第92話 村の戦争が終わったと思ったら、超越者たちに地下闘技場へ拉致されました ~俺、ただの一般人じゃなかったらしい~
「――では、始めようか」
パチン。
軽い音だった。
ただ。
その瞬間。
世界が裏返った。
――ぐにゃり。
空間そのものが捻じ曲がる。
床が消える。
壁が溶ける。
天井が砕ける。
視界が反転する。
次の瞬間。
和人は別世界に立っていた。
「……ここは」
息を呑む。
巨大なドーム。
円形闘技場。
天井は異様なほど高い。
漆黒に染まる空間。
ところどころ青白い照明だけが淡く灯っている。
まるで。
世界そのものが死んだ後の空間だった。
そこに立つのは六人。
和人。
律子。
悪魔バンティン。
そして。
金髪の少年――レオニダス。
ゴスロリ少女――盲。
……もう一人。
闘技場中央。
静かに立つ女。
長い黒髪。
顔の大半を隠すほど前に垂れている。
紫色のワンピース。
異様なまでの静寂。
その姿を見た瞬間。
盲が露骨に顔をしかめた。
「……うわ」
「最悪」
「なんでここなのよ」
レオが肩をすくめる。
「いやさ」
「中立な審判必要でしょ?」
「こういう時って」
和人と律子は呆然としていた。
一方。
バンティンだけは違った。
顔面から血の気が消えている。
(……馬鹿な)
(……超越者……!?)
(また一体……!?)
(なんなんだこいつらは……!!)
その時だった。
長い髪の女がゆっくり歩き始める。
足音が響く。
カツ。
カツ。
カツ。
空気そのものが重くなる。
女はまずレオの前に立った。
「……久しいな」
レオが手をひらひら振る。
「やあ」
「久しぶり、百目ちゃん」
――百目。
その名前が響いた瞬間。
女は右手を持ち上げた。
ぱっと開く。
次の瞬間。
和人は固まった。
手のひら。
そこに。
目があった。
ぎょろり。
生きている。
瞳孔が動く。
きょろきょろと辺りを見回す。
そして。
ピタリ。
和人で止まった。
沈黙。
次の瞬間。
百目の口角が吊り上がった。
「……これはこれは」
「私の推しではないか」
ニヤァ……。
背筋が寒くなる笑み。
即座に盲が吐き捨てる。
「あんたの推しは、そいつじゃなくてその従兄弟でしょ」
百目が首を傾げる。
数秒。
そして。
「ああ」
「……いたのか、盲」
空気が凍る。
盲の眉がピクリと動いた。
「……そういうとこよ」
「ほんっと最低」
「相変わらず性格腐ってるわね」
百目が楽しそうに笑う。
「おや」
「まだ根に持っておるのか?」
「三百年前の話であろう?」
「誰のせいよ!!」
盲が叫ぶ。
レオが慌てて割って入る。
「はいはいはいはい」
「喧嘩しない」
「今日は試合だから」
百目は鼻で笑った。
「ふん」
「私を除け者にしてずいぶん楽しんでおったようじゃな」
レオが両手を広げる。
「今回はスーパーアリーナ用意したから」
「許してよ」
数秒。
百目はゆっくり前髪をかき上げた。
その瞬間。
和人は息を止める。
両目が――ない。
空洞。
その代わり。
額の中央。
巨大な一つ目。
異様な巨大な瞳が。
ぎょろり。
全員を見る。
バンティンが一歩後退した。
本能が理解していた。
――格が違う。
百目が笑う。
「では」
「決闘じゃな」
指を一本立てる。
「ルール説明をする」
声が変わる。
さっきまでの軽薄さが消えていた。
絶対者の声。
「勝敗条件」
「どちらかが降参するか」
「死ぬまで」
「意識を失った場合も続行」
「死ぬまでじゃ」
バンティンの喉が鳴る。
百目は続ける。
「正々堂々」
「誇り高く」
「漢らしく戦うこと」
「最も大切な決まりじゃ」
額の巨大な目が細くなる。
「……しょっぱい試合は嫌いでな」
盲がぼそっと呟く。
「お前が言うな」
完全に聞こえていた。
百目の視線だけが盲へ向く。
「……後で殺すぞ」
「やれるもんならやってみなさいよ」
火花が散る。
レオが額を押さえた。
「ほんと仲悪いなあ……」
百目が再び二人を見る。
「武器使用可」
「暗器は禁止」
「身体の一部――牙、爪などは許可」
「時間無制限」
そして。
巨大な一つ目がゆっくり和人へ向く。
「……よいな?」
和人は無言で頷いた。
バンティンも頷く。
「では」
百目が指差す。
「白線に立て」
二人が向かい合う。
バンティンは和人を見る。
普通の青年。
ただの人間。
魔力反応も薄い。
(勝てる)
(問題ない)
(所詮ヒューマンだ)
ファイティングポーズ。
余裕が戻る。
「……降参した方がいいのでは?」
バンティンが笑う。
和人は何も答えない。
ただ。
静かだった。
異常なほど。
百目が腕を振り下ろす。
「――始め!!」
その瞬間。
バンティンが動いた。
悪魔の身体能力。
瞬間加速。
爪が一直線に和人の首を狙う。
だが。
その刹那。
空間が歪んだ。
……いや。
違う。
世界そのものが。
沈んだ。
「……な……?」
ドンッ――!!
凄まじい圧力。
視界がぶれる。
膝が砕けそうになる。
肺が潰れる。
心臓が押し潰される。
「……ぐ……ッ……!?」
重い。
重い。
重い。
異常。
ありえない。
全身が。
星そのものに押し潰されているようだった。
次の瞬間。
バンティンの身体が地面へ叩きつけられた。
轟音。
床が陥没する。
蜘蛛の巣状に亀裂が走る。
タイルが弾け飛ぶ。
「が……はっ……!!」
呼吸ができない。
指一本動かない。
何だ。
何が起きている。
こいつ。
何者だ。
(……重力……?)
(違う……)
(もっと根本的な……)
(存在そのものに圧力を……!?)
バンティンの瞳に恐怖が浮かぶ。
和人が歩く。
一歩。
また一歩。
その歩調に合わせるように。
バンティンの骨が軋んだ。
ミシ……
ミシミシ……
頭蓋骨が悲鳴を上げる。
「……ぐああ……!!」
それを。
律子は黙って見ていた。
息を止めるように。
じっと。
その右手は。
無意識に。
自分の腹部へ置かれていた。
まるで。
まだ存在しない何かを。
確かめるように。
あるいは。
遠い未来に生まれる“それ”を。
守るように。
その瞳だけが。
誰よりも深く。
この先に訪れる未来を見つめていた。
そして。
誰も気づかない。
その瞬間だけ。
律子が小さく。
本当に小さく。
こう呟いていたことを。
「……やっぱり……ここまでは……同じ……」
闘技場の空気が凍る。
百目の巨大な瞳だけが。
じっと律子を見ていた。
まるで。
何かに気づいたように。
――次の終末が、静かに産声を上げようとしていた。
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