生物のものとは思えない、重く、悍ましい胎動。
それは、神話の時代に世界を恐怖に陥れた魔神の欠片――『嫉妬の心臓』の脈動だった。
「それに比べて...人も、獣も、そしてこの国の支配者たる竜人たちも……どれもこれもちっぽけな箱庭でつまらない見栄を張ってばかり。本当に……永すぎる私の暇つぶしにもならない、退屈な生き物ばかりですわ」
メルフィはくすくすと笑いながら、周囲を見渡した。
ここは、龍帝の許可なくば何人たりとも立ち入れないはずの絶対禁足地だ。だが、彼女の周囲には、すでに原型をとどめていない魔導警備ゴーレムの残骸が散乱していた。
「神話の時代、空を統べた『神竜』の血を引く誇り高き竜人族……。その強靭な肉体と叡智をもって魔法工学の頂点を極めたとふんぞり返っていても、結局は心の奥底に宿る醜い感情からは逃れられない。……盤面の上で踊るだけの、哀れで愚かな駒ですわねぇ」
「……フン。くだらん御託を並べるな、女」
不意に、闇の中から傲岸不遜な声が響いた。
足音高く歩み出てきたのは、立派な龍の角を持つ男。ドラグノフ帝国の第一皇子――サラシュアの腹違いの兄であり、次期皇帝の座を渇望する男、ライバルドだった。
彼は腕を組み、周囲に転がる警備ゴーレムの残骸を「ゴミめ」とでも言いたげな目で一瞥すると、鋭い縦長の瞳孔でメルフィを見下ろした。
「俺は誇り高き神竜の血を最も濃く継ぐエリートだぞ。こんな宝物庫の結界など、この俺がその気になればいつでも突破できたのだ。聖女だか何だか知らんが、余計な事をしやがって」
「ええ、もちろん存じておりますわ、ライバルド殿下。貴方様こそが、この国で最も優れ、最も帝位に相応しいお方。……だというのに、あの小生意気な妹君のせいで、ずいぶんとコケにされているようですわね?」
メルフィがわざとらしく同情を引くように言うと、ライバルドの額にピキリと青筋が浮かんだ。
「……黙れ。サラシュアめ……たまたま魔法の才能に恵まれて生まれてきただけのくせに、天才だの次期皇帝だのとチヤホヤされおって……!この俺のプライドが許さんのだ!!」
「ええ、その通りですわ。ですから、その『力』を手にする資格があるのは、エリートである貴方だけなのです」
メルフィは言葉巧みに、男の心に渦巻く「才能ある妹への強烈なコンプレックス」と「エリートとしてのプライド」を煽り立てる。
『嫉妬の心臓』は、負の感情を餌にして力を増す。神竜の血を引く強靭な肉体と、それに不釣り合いなほど肥大化し、傷ついた自尊心……ライバルドという媒体は、この心臓を極限まで活性化させるための、まさに極上の『贄』だった。
「……さあ、間もなくですわ。永い永い私の人生において、久々に現れた最高の『娯楽』が……この国にいらっしゃいます」
メルフィは、王都で勇者アレクを無慈悲に踏み潰したヴェルトの姿を思い出し、恍惚とした表情で自身の身体を抱きしめた。
「あの規格外の暴力。すべてを力でねじ伏せる圧倒的な傲慢さ……。ああ、思い出すだけで背筋が震えてしまいます。ええ、ただの罠では、あの方はすぐに飽きてしまう」
メルフィは、祭壇に封印された『心臓』に向かって甘く囁きかける。
「だからこそ……ライバルド殿下。貴方には、とびきりの『障害物』になっていただきますわ。あの方が、思い切り力を振るって、この国ごと蹂躙したくなるような……最高の盤面を、ね」
ドクンッ!!
『嫉妬の心臓』が、メルフィの狂気に呼応するように、一際大きく脈打った。
祭壇の周囲に、どす黒い瘴気が溢れ出し、ライバルドの屈強な身体をゆっくりと包み込んでいく。
「ウオォォォォォッ!!……素晴らしいぞ、この底知れぬ力は!!腐っても聖女か。お前の様な女が持ってくる話など眉唾ものだと思っていたが...」
瘴気を吸い込んだライバルドの筋肉が異様に膨張し、その全身から強烈な魔力の嵐が吹き荒れる。
彼は自身に流れ込む邪悪な力に恐怖するどころか、歓喜の笑い声を上げた。
「はーっはっはっは!!見ろ、この圧倒的なパワーを!これで俺がナンバーワンだ!皇帝も、あの目障りな小娘も、まとめて俺の足元にひれ伏させてやる!!」
「ふふっ。ええ、素晴らしいですわ。嫉妬の魔神は神竜の祖、予想通り...反発なく定着しましたわね。殿下、その他者への嫉妬の感情こそが、魔神の最高の糧となるのですわ」
圧倒的な力を手に入れ、完全に増長したエリート竜人の絶叫を子守唄のように聞きながら、メルフィは闇の中で一人、優雅にステップを踏む。
「さあ、早く、早く来て……私のヴェルト様。この絶望に染まった龍の国で、貴方がどんな風にこの退屈な盤面をぶち壊してくれるのか……心待ちにしておりますわ♡」
魔女の狂った愛と、魔神の欠片が蠢く地下の闇。
そんなこととは露知らず、悪徳領主を乗せた漆黒の馬車は、今まさに帝国の国境を越えようとしていた。




