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第94話 終末の王は、母を探していた。

 肉でできた巨大な扉が、ゆっくりと軋みながら開いた。


 ギィィィ……。


 その瞬間だった。


 ガリ……。


 ガリ……。


 床を削るような重い音が、静まり返った空間に響き渡る。


 誰も声を発しない。


 いや――発せなかった。


 最初に姿を現したのは、人ではない。


 黒鉄で造られた巨大な棺桶。


 何人がかりでも運べそうにないそれを、一本の鎖で引きずっている。


 やがて、その後ろから"影"が姿を現した。


 二メートルを優に超える巨躯。


 天へ突き出すように湾曲した二本の巨大な角。


 腰まで届く長い青髪。


 褐色の肌。


 鍛え抜かれた筋肉は岩肌のように隆起し、上半身には衣服すら纏っていない。


 無駄のない肉体。


 履いているのは無骨なズボンと革のブーツだけ。


 肩には太い鎖を担ぎ、その先には巨大な棺桶。


 その姿は、まるで神話に語られる災厄そのものだった。


 誰もが息を呑む。


 百目も。


 レオも。


 盲でさえも。


 言葉を失っていた。


 ただ、その男だけは場違いなほど呑気だった。


「……あれ?」


 きょろきょろと辺りを見回し、首を傾げる。


「場所……間違えたかな?」


 その一言が、あまりにも自然で。


 恐怖に支配されていた空気が、一瞬だけ揺らぐ。


 そして――。


 男の視線が、一人の女性を捉えた。


 律子。


 その瞬間だった。


 鋭かった瞳が、まるで子どものように輝く。


「……ビンゴ!!」


 満面の笑み。


 ガシャン、と棺桶をその場へ置くと、大股で律子へ歩き始める。


 その途中。


 律子の前へ立ちはだかるバンティンへ視線を向けた。


「どけ。」


 低い声。


 それだけだった。


 敵意も殺気もない。


 なのに――。


(逃げろ)


 バンティンの本能が悲鳴を上げる。


(逃げろ)


(逃げろ)


(逃げろ)


 全身の細胞が危険を叫んでいる。


 立っているだけなのに、膝が勝手に震え始めた。


 呼吸が浅い。


 心臓が早鐘のように鳴る。


(なんだ……こいつは……)


 理解できない。


 目の前にいるだけで、生物としての格が違うと本能が悟ってしまう。


 バンティンは無意識のうちに一歩身を引いていた。


 男は何事もなかったようにその横を通り過ぎる。


 視線は最初から最後まで律子だけ。


 他の誰にも興味がないと言わんばかりだった。


 一方の律子は、その圧倒的な存在感に腰が抜け、その場へ座り込んでしまう。


 怖い。


 禍々しい。


 まるで終末そのものが歩いてきたような圧力。


 それなのに――。


(……優しい)


 男の瞳だけが、不思議なほど温かかった。


 男は律子の前で静かに膝をつく。


 巨大な身体が目線を合わせるように沈む。


 そっと右手を差し出した。


「……会いたかったぜ。」


 柔らかな笑み。


 しかし、顔立ちがあまりにも厳つすぎる。


 笑っているはずなのに怖い。


「ひっ……」


 律子は思わず肩を震わせる。


 その反応に男は「あっ」と目を丸くした。


 頭をかきながら苦笑する。


「ああ……悪ぃ。」


「びっくりさせちまったな。」


「そういうつもりじゃねぇんだけど……。」


 困ったように息を吐く姿は、大きな身体に反してどこか不器用だった。


 律子は震える声で問いかける。


「あ……あんた……誰……?」


 男は答えない。


 ただ、じっと律子を見つめている。


 その瞳を見た瞬間。


 律子の胸に、ある記憶が蘇った。


 何度も見た夢。


 未来とも過去ともつかない、不思議な夢。


「……もしかして……。」


 男の瞳が揺れる。


「夢で……会った……?」


 その一言に。


 巨大な男は、今にも泣き出しそうな顔になった。


「……やっと会えた。」


 震える声。


「ずっと……。」


「ずっと、この日を待ってた。」


 その姿は、先ほどまでの怪物とは思えないほど切なく。


 ただ、大好きな人に会えた子どものようだった。


 律子の瞳が大きく見開かれる。


「……完太。」


 恐る恐る、その名前を口にする。


「……完太なの?」


 男は照れくさそうに笑った。


「うん。」


「会いたかった。」


 その一言だけで十分だった。


 言葉にならない何かが、二人の間に流れていた。


 まるで血よりも深い絆を、互いの魂が思い出したかのように。


 しかし――。


「おい。」


 空気を裂くようにバンティンが声を張り上げる。


 完太がゆっくりと振り返る。


「お前……悪魔だろう。」


「なぜヒューマンと親しくしている?」


 完太は首を傾げた。


 まるで「何を当たり前のことを」とでも言いたげに。


「おい。」


「失礼なこと言うな。」


 人差し指を一本立てる。


「俺はヒューマンだ。」


 場が静まり返る。


「親父がヒューマン。」


「おふくろもヒューマン。」


「だから俺もヒューマン。」


 そこで自分の角を指差し、少しだけ照れくさそうに笑う。


「この見た目は……個性だ。」


 誰も突っ込めない。


 バンティンだけが額を押さえた。


「……信じられん。」


「まあ、どうでもいい。」


 完太は興味なさそうに肩をすくめる。


「俺は、この人に用事がある。」


 律子へ視線を戻す。


 そして足元で倒れている和人を見下ろし、穏やかな口調のまま言った。


「あと、その人には触るなよ。」


「大事な人だから。」


 そう言い残し、再び律子の前へ膝をつく。


 そっと頬へ手を添える。


 律子もまた、その大きな手に震えながら触れた。


 その手は、見た目とは裏腹に驚くほど温かかった。


 だが次の瞬間。


 完太の指先が止まる。


 律子の頬に、小さな傷が残っていた。


 親指で静かになぞる。


 沈黙。


 誰も声を出せない。


 数秒後。


 完太が静かに口を開いた。


「……誰がやった。」


 その声には、怒鳴り声よりも恐ろしい静けさが宿っていた。


 律子は答えない。


 答えられない。


 完太は一度だけ目を閉じ、小さく息を吐く。


 そして立ち上がった。


「……すまない。」


 律子へ振り返ることなく、静かに言う。


「少しだけ――目を閉じていてくれ。」


 その瞬間、空気が一変した。



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


後、数話で最終回です。


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