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第十三波「天海交錯の解呪」

「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」


 ――さながら精舎の鐘の音のように、荘厳な音曲を響かせて、杭は扉の中心に打ち付けられた。


 男はフンとつまらなさそうに鼻を鳴らすと、それを引き抜く。

 扉には傷一つついてはいなかったが、彼がその扉を打ち破るためではなく、封印を強化するために術式を使ったのだと、部下は気づいていた。


「やはり未完成じゃ封印が限界か」

「それで十分ではないですか。これほど厳重な防備を施せば、いかなる賊でも破れないでしょう。いやむしろ、これほどの短時間で、かくも見事なこしらえを。ワタクシ、感嘆を禁じ得ません」


 部下がそうおだてると、振り向いた男の目にはあからさまな侮蔑と嘲笑の色があった。

 腹の底で、ふつふつ煮える感情を押し殺し、繕い笑顔で覆い隠す。


「異能者にゃ成長とか、経験とか、そういった時間の積み重ねに意味はない。あるいはあと数年で、こいつを一瞬で破るヤツが現れるかもな」

 と、思わせぶりなことを男は言った。

 現在、彼から離れたその部下からしてみれば今後の展開を予知していたような、恐ろしい言葉だった。

 だがこの予言あればこそ、彼は『キャラバン』を組織したのだ。


「じゃ、こいつの管理はお前に一任する」

「お任せいただけるのですか!?」


 男は数秒の沈黙の後、含みを持たせて「ああ」と言った。


「だが気をつけろよ」

「何を、でしょうか?」

「お前の数多くある短所の中で、最も致命的なものを、教えてやろうか?」

「……後学のために、うかがいます」


 感情を潰した声で問う部下を、まるで見下すように男はニヤリ、意地悪く笑う。

 自信に満ちた彼の笑みを、他人の多くは頼もしいと言う。が、この部下は死ぬほど嫌いだった。


「お前は利害や損得やカネがこの世の全てと考えているようだが、実際のところ、得にもならんつまらん小事にこだわり過ぎる」

「そ……そのようなこと、は」

「そしてもっともタチが悪いのは」

 何よりこの男の憎むべき部分は、


「お前にはその自覚も聞き入れる耳もないことだろ、黒米」


 その、全てを司る神にでもなったような、一方的な決めつけ。


 既に男は、部下のことなど眼中にないと言わんばかりに、出口へと向かっていた。


「この『保管庫』を破壊する者が現れるかもしれない。だとすれば、お前の人生を破壊する者も、なんの前触れもなく現れることだって、ありうる」


 せいぜい気をつけることだ、と付け加え、出口から入り込む淡い光に、男の影は溶け込んでいく。


「目の前の些末にこだわりすぎて、うっかりその悪魔の城に踏み込まんようにな」


「……ご教授、感謝いたします」

 そう頭を下げた部下、黒米金充の、屈辱に歪んだ表情を、男の背は気づかなかったのだろうか。あるいは、気がついていて、なお……


~~~


 ――三十二回。

 これが、『アヴァロン』に連れ戻されてから、囚われのお姫様が反撃を試みた回数だった。

 睨むだけで人を殺しそうな鋭い眼光の矛先は、鼻歌交じりに前を歩く黒米でも、道沿いに整列する『キャラバン』団員でもない。

 裏切り者、すなわち島津新野に対してのものだった。


「……このメスダヌキ。あんた最初に会った時、『アリアンロッド』が見えてたわね……」

「お前も異能者の端くれなら、己の異常さを隠す所作ぐらいは覚えておくんだな。そもそもわたしはそれが『見えていない』などと一言も発してはいないが?」

 すかさず少女、鈴目天佳の脚が飛ぶ。島津は難なくそれを腕の一振りで弾き返した。

 少女の手首は藺草で撚った荒縄で、後ろ手に縛られている。肌に食い込み、赤く充血している。

 相当な苦痛を伴うし、数日は痕に残る。この誇り高く、自分の美貌に絶対的な自信を持つ美少女にこの仕打ちは堪えるはずだ。

 なのに彼女は、うめき声一つ漏らさず、いつもどおりふてぶてしい面構えだ。


「機械や手錠を使えば『アリアンロッド』で解除される」

 とは黒米の弁だが、それ以上に恣意的な復讐があるように、島津には思えてならなかった。


 そして居並ぶメンバー。

 まだ洗脳が解けている者はまれだ。そうした人間は体調不良で医務室で運ばれたか、あるいは自ら離脱したか……『価値無し』として処分されたらしい。

 それを知ったのは、島津が帰艦してからのことだった。


 戸惑い、悲しみ……だがそれ以上に、捕まえられた『ギャラバン』造反者に対する憎悪と、軽侮と、嘲笑の方が強い。

 そしてそれらは、「自分たちにできないこと」を平然としてのけた少女への妬みが来るものだろうと推測できた。


 甲板を抜け、司令室のある船内に入った時、異変は起きた。

 あばた面の少年団員が、列から抜けて飛び出してきた。


「みんなの仇の売女めっ! 正義の鉄槌を喰らえ、とぉうっ!」


 そんなことを口走りながら、拳を、少女の整った顔面めがけて打ち付けようとした。

 手を封じられた少女に、それを防ぐ手立てはない。

 反射的に目を瞑る少女の前に、島津は手を差し入れた。

 掌で、その無慈悲な暴力を受け止める。

「なっ……!」

 そのまま軽く力を込めるだけで、少年の指は割り箸のようにあらぬ方向へと折れ曲がった。

「ギャアアアアア!?」

 潰れてかすれる断末魔に、左右の団員数名が顔色を変えた。

「ほう? お前の言う正義とは、気にくわない相手に暴力を加えるための言いがかりか?」

「あ……あぁぁ……ぁぁ!?」

「幼稚園に戻って、出直して来い」

 それから、左腕で顔の側面を殴り抜けた。

 昏倒し、頭と床で金属音を奏でるそれに一瞥をくれると、天佳の肩を掴んで押して、先へ促す。

 当然だが、感謝の言葉は、なかった。


「一年単位の任務を完遂し無事ホームへ戻ってきたというのに、ヤケに不機嫌だなぁ? 副団長」

 歩みを止めずに、黒米の背中が言った。

 口を開いた時には既に人の列は途切れ、三人だけになっていた。

「別に。質の悪くなったガキ共に、辟易しているだけだ。留守中ちゃんと教育してたんだろうな? 団長」

「はぁ? そんなコトをして一体何の得があるってんだ? 連中のオツムなんて、『ベリアル』にイジらせりゃ済むハナシだったろ?」

 疑いも、悪びれもなく臆面もなく、指導者はそう言い切った。

「……だと思ったよ」

「誰が何を信じようと勝手だろ。俺様にとっての問題はそれがカネになるか、ならないか」

「ではお前の正義とはなんだ? 『保管庫』の中身を得て、なんとする?」

「はっ、『トライバル』も野菜も同じ。カネになるものを売りさばくのにいちいち意義なんて考えるか?」

 黒米がそう言って笑ったとき、島津もわずかに笑って見せた。


「まぁ強いて言うなら勧善懲悪はダメ。アレにはヘドが出るね。安っぽいし、それを真に受けたガキが社会に出た時には軟弱な大人になるだろ。つまりお前の言う教育に悪いってのはこういうことさ。何より今の時代カネにならない。やっぱヒーローはダーティーな部分があってこそだろ! 汚れようとも傷つけようとも、他人にどんな被害が出ても、自分目的を遂げる! それがデキる大人ってもんだ」


「……はっ、自分は傷つかないで安全なお山にのぼった大将サマの、典型的発想ね」

 天佳はそう言って鼻を鳴らした。

 すかさず少女の腹に、旋回した黒米の靴底がめり込んだ。

 不意のことで、また上司に反抗して機嫌を損ねてまで護る気もなく、くびれた腹部に、 壁に背を打ちつけて、くぐもった声を漏らす。


「良いかクソ女? お前はそんな軽口を許されているわけじゃない。ただ鍵という価値があるから存在が許されているだけだ。死にたくなけりゃ、その口閉じてろ!」


「……っ、……はっ! そう? じゃあ今のところ、殺される心配はないってわけ」

「お前は、な」

 息も切れ切れ、強がる天佳の背後で、島津はするどく釘を刺した。


「……は……?」

「『トライバルX』、すなわち来栖切絵は今、わたしの戦友の監視下にある」

「……あぁ、あのクズ野郎」

 憚りなく天佳が口汚く言う。

 彼の繊細さを知りもせず無条件で同胞の悪口を言われ、島津は軽い反感を抱いた。

 それが極力表面に出ないよう務めて、


「じゃあ言い方を変えるか。あいつを殺されたくなければ、『保管庫』を開けろ」


 その脅し文句は、黒米が代弁してくれた。

 得意げにニヤニヤ笑いつつ「んん?」とイヤミったらしく反応を窺う。

 そこには高潔な指導者の姿はなく、一匹の卑しい餓鬼がいた。


 ――もっとも、あの人は既に逃げ出しているたろうがな。

 それは、黒米にも報せていない。

 天佳が扉を開けようとも開けまいと、

 生きようと死んでいようと、


 ――きっとあいつは、ここに来る。

 いや来なければ、何も始まらない。


 瞬間、爆発的、暴力的な笑い声が、辺りを包んだ。

 それは、鈴目天佳の口から発せられたものだった。

 だがどう聞いてもその声や表情に、愉快さは感じられない。

 怒りや憎悪を無理矢理笑って消し飛ばすような、硬い声質だった。


 笑いはすぐに、ピタリと止んで、


「バカだね。だから言ったのに」


 代わりに、ポツリと呟きを落とす。

 そのバカとは、一体誰を指すのかはわからないが、彼女らしからぬ弱々しい語気が、これ以上の抵抗を諦めたことを証明していた。


 島津は黒米と顔を見合わせる。

 彼は勝ち誇ったように頷いた。


~~~


そして『キャラバン』のナンバー1・2は、囚人を伴い最奥へと赴く。


 分厚い扉は、変わらず侵入者を拒む、要塞のような重厚感を漂わせている。

 いかなる暴力、どんな異能にも屈することのなかった、封印。

 それが、突発的に覚醒した少女の細腕一本で解けてしまうのだ。


 島津は苦い思いで、扉を睨んでいた。


「っ!」

 その時、二人の間を歩いていた天佳がふいにバランスを崩して床に倒れこんだ。

 縛られて勝手が利かないのか、両手を腹の中に納めるようにうずくまった。

 黒米はそんな少女の姿を見、舌打ちし、


「くだらねぇ時間稼ぎしてんじゃねぇ!」


 ためらいなく無防備な脇腹に、爪先をめり込ませた。

 人を人とも思わぬ扱いに、島津はこみ上げてくるものを押し殺した。

 だが、彼女の目からしても、天佳の倒れ方に作為的なものが感じ取れた。


 ――だが、プライドの高いこの女が、ただの時間稼ぎなんてことをするのか?

 地面に這いつくばって、こんな男に蹴られてまで。

 だが島津はそれ以上の詮索はせず、怪しい、と感じる程度に留めた。


「さぁ……開けろ……開けろっ!」


 黒米の怒声に促され、よろよろと天佳は立ち上がる。

 縛られた両手を開くようにして、その硬い扉に密着させる。


 事、成れり。


 と、暗示するかの如く、その扉一面に大円が描かれる。

 扉に十字に切れ目が入る。

 鉄板は、四つのパネルに分離して、中心から口を開いていく。


「はは、はははははは!」


 完全に開ききるよりも先に、黒米は少女を突き飛ばして、『保管庫』の闇の中へと身体をねじ込んだ。


 そこには、闇があった。

 暗黒の中に、無数の輝きがあった。

 それは海の中のクリオネであり、

 宇宙の中の星であり、

 洞窟の中の金貨であり、

 死の中の生命であった。


「はははは、ははははははは。やった! やっと手に入った!」


 過去にはいたかも知れない幻想の生物たち。

 それらを象る、赤銅の紋章たちが、虚空に、無数に浮かび上がっていた。


 ――だが、これは……


 その影に隠蔽されているのは、死臭。

 染みついた血の臭い。

 島津が足を踏み入れた時、爪先に何かが当たって転がった。

 目を凝らしてよく見てみればそれは、しゃれこうべだった。

 他にも歯や、指の骨や、肋骨や、どこの部位にあるかも分からない骨と、引きずったような黒い線の跡、乾いた肉片。

 昂揚している黒米には分からないだろうが、ほぼ確実にこの場では、戦闘があったのだ。

 その戦闘が収まるかどうかというところで、封印はされたのだろう。

 もはや地面を転がる屍たちが、妨害側、推進側、どちらに属していたのかさえ判別がつかない。


「さて」

 と、興奮の冷め切らぬうちに、本懐を遂げた男は、まっすぐ、天佳の方へと向かっていった。

 その手には、『バルバトス』の刻印。

「もはや閉める『鍵』は必要なくなったなぁ? えぇ、天佳」


 天佳はうんざりとした調子で、

「実に小物らしい展開ね」

 と吐き捨てた。


「だから……正解だった」

 天佳が手をかざした瞬間、廊下の照明は消えて島津たちの世界は大きく揺さぶられた。


「ぐっ!」

 したたかに壁に頭を打ち付ける黒米、島津でさえよろめく船の傾倒の中で、少女は、その事態が読めていたかのように、二本の細足で直立していた。

 そしてほんのり赤く照らされた、向こうっ気の強そうな顔立ちは……微笑んでいた。


「……どうしたァ!?」

 緊急用の通信機を手にしてがなり立てる黒米に、

〈わ、わかりません……ですが、艦内のすべての動力が断たれて〉

 受話器越しに聞こえてくる、震える大声。

 黒米は乱暴に切ると、鬼の形相で天佳へと振り返った。

「このクソガキなにしやがった!?」

 彼に対して、不敵で不遜で気丈な表情で、天佳は答えた。

「何って、ちょっとこのボロ船をストップさせただけだけど? 『トライバル』使って」

「さっき倒れた時か。それにしてもこれほどの出力を発揮できるとは」

 と島津は呻く。


「で、どうする? このままだとこの船はどこへも行けない。『セエレ』で移動できるもんなら最初からしてるでしょうし。……あんたらもう時間ないんじゃない?」

「……どうしてそう思う?」

「『マルコキアス』と『セエレ』まで出したんだから、相当切羽詰まってんでしょ」

 天佳のそれは推測の域を出ないものだったが、それでも彼女の口から出ると真実みを帯びてくるから不思議だった。

 そして、事実『キャラバン』は、急いていた。

 『ベリアル』を失ったというのもあるが、何より『本土の連中』、すなわちこの組織の母体となる血族が、こちらの独断行動に感づき始めているからだった。

 少女の言うとおり、このまま動けぬ鉄の船の上で、無為に時を過ごしていれば、事態を察したそいつらが、一挙になだれ込んで、『保管庫』を確保してくるだろう。

 ……この開けっ放しのものを見れば、言い逃れはできなくなる。


「ずいぶんな自信だな! お前を殺して『アリアンロッド』を解除すれば良いだけのハナシだ! つまらんことをしてくれたが、実際は何も変わらん!」

 黒米がピストルを引き抜き、突きつけ、腕の『トライバル』をわななかせても、天佳は動じることはない。むしろますます輪にかけて、こちらを見下すような態度を露骨にさせていく。

「でも『ベリアル』は、その破滅後も影響を残している」

「っ!?」

「つまり、お前が死んでも能力は残ると」

「さぁ? 死んだことないからわかんないけど」

 と、あっけらかんとした彼女らしい返答の後に、


「でもこんなつまらないところで、つまづきたくはないでしょ」

 しれっと脅しつける。


 動力を失った艦が、波にさらされ揺さぶられる。

「……なにが、目的だ」

 殺すに殺せず、突きつけたままの黒米の腕は、もどかしげに上下に動いていた。

「そうね。まず第一に私の身の安全の保証。と、切絵の解放。当面はそれぐらいかしらね」

「それを、わたし達が呑むと?」

「じゃあいくらでも考えなさい。その分時間はすり減っていくんだけど」

「……ッ!」

 焦燥し、忌々しげに顔全面を歪ませる黒米。

 その背後で、宝の持ち腐れとなりつつある過去二千年の『刻印』たちが、新しい主の狭量さを嘲笑うかのごとく、明滅を繰り返していた。


 ふぅ、と。

 島津はため息を漏らす。


 ――この次元の低い駆け引きを見せられては、まぁ嘆息の一つも出るな。


 島津はツカツカと唯我独尊の美少女に歩み寄る。

「惑わされるなよ、団長」

 訝しげに睨む少女の髪に手を伸ばす。

 そのままひっつかんで、頭を壁に押し当てた。

「さっきお前が言ったとおりだ。こんな脅しに乗る必要なんて、最初からない。そもそもこんな占拠出来るなら、事の始めからすれば良いだけの話だ」

 髪をかき上げられ、無防備に露わになった耳元に、島津は低くかすれた声で囁いた。


「相当無理してるだろう。お前。命を削るほどに」


 見開いた目が、その返答だった。

「と言うわけだ。いずれは力尽きて術は解ける」

「……っ! じゃあそうやってこっちが事切れるまで待ってなさいよ……!」

「あぁ。そんな時間もないのも確かだ。だからお前には、死ぬよりも辛い目に遭ってもらうぞ」


 島津は左手に『マルコキアス』を発動させる。指先に宿る幽遠の如き炎が、少女の瞳に映り込んだ。その膨大な熱量を前にして、天佳は表情を凍り付かせた。


「まずご自慢の顔を焼く。次いでその目を、指を、乳を、足を……死なない程度にことごとく壊し尽くす。お前のその世界一の美貌とやらを、醜く変形させてやるよ。例え『保管者』であっても、再生なんかできないぞ」


 黒米は、余裕を取り戻している。彼女の恐喝に同調し……かつそれらの拷問が実際に行われることを期待するかのように、ニヤニヤと、サディスティックな薄ら笑いを浮かべている。

「だから、さっさと、『アリアンロッド』を、解け」


 だが、

「やんなさいよ」

 少女は、屈しなかった。

 恐怖はない。強がりも、怯えもない。口元には笑みさえ浮かべている。

 圧倒的に不利な状況に追い込まれたにも関わらず、鈴目天佳は、島津新野を、黒米金充見下してさえいた。


 島津にとっては半ば意外でもあり、心のどこかで予想できていた気もした。

「……できないとでも思っているのか?」

「別にどうなろうと構わない、つってんのよ。この私を、あんた如きがブッ壊せるものならね」


「ハッタリだ!」


 黒米は横合いからわめき立てる。

「ブラフだ! 作戦ミスだ! ただのホラだ! つまらんアドリブだ! この女がッ! 自分がかわいいと思ってるクソメスが、会って一週間もしない小物一人のために、自分の顔を犠牲にするはずがないっ!」

「……確かに、私はこの世で一番カワイイ。それは厳然たる事実。でも、私はあんたらと違って、自分『だけ』が可愛いわけじゃない」

「…………お前に何が、わかる」

「切絵の心を裏切っておいて、今さら自分に他人を思いやる気持ちがあるなんて、思ってんの?」

 あと数ミリ、指を近づけるだけで少女の皮膚を焼くことができる。そのことに、ためらいもない、はずだった。


「オチがどうであれ、切絵の言葉が私を生かし続けた。切絵がいたから、ここまでやってこれたのよ。……今の私は切絵がくれた自慢なの。だから、あいつのために使ってやって良い。そう、思った……!」


 なのに、届かない。

 幾万の敵にも今まで臆したことはない。にも関わらず、目の前の非力な少女には、どれほど拳を振るおうとも、及ばない。そんな直感が、彼女の腕を停止させていた。


「何をしている……! くそっ、オレがやってやるっ!」

 島津の脇で、黒米が狂ったように声を張り上げた。独り、輪の中に入れないことに対する苛立ち。それが彼を凶行へと走らせたようだった。

 突きつけられる銃、発動する刻印。

 だが、


 ふわり、


 風が、流れてくる。

 湿って淀んだ潮も、屍の臭いも、すべて消し飛ばす、海の爽風。

 顕れた人馬の刻印をくぐり抜け、足を突き出し現れたソレを、島津は、まるでスローモーションでも見ているように見送った。


「ぐえぇっ!?」

 その異形に頬を蹴り飛ばされ、『キャラバン』団長は自らの母艦の床を舐めることとなった。


 現れた赤銅の魔人は、ゆるやかに着地する。

 息を呑み、微笑と共に受け入れる少女の横顔に、表情のない面が振り返る。


「俺も同じだよ。天佳」


 それでも、島津は理解していた。胸が痛むほどに。


「お前がいてくれたから。俺もここまで来られたんだ」


 彼は、来栖切絵は、嬉しそうに笑っている。

 一年前、心を殺されたはずの少年が、その呪いの鎧の奥底で。


 刻印を通じて異空間から注ぐ光が、『キャラバン』副団長には、ひたすらに目映かった。

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