最終話 終末の王は、母の腕の中で笑う。
完太はゆっくりと律子のほうへ歩み寄る。
先ほどまで世界を焼き尽くそうとしていた"終末の王"とは思えないほど、足取りは静かだった。
だが――。
「……っ」
律子の肩が、びくりと震える。
ほんの一瞬。
それは戦いの記憶が体に残した、ごく自然な反応だった。
しかし、その小さな震えを見た完太の足が止まる。
沈黙。
完太は自分の大きな両手を見つめた。
岩のように硬い拳。
血と炎をまとった手。
そして、自分の角へ視線を移す。
苦く笑った。
「……まあ。」
「こんな見た目だしな。」
それだけ言うと、くるりと背を向ける。
肩へ鎖を担ぎ直し、棺桶を引こうとした。
その背中は、先ほどまでの圧倒的な強者とは別人のように小さく見えた。
(違う……。)
律子は胸が締め付けられる。
(私は怖がったんじゃない。)
(戦いが怖かっただけ。)
(この子を怖がったわけじゃない。)
なのに。
その一瞬で、この子を傷つけてしまった。
律子は大きく息を吸い込む。
「――待ちなさい!!」
部屋中に声が響く。
完太が足を止めた。
「私に無断で、どこへ行くのよ。」
腰へ手を当て、母親が子どもを叱るような口調だった。
完太は少しだけ振り返る。
その横顔は寂しそうだった。
「……まあ。」
「生まれたら。」
「捨てずに育ててくれ。」
「それで十分だ。」
また歩き出そうとする。
「いいから、こっちへ来なさい。」
今度は命令だった。
母親にしかできない口調。
人差し指をくいっと下へ向ける。
「ほら。」
「私のところへ。」
その一言に、完太は観念したように苦笑する。
「やれやれ……。」
「会ったばかりで説教か。」
頭をかきながら戻ってくる。
そして律子の前で静かに跪いた。
律子はゆっくりと手を伸ばす。
触れたのは、巨大な角だった。
硬く、冷たいはずなのに。
どこか温もりを感じる。
完太は目を見開いた。
まるで時間が止まったように固まる。
「……嫌じゃないのか?」
恐る恐る尋ねる。
その声は、世界を滅ぼす王ではなく、母親の顔色をうかがう少年そのものだった。
律子はくすりと笑う。
「何を言ってるの。」
そのまま両腕を伸ばし、完太の大きな顔を胸へ抱き寄せた。
異形の角が肩へ触れる。
額へ、そっと口づけを落とした。
完太の顔が一気に真っ赤になる。
「ま……母さん……?」
律子は優しく髪を撫でた。
「まだ生まれてもいないのに。」
「お母さんを助けに来てくれたのね。」
「私のナイトだわ。」
その言葉に、完太は何も返せない。
「自慢の息子よ。」
「それにね。」
完太の頬へ手を添える。
「顔立ち、私に少し似てる。」
完太が照れくさそうに視線を逸らした。
「そのままの姿でいい。」
「角があっても。」
「この手が大きくても。」
「あなたは、あなた。」
「必ず生まれてきてね。」
「お母さんが、いっぱい愛してあげるから。」
沈黙。
終末の王と恐れられた男は、ただ固まっていた。
そして小さく笑う。
「……ありがと。」
涙をこらえるような声だった。
「生まれたら。」
「ちゃんと母さんのナイトになる。」
「約束する。」
「手を出す奴は、俺が全部ぶっ飛ばす。」
律子は思わず笑ってしまう。
「ふふっ。」
「ほどほどにね。」
「……ああ…」
その返事に、その場の空気が少しだけ和らいだ。
完太は立ち上がる。
鎖を肩へ担ぎ、今度こそ歩き出す。
だが、数歩進んだところで思い出したように振り返った。
「ああ、そうそう。」
「三人目に生まれてくる女には気をつけろ。」
律子が首を傾げる。
「俺は母さんの力を継いだから、この程度で済んでる。」
「でも、あいつは父さんの力を継ぐ。」
「だから……。」
少し照れくさそうに笑った。
「俺もだけど、まっすぐ育ててやってくれ。」
「もちろん。」
律子は迷いなく頷く。
「みんなまとめて、愛してあげる。」
完太は満足そうに笑い、背を向ける。
「じゃあな。」
手だけを軽く上げる。
鎖を引く音が遠ざかる。
肉の扉は静かに閉じ、異形の巨躯は闇へと消えていった。
しばらく誰も口を開かなかった。
ようやく百目が肩をすくめる。
「……この勝負、ノーコンテストじゃな。」
レオが苦笑する。
「うん。あれは一方的すぎたね。」
盲も小さく笑う。
「でも、新しい役者が舞台に上がったわ。」
「これから、もっと面白くなりそうね。」
こうして、一連の事件は幕を閉じた。
誰もまだ知らない。
あの日、母の胸で照れくさそうに笑った"終末の王"が、未来で世界を背負う存在になることを。
そして、その強さの根底には――母からもらった、たった一つの「愛している」という言葉があり続けることを。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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