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103.傲慢に混じる泥臭い性質

 闘技場の石畳を蹴り砕き、俺は音を置き去りにした神速でアレクの懐へと潜り込んだ。


「遅い。感情に任せただけの、単調な突進だ」


 アレクは冷笑を浮かべ、指一本動かそうとしない。


 彼の全身を覆う蒼い瘴気が極限まで圧縮され、物理・魔法を問わず、格下のあらゆる攻撃を概念的に無効化する『傲慢の絶対防壁』が展開された。


 ――だが、俺は『原作ゲーム』でそれ知っている。


 この絶対防壁には、展開された直後のコンマ一秒、対象の脅威度をシステムが判定する瞬間にだけ、極小の『判定の穴(フレームの隙)』が存在することを。


「――無駄だ、アホが」


 パキィィィィンッ!!!!


 俺の純粋な【筋力】と【敏捷】が乗った右ストレートは、前世で何千回と叩き込んだジャストタイミングで、防壁の隙間を寸分狂わず撃ち抜いた。


 世界の理であるはずの概念防壁が、ガラスが砕け散るような甲高い音を立てて粉砕される。


「が、はァッ……!?」


 防壁ごと顔面を殴り飛ばされたアレクの体が、くの字に折れ曲がる。


『なんだと!?我の力を込めた結界が破られるなどっ!?ありえん!』


 そのまま砲弾のような速度で闘技場の外壁に激突し、分厚い石の壁を何重もブチ抜きながら、瓦礫の山へと深く沈み込んだ。



「な……アレク様の防壁が、ただの物理的な打撃で砕かれた……?」


 闘技場の端でその光景を見ていたセレスティアは、狂信的な笑みを凍りつかせ、信じられないものを見るように目を見開いた。極北の地でルクェルを赤子のように捻り潰した魔神の力が、真正面から破られたのだ。


「ぼやっとしてる暇はないぞ!急げ、西ゲートを開放しろ!負傷者の搬送を最優先だ!」「『大いなる癒やし(ハイヒール)』!皆さん、落ち着いて私の光についてきてください!」


 セレスティアの動揺を他所に、闘技場内ではクリスとアリシアが声を張り上げ、逃げ惑う数万の観客を懸命に地下シェルターへと誘導していた。


「…………パパ」


 その混乱の中心、水精霊と死霊術師のハイブリッドである娘、フィオナは避難することすら忘れ、ただ闘技場の中央に立つ男の背中を見つめていた。


「パパの邪魔は、させない」


 彼女が静かに両手をかざすと、清らかな『水』が闘技場の地面から噴出し、次々と巨大な骸骨の腕を形作っていく。アレクが吹き飛んだ衝撃で降り注ぐ巨大な瓦礫の雨を、水圧で硬質化された『水の骸骨』が次々と受け止め、滑らかに受け流していく。


 原作ゲームの歴史通りであれば、強大すぎる二つの血の反発と孤独による精神不安から魔力暴走を起こし、不器用さと出力過多で全てを絶対零度の氷に変え、いずれ多くの生徒を巻き添えにする『学園崩壊の元凶』となるはずだった悲劇の少女。


 だが今の彼女は、ヴェルトという絶対的な心の支えを手に入れたことで精神が安定し、かつては不可能だった『水精霊の力』と『死霊術』の完璧な複合制御を、涼しい顔で成し遂げていた。


 神話の化け物をただの拳一つで殴り飛ばした理不尽の権化たる男の背中に、絶対の安心感を抱きながら。彼女は静かに覚醒した。


「ロイヤルボックスへの余波……全て弾き落としましたわ。お嬢様方に瓦礫一つ当てさせはしません」


 その頭上では、アークライト家の最強のメイドたるマリアが、たった一人で凄まじい速度で闘技場を駆け巡り、王族の結界の補強を完璧にこなしていた。


「ヴェルト様の晴れ舞台に、泥を塗るわけにはいきませんからね」


 平然と微笑むマリアの背後、ロイヤルボックスの王族たちは驚愕に包まれていた。


「あの結界を、素手で打ち砕いただと!?」


「す、凄まじい……!あれが、ヴェルト・フォン・アークライトの真の実力……!」


 国王とマクシミリアン王子が、冷や汗を流しながら闘技場の中央で圧倒的な存在感を放つ悪徳領主を見下ろしている。


「ふふっ……当然ですわ。彼こそがわたくしの英雄……いえ、未来の『旦那様』ですもの♡」


 シャルロットは、震える手で扇子を握りしめながらも、ちゃっかりと抜け駆け宣言をして誇らしげな笑みを浮かべていた。


「なっ……あーーー!シャ、シャルロット!?今どさくさに紛れてとんでもないこと言わなかった!?ヴェルトは私とも婚約を……ッ!」


 その堂々たる所有権の主張に、シルヴィアが顔を真っ赤にしてやきもちを焼き、こんな絶望的な状況下で姉妹揃ってバチバチと火花を散らしている。


 そして、特等席の防御結界の中では。


(アハハハハッ!素晴らしい、素晴らしいですわ!やはり貴方は私の期待を裏切らない!)


 異端審問局長メルフィ・アンスバッハは、扇子で口元を隠しながら、歓喜に打ち震えていた。


(ですが、アレク...いえ、魔神の本当の力はまだ目覚めていませんのよ。さあ……そろそろ、私が仕込んだ『本命』が顔を出す頃合いですわね♡)



「……手応えが軽すぎる。大してダメージが通ってねぇな?」


 俺は拳を振り払いながら、瓦礫の山で立ち上がろうとするアレクを睨みつけた。


 俺の打撃によってひび割れた蒼い瘴気(傲慢)のオーラが、不安定に明滅している。


「貴様……よくも俺の顔に、泥を……!」


 瓦礫を吹き飛ばし、アレクが血走った瞳で俺を睨みつける。


『……忌々しい...忌々シイ、我ラヲ滅ボス事ナド不可能。勇者ヨ、周囲ノ魔力ヲ、命ヲ、スベテ喰ライ尽クセ!モットダ、モット我ニ力ヲ寄越セェ!』


 アレクの脳内に響く、魔神の俗悪な声。


 それに呼応するように、立ち上がろうとするアレクの傷口から、ドス黒い『赤黒い触手』のようなものが這い出した。それは周囲の瓦礫や残留魔力を浅ましく『すすり上げて』肉体を急速に修復していく。


「ああ……分かっている。俺に傷をつけた大罪、すべての魔力を奪い尽くして償わせてやる……!」


(……おかしい)


 俺のゲーマーとしての脳髄が、激しい警鐘を鳴らす。


(フィオナのような死霊術師ネクロマンサーが使う生命吸収系のスキルならともかく、原作の『傲慢の魔神』の挙動に、あんな泥臭い吸収行動は存在しない。ゲーム内での傲慢の自己再生は、時間を巻き戻すような美しく青い光に包まれるチート仕様だった。周囲の魔力を貪り、他者から奪うことで己を保つような、あの泥臭く浅ましい挙動は――『傲慢』とは対極にある性質だ)


「消し飛べェェェッ!!」


 アレクが怒りに任せ、巨大な『蒼炎の槍』を無数に生み出し、俺に向けて一斉に射出する。


 俺は剣を抜くことすらせず、その場で大きく足を踏み込み、闘技場の空気を蹴り飛ばした。


「――うるせぇよ」


 ドゴォォォォンッ!!


 ただの蹴りの風圧(衝撃波)が、飛来する蒼炎の槍をまとめて空中で相殺し、霧散させる。


 その圧倒的な物理の壁を前に、アレクが一瞬だけ怯んだ。


「……おい、勇者」


 俺は、土煙を払いながら、ゆっくりとアレクへと歩み寄る。


「お前のそのダサい自己再生、随分と『傲慢』の肩書きに合わねェな」


「……なに?」


 俺の言葉に、アレクが怪訝な顔をする。


 俺は剣の柄をトントンと指で叩きながら、冷ややかな視線を向けた。


「俺の知っている『傲慢』ってのは、他者を見下す絶対的な自己完結の力のはずだ。だが、お前のは違う。周囲から魔力を奪って無理やり体を繋ぎ止めるような、その浅ましい真似はまるで――」


『なるほど――見事な観察眼だ、ヴェルト・フォン・アークライト』


 俺が違和感の正体を口にしようとした、その瞬間だった。


 突如、闘技場の上空に、重く、底冷えするような声が響き渡った。


「なっ……何者だッ!?」「空を見ろ!あんな所に、誰か浮いているぞ!」「ひっ骸骨!?」


 パニックに陥っていた観客や騎士たちが一斉に見上げる中、俺は上空に浮かぶその姿を見て、ふうっと小さく息を吐いた。


 ぼろぼろの外套を纏った白骨の魔物――かつての『初代勇者』であり、俺たちと停戦協定を結んだ『不死王アバド』がそこにいた。


「……アバド?おいおい、今は停戦中だろ。こんな所で何してやがる」


『警戒を解け。我は魔神の心臓を探すという貴様らとの約定に従い手はださん、今はただ強烈な魔神の共鳴の気配を辿ってきただけだ。……因縁があるとはいえ、無論そこにいる聖女とも、今やり合うつもりはない。本日はしがない解説役だ』


 アバドはカタカタと顎の骨を鳴らし、特等席で笑みを浮かべるメルフィを一瞥した後、眼下で顔を歪めるアレクを見下ろした。


『……勇者よ。我は貴様を、空っぽで丈夫なだけの器かと思っていたが……いやはや、私の目も曇っていたものだ』


 アバドの容赦のない宣告が、闘技場に冷たく響き渡る。


『貴様がこの学園の地下で手に入れたのは、ただの「傲慢のレプリカ」だ、これは作成した我が断言しよう。...だがまさか、それを手に入れるより前に、すでに「別の魔神の欠片」をその心臓に取り込んでいたとはな。ふむ…そこの魔女の仕業か?』


 神話の時代を生きた不死王の言葉に、アレクの青白い瞳が、信じられないものを見るように見開かれた。

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